「うっ……」
ヴァルグレア統制学院の処置官、アレクシア・フェルステンベルクは目の前の光景を見て思わず口元を抑え、その場に蹲った。喉を通り、酸味の強い胃液が逆流してくる。鼻からツンとした胃液独特の強力な臭いが漂ってきて更なる吐き気に襲われるが決して吐き出すまいと必死に飲み込んだ。
口も鼻も胃液の匂いや強烈な酸味に包まれるが吐き気は多少収まったが再び立ち上がり、前を向けば収まった吐き気も直ぐに戻ってくることになるだろう。
「こんな……、こんなことって……!!」
『アレクシア処置官。処置官としての“職務”を全うしてください』
「っ!!!」
部屋に備え付けられたスピーカーから機械の音声が聞こえてくる。それはアレクシアの現状を注意するものであり、その内容にアレクシアは思わず奥歯をかみしめてしまう。だが、どれだけ機械の音声、この施設を管理しているAIに言われようとも“職務”を熟す事はアレクシアには出来なかった。
「あ、いや、いあぁぁぁぁっ!!??」
「助けて、たすけ……」
「ぎっ! ひ……、ヒヒ……」
「……」
「…………」
「………………」
アレクシアがいる場所、そこは後方の扉以外はガラスで覆われた小さな部屋であり、手元にはいくつもの装置、天井には大量のスピーカーが備え付けられた場所だった。装置を使用する事を想定しているのかそれなりに座り心地がよさそうな椅子が3つほど並んでいるがアレクシアが直前まで座っていた物以外に使われている様子はなかった。
そして、そんなアレクシアの部屋からのぞける場所にはこのヴァルグレア統制学院の心臓部とも言える重要な施設、そこで行われている様子が広がっていた。
白い部屋の中にはいくつもの拘束する台が並び、何人もの少女たちが動けないように四肢と首、胴を厳重に拘束されていた。
そんな少女たちを囲むように手術をするかのような装いをした者達が複数で囲み、何かの装置を頭にはめ込み、起動させて経過を観察していた。それを取り付けられた少女たちは直ぐに挙動が可笑しくなり、中には血を噴き出し絶命する者もいたほどである。
『これも処置官の職務の一つです。最後まで確認をお願いします』
「無理よ……! こんなのを最後までなんて……」
ここはガラスの間。処置を施す為に利用する場所であり、逸脱者がきちんとした人間としていられる最後の場所である。ここに連れてこられる者は基本的に眠らされているがたまに覚醒してしまい、逃げようとする者が発生する事がある。そういった者達は処置を施す事もなく“処分”される事が一般的だが無事に拘束されれば記憶や人格を消す装置を取り付けていく。
こういった装置は治安維持機構でミレニアムが提供したとされる装置の改良型である。脳に電流や電波と言ったものを送り込み、その強弱で施される処置に適用させていく。たまに失敗し、廃人となってしまう者もいるが逸脱者というヴァルグレア統制学院にとって反乱者に等しい者たちに温情を駆ける必要もないためにそういった者達は処分される事となっている。
そして、処置を施す際には必ず1人以上の処置官が同行し、経過を確認する必要がある。これの理由は定かではない。AIが何故このようにしたのかを知る者は誰一人としていない。ただ一つ、言えることだけはあった。
『アレクシア処置官。貴官は処置官としては不適合な人材と判断されました。今後は監視対象となりますのでこれまで以上に職務に全うする事を期待しています』
「……」
処置官としては向いていない者をあぶりだす事に使えるという事だった。今回も、アレクシアは処置が完了するまで少女たちを見る事は出来ず、それによって施設のAIは淡々と評価を告げる事になった。
そのことにアレクシアは何も言えず、壁や床に飛び散った血を掃除している職員たちをしり目に処置官の待機室を後にするのだった。
「……どう見る?」
「いや、どう見るって言われても……」
アレクシアが退出した後、部屋全体を見渡せるように設置された監視カメラの映像を別の部屋で見ていた二人の男が会話をしていた。一人は20代前半と言える融和な印象を見せる男であり、もう一人の男の言葉に困ったように苦笑していた。
そして、もう一人は厳格な雰囲気を態度にも表情にもだした20代半ばくらいの男性だった。アレクシアの一連の行動に眉をひそめており、決して臨んだとおりの行動ではなかったことをうかがわせた。
「アレクシア・フェルステンベルク処置官。1等大尉の階級を持っている処置官で高等処置官候補としてアマリア・エーレンベルクと同様の将来のエリート候補。だが、蓋を開けてみれば処置寸前のごみではないか」
「ゴミ、なんて言い方はどうかと思うよ。彼女もヴァルグレアを秩序ある自治区として維持するための大切な仲間なんだから」
「局長殿は生ぬるいな。貴様も妹のようになれないのか?」
「妹は僕とは何もかもが違うからね」
妹、アマリア・エーレンベルクの事を引き合いに出されて彼女の兄にして統括局の局長を務めるリヒト・エーレンベルクの表情は曇る。その表情はアマリアに対していい感情を持っていない事は明白であり、そんなリヒトに男はつまらなそうに鼻を鳴らすと立ち会がる。
「どちらにせよ、アレクシア処置官が昇進する事はない。むしろ今後の動き次第では“処置”の対応も検討しないといけないだろう。少なくとも、統制AIヴァルグレアはそう考えているだろう」
「……確かにそうだろうね。だけど、僕は彼女にもチャンスは必要だと思うよ? 些細なミスで過剰に反応していては回る物も回らなくなるよ」
リヒトは穏やかにそう告げるがそんな彼に対して目の前の男は不快そうに眉をひそめた。
「愚かだな。たった一つのミス。それによって生じる被害もあるのだ。些細だろうと巨大だろうとミスはミス。我らにそれは許されていないのだよ」
男は話すことはないと言わんばかりに部屋を退出する。一人、残されたリヒトはそんな男が出ていった扉を悲し気に見つめながらつぶやく事しか出来なかった。
「……本当に、君は変わったね。それだけ、“赫灼戦役”の出来事はトラウマになったのかい? だけど、君のやり方はいずれ致命的な崩壊を産みかねないよ」
リヒトはそう言って、男、急進派筆頭のカシウス・レンクロフトに届かない思いを零すのだった。そんなリヒトをどう感じているのか、部屋につけられた監視カメラのレンズが怪しく光るのだった。