存在しない首つり死体の話。

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お香

知人の社会人Aさんから聞いた話だ。

 

Aさんの実家は現在、都内でマンションの一室を借りて住んでいるそうだ。だが以前、Aさんが独り立ちする前は東京郊外のとある事故物件に住んでいた。

Aさんは幼いころから、その家がどういうものか知っていたし、前の家主が居間で首をつっていたということも知っていた。

 

「変な両親だよね。普通子供にそんなこと言わないじゃん」

 

と彼は笑う。

 

子供というのはときに大人では想像もつかないことをする。事故物件の話を聞いた子供時代のAさんは、いつも首つり死体を見ていた。実際にそこにあったわけではない。天井からつり下がり、紐を引いてオンオフを切り替える照明、それを首を吊る男に見立てて観察していたのだという。

 

「お袋の飯、味がしなくてそんな美味くなかったし。暇だからずっと見てたよ。

ああーこんな感じに垂れさがってたのかなあって。いやね、別に子供の想像力ったって知識がたりないからさ、首が変に伸びてたり、変なにおいがしたりとか、そういう感じじゃないよ」

 

首を吊る男。その些かグロテスクな想像の住民は、中年男性ほどで服は白い半そでのTシャツ、ズボンにはジーパンをはいていた。

そして、いつも口を動かしていたのだという。

 

「何て言ってるのか気になって、頑張って耳澄ましたりしたんだけどさ。聞こえないんだよなあ」

 

やがて大学を卒業したAさんは、社会人になったのを気に一人暮らしを始めた。

もちろん選んだのは、普通の安いアパートの一室で、そこで人が亡くなったのだとかそういう噂はない。

 

「夕飯食っててもさ、あの人いないから、ちょっと寂しくてね。なんての?手持ち無沙汰ってやつ?」

 

次第に男の居ない生活に慣れてきた一人暮らし半年目のことだ。

友人の付き添いでホームセンター立ち寄った際、あるテーブルランプが目に留まった。土台からアームが伸びて、先端のライトが手元を照らすような形だった。やけに気になって手に取ってみたり、かごに入れるか迷ったものの、社会人になりたての彼が、その場で衝動買いをするようなことはなかった。しかしそのあと一週間もの間忘れられず最終的には購入に踏み切った。

 

「そしたらさ、いたんだよ。首つり死体。小人の」

 

ランプを購入したその日、夕飯を食べながらちゃぶ台に置かれたランプを何気なしに見ると、そこには男がいたという。中年男性で、白い半そで、ジーパン。ただ、そのランプのサイズにあわせるように、小柄だった。小さいのに、子供ではなく、中年男性のまま。縮尺を丸ごと小さくしたような、そんな姿。

 

Aさんはそれに驚きはしたものの、恐怖心などよりも安心感が強かったのだそうだ。親元を離れて六か月、その心にできた穴を埋めるように現れた懐かしいそれを、彼は歓迎した。

 

「ついてきてくれたんだって思ったよ。うれしかったさ」

 

そのまま一年、二年三年四年とたっても小人の首つり死体はテーブルランプにいた。

仕事が忙しくなり、連続して深夜に帰るようになってからもそこに。

疲労で味がしないカップラーメンを啜っても、そこに。

かつてのように口をパクパクと動かして、何か聞こえない声を発しながら。

 

「あんときはさ、俺もう限界でさ。ホント。社長が変わってからブラックになって、ほら、病院行ったら多分鬱って診断されてたかも。

でもさ、俺今ぴんぴんしてるだろ?それはな、あの首吊ってるおっさんの声を初めて聞いたからなんだ」

 

声。

いつの間にか習慣になっていた深夜三時帰り。

その日もどうにか家に帰って、戸棚を開き、カップラーメンを取り出そうとした。しかし中は空っぽで、どうやら昨晩食べきってしまったことにさえ過労で気づけていなかったようだ。

 

ならば仕方ない。Aさんは珍しく、夕飯を食べることなく、敷かれたままの布団に倒れ込もうとした。

そんな折だ、大きな声がした。

 

「あぁ」

 

野太い大人の声のようで、まったく聞いたことのないうめき声だった。

何事か。見るとテーブルランプにつり下がる中年男性が当時のAさんのようにやせこけた顔を持ち上げて、目を見開きAさんを見ていた。

そして彼の口はまた動く。

 

「─────」

 

だがAさんは、その言葉を聞くことができなかった。

なぜなら、そのまま気絶してしまったからだ。彼曰く、それまでも気づけば意識を失っているようなことが度々あったらしい。

 

翌朝起きてみたら、テーブルランプに小人はつり下がっていなかった。

だがそれを気に留める間もなかった。すでに時刻は普段の起床時間を過ぎており、すぐにでも着替えて家を飛び出さなくてはならなかったのだ。

 

その日、彼の会社の社長が変死した。社内は大騒ぎになり、Aさんもさらにせわしなく働くことになった。

しかしその動乱も、親族に頭が代わることになり。ブラック基質だった社風も、変死した社長が就任する前のように穏やかなものに変貌した。

Aさんの多忙な日々は終わりを迎えたのだ。

 

「でもさ、何よりうれしかったのがさ。味がしたんだよ、夕飯の。いや、俺あの首つりのおっさんが助けてくれたんだって思ったね」

 

あの声を首つり死体があげたのは、ボロボロになったAさんを心配したからだ。彼はそう確信したように語った。そして、その後の言葉を聞けなかったのが残念だとも。

そしてAさんの話は終わった。

 

後日私が調べたところ、変死した社長は事故死したことになっていた。さらに深く調べてみると詳細がいくらか判明した。

なんでもその社長は自宅で、カップラーメンの麺らしきものをのどに詰まらせて倒れていたところを発見されたらしい。死因は窒息死だった。


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