エデン条約の締結が刻々と近づく中、トリニティの治安は悪化の一途をたどっていた。温泉開発部を自称するテロリスト達のテロ行為は収まっているがレクス分派を始めとする反エデン条約を掲げるデモ活動は毎日のように続けられており、その規模は日に日に増していた。
最近では行き過ぎたデモ活動に正義実現委員会が対応しようと動いたがデモ隊はティーパーティーに認められた権利を行使しているだけだとして逆に追い払う始末だった。正義実現委員会とて多少行き過ぎたデモ活動程度で武力鎮圧に動くにはデモ隊が認可されている事実が強すぎたのだ。
「あちゃー。これはどうしようもないっスねー」
そして、そんなデモ活動を遠くから見ている事しか出来ない正義実現委員会の一人、仲正イチカはいつも通りの緩い雰囲気を少しだけ引き締めてそう呟いていた。周囲では彼女が率いる部員たちが不安そうにデモ活動を見ており、イチカのつぶやきは聞こえていないようだった。
このデモを本気で止めるにはティーパーティーが活動停止を言えば良いのだがティーパーティーはどういう訳かこれを止める気がないようで彼女たちはいいようにトリニティ内で声を高らかに叫んでいた。
「ま、ティーパーティーからすればどちらをとっても最悪なのは分かるっスけど」
当初はただのデモとして認可した程度だったのだろう、とイチカは予想する。しかし、時期が悪かった。結果的にエデン条約に反対するデモ活動は大規模なものとなり、トリニティの世論を騒がせることとなった。
ならば彼女たちの活動を取り締まれば良い、という訳でもない。彼女たちはトリニティにおいて大きな派閥を形成しているレクス分派であり、派閥の結束力はトリニティでも屈指であり、末端の勢力を含めれば生徒会であるティーパーティーに匹敵するだろう。そんな彼女たちを取り締まればどれだけの被害が出るか。エデン条約を前に余計な損害を出したくはないしティーパーティーが認可したものを一方的に取り消すというのはティーパーティーの名に傷をつける事になるだろう。たとえそれが小さな傷でもレクス分派の力があれば致命傷にする事さえ出来るのだ。彼女たちはそれだけの力を未だ有しているのだ。
故にティーパーティーは動けない。少なくともデモ側で何かしらの不祥事、それこそ過激になり過ぎた事で関係ない生徒に被害を与えるなどがあればここぞとばかりに取り締まる事が出来るだろう。現に、正義実現委員会がこうして動向を確認しているのはそうなった時に速やかに取り締まれるようにと命令を受けたからだ。
しかし、彼女たちはそれを理解しているようで一向に不祥事と言える程の騒ぎを起こさない。騒ぎは大きくなり、熱狂に包まれていても暴力沙汰になる事は無い。全てのきっかけは外部からの干渉であり、活動を止めるには不十分な理由ばかりだ。
『見ろ! あそこにいる正義実現委員会のメンバーを! 彼女たちは我々を監視せよと命じられたティーパーティーの使いパシリである! 何故そんなことをしているのか! 簡単だ! ティーパーティーは恐れているのだ! 我々を! 世論の過半数側に回ろうとしている我々を! ティーパーティーはエデン条約を締結するためならば我々のような認められた活動にもケチをつけるだろう! そのような者がエデン条約を締結したとしてその力をきちんと振るう事が出来るのか? 否! 否である! 必ず奴らはその力に溺れ、トリニティに、ゲヘナに、キヴォトスに! 牙をむく事になるだろう!』
「うわぁ、私達すら演説の出汁に使うっスか。面倒っスね」
今日も今日とて声を張り上げて演説をする鏡原レオはついにイチカ達を演説の内容に組み込んで見せた。突如として話の中に放り込まれたイチカ以外の部員たちは驚きと不安そうな反応を見せている。それも仕方ないとイチカは部員たちを宥めながら苦笑した。
鏡原レオはティーパーティーにも劣らない政治力を有していると言える。特にそのカリスマ性は人をひきつけ、魅了する。現に彼女の演説を聞きにくる生徒は日に日に増えている。最前列の人達など熱心な信者と呼べるほどに虜になってしまっているだろう。
レクス分派の歴史についてはイチカもよく理解している。もし、レクス分派がティーパーティーに入れていれば今頃違った歴史を歩めていただろう。少なくともトリニティを二分しかねない危険人物とはならなかったはずだ。
本当にままならいっすねー、とイチカは更なる熱気に包まれるレオの演説を聞きながら監視任務を続行するのだった。
ティーパーティーのホストを代行する桐藤ナギサはここ最近のトリニティの雰囲気に対して頭を抱えていた。エデン条約の締結が目前に迫ってきている中でそれを阻むかのようにトリニティではエデン条約の締結に反対するという声が日に日に大きくなっている。投票などは行われていないが今行うとすれば4割に届きそうな程の反対票が入る事になるだろうことは明白であり、それだけにわが校の生徒達は情勢をまともに見れないのかと怒りをあらわにしたくなってしまう。
エデン条約とはゲヘナとトリニティの力を合わせ、ヴァルグレア統制学院に対して対抗する事が目的である。ヴァルグレア統制学院は設立当初から侵略行為を行っており、その勢力を拡大している。純粋な勢力範囲で言えばいくつもの学校が合わさったトリニティ総合学園すらも凌駕しているだろう。
それだけにこれ以上のヴァルグレアの勢力拡大は止めなければならない。連邦生徒会長がいた頃にはその拡大を止める事が出来ていたが失踪した現在は再びその勢力範囲を広げようとしている。ナギサの耳には既にヴァルグレアが行ったアビドスへの侵攻の情報も入っている。アビドスはゲヘナを経由する形で近い位置に存在する自治区であり、そこがヴァルグレアの支配下になるとすればゲヘナ等比にはならない脅威が身近に誕生する事になる。それだけは防ぎたかった。第一回公会議で取りまとめを行ってくれたという恩あるサンクトヴァリエに物資の援助として支援を行っているのも防波堤の役目を期待しているからだ。
しかしそれもエデン条約が締結されれば問題ではなくなる。ゲヘナとトリニティという三大校の二校が合わさる事で得られる力はヴァルグレアを軽く凌駕する事になるだろう。そうすればヴァルグレアを降す事も可能になる。それをしなくともヴァルグレアの力がトリニティに振るわれる事は無くなるだろう。
そのための条約なのだ。ヴァルグレアという明確な脅威に対抗するための条約にも関わらずトリニティはそれを拒んでいるのだ。何を考えているんだと、ナギサは叫びたい気持ちでいっぱいになる。
「レオさん……。貴方はどうして……」
そして、そんな筆頭にいるレクス分派のリーダーである鏡原レオ。ナギサは彼女への失望を感じずにはいられなかった。レオの政治力の高さはナギサも理解している。レオであればレクス分派をティーパーティーに加えても良いと思ったほどにだ。しかし、それを実行する前にエデン条約をやらねばならなかったのだ。結果、レオは愚者へとなり下がったのだ。ナギサの失望感は相当なものだった。
「それだけではありませんね……」
レオもそうであるが問題は山積みだ。現在、ナギサの脳裏にはトリニティ内部に裏切り者が潜んでいるのではないかという疑念があった。無論、該当者は上げきれない程に多い。特にレクス分派は完全に裏切り者と言ってもいいだろう。
しかし、そうではない。本来のティーパーティーのホストである百合園セイアを暗殺するという凶行を取った者達についてだ。それが誰か分からないが少なくとも内部の人間である事は明白だった。そして、怪しいと思われる該当者もピックアップ済みだった。
「本当はこのような手を打ちたくはありませんでしたが……」
近く、トリニティでは定期試験が実施される。該当者の何人かはこのテストで赤点を取ってしまう程に学力が低い。そうして赤点を取ったものを一つにまとめて場合によっては退学と称して自治区から追い出す。赤点を取りそうにない者達も別々の方法で退学に追い込むなり身動きが取れないように牢に入れるなりをする準備は整っている。
「補習授業部。トリニティの先輩方には感謝しないといけませんね。彼女たちのおかげで自然な形で裏切り者の候補者を自治区から追い払う事が出来ます」
そうして裏切り者が排除できればレクス分派への工作を行う。現状エデン条約に反対する勢力の中核はレクス分派だ。レクス分派さえどうにかすれば反対派は意見が纏まらなくなって空中分裂するだろう。そうなればエデン条約の締結に対する支障は無くなるだろう。
「その準備を、しないといけませんね」
ナギサは疑心暗鬼になりつつある心を必死に押し殺し、ホスト代行としてトリニティの未来の為になる行動を取っていくのだった。