セイル=アインは正面に立たされていた。まるで罪人のように、審判の円卓を前に、ただ黙して立ち尽くしていた。
室内は白。壁も床も、机も、椅子も、セイルを囲む処置官たちの制服すらも、全てが無機質な白で染められていた。ただ、その中心だけは、凍てつくような“言葉の刃”で満たされていた。
「セイル=アイン。お前の行動は、命令体系からの逸脱であり、個人的感情による統制干渉と認定される」
「お前は、処置官としての権限を乱用し、非公式部隊を動員し、独断でアビドス高等学校を襲撃した」
「その結果、失態を晒し、秩序体制に対する対外的信用を損ねた」
処置官たち、彼女と同じ制服を着た者たちが、次々に冷たい声を放った。
だがそれは怒りから来る言葉ではなかった。ただ、“秩序を乱した因子”としての彼女の存在を、形式通りに切除する宣言にすぎなかった。
セイルはそんな彼らの言葉に口を開こうとした。しかし、声は震え、出なかった。かつて自信に満ちていた目は、今や恐怖と混乱に揺れていた。
「弁明は、ありますか?」
沈黙。わずかに、歯を噛みしめる音。
「……私は、秩序のために、動きました……」
「秩序とは、“個人の感情に従属しない”」
ただ一言で、その弁明は切り捨てられた。最早彼女に残された道は抵抗なく“処置”を受け入れる事だけだった。
「高等処置官セイル=アイン。
君には“白化令”が発令された。
統制の枠組みに従い、旧人格は削除され、新たな作業用記憶パターンが付与される」
静寂。記憶処置におけるもっとも重い処置である“全記憶初期化・人格上書き”。それが私心で動き続けたセイルの末路であった。その言葉を受け、セイルはとうとう膝を崩した。
「……そんな……それは……私という存在を……!」
「存在は、個ではなく体系に属する。処置官である以上、それは当然の帰結だ」
執行官が近づき、装置を起動する。そして、白い部屋に、白い光が満ちた。
記録室の暗がり。そこに立っていたのは、ノルド=エンリだった。
薄く笑うこともなく、彼は観測端末に流れる映像と音声の記録を静かに読み取っていた。
---対象:秩序統制体・作業用個体。識別番号02217号(旧名:セイル=アイン)
---状態:記憶領域初期化済/従属指令応答良好/人格特性:消去
---配属:ヴァルグレア自治区第九円環地区清掃作業員
---期間:白化処置後ただちに
モニターに映るのは、白い作業着を着て、無表情で廊下を清掃する一人の“人間だったモノ”。
かつて、激情と信念でアビドスを掌握しようとした“彼女”の面影は、どこにもなかった。
「……哀れとは思わない。だが、実に興味深い」
ノルドはメモを取りながら、観測を続ける。
---観測記録:ノルド=エンリ
---正しさに囚われた者は、最も効率的に統制される
---対象は、自らの信念を最終的に否定されることなく、ただ“信念ごと消された。これは秩序にとって最良の処理方法である
彼はそれだけの記録を保存すると立ち上がり、静かに呟いた。
「君の行動は無意味だったが、記録としては残す価値がある。
“人間が秩序を誤解したとき、どこまで堕ちうるか”の実例としてな」
ノルドの目には、憐れみも、怒りもなかった。ただ、“観測者”としての冷たく整った視線だけが、名を消された一人の元処置官を、追い続けていた。
セイル=アインの名が、統制記録から消されたのは、ある冬の朝だった。
その処理は速やかに、感情の余地もなく行われた。彼女の行動は“失策”として裁かれ、記憶処置の末に、存在の意味を失った。
そして、その三日後。アマリア・エーレンベルクの名が“補填”として処置官候補一覧の最上段に繰り上がる。彼女はその一環として特等少佐から特等中佐に昇進した。
彼女に呼び出しがかかったのは、ヴァルグレア統括局の第五面接室。防音素材で作られた壁は白く、音もなく、部屋の中には机と二人分の椅子だけであり、机の上にあるのは一枚の任命文書が存在した。
「……本日をもって、君は正式に高等処置官に就任する事となった。とはいえ時期を早めた為に未就学部分に関しては今後も継続して就学し、高等処置官としての業務は複数の補佐をつける事で対応する事となった」
告げたのは無表情な管理官だった。言葉に熱も喜びもない。ただ、それが既に決定事項であることだけが伝わってくる。
アマリアは小さく目を見開いた。彼女はまだ、訓練課程の全てを終えていなかった。早くてもあと二ヶ月……、場合によってはそれ以上のはずだった。
「(どうして、今……?)」
胸の奥に疑念が浮かぶ。しかし、それはすぐに理性によって押し込められる。
「(違う、考えるべきじゃない。これは信頼。期待。役目。私が……選ばれたんだ)
……アマリア・エーレンベルク、命令を受諾いたします。以後、処置官として統制の維持に尽力いたします」
アマリアは胸の中に発生した疑問を隅に追いやると立ち上がり、目の前の管理官に対して敬礼を行った。そんな彼女の表情には、ほんの少しの誇らしさと、安堵すら浮かんでいた。
その場を後にするまで、彼女は一度も「なぜ早まったのか」を口にしなかった。そして、誰もその理由を語ろうとはしなかった。ヴァルグレア統制学院においてそれは不必要な事であるのだから。