硝子の間に咲いた火花   作:鈴木颯手

70 / 71
『権謀術数渦巻く闇のトリニティ』


Code67.

 桐藤ナギサはテーブルの上に置かれた報告書の束を全て確認し終えると優雅な手つきで紅茶の入ったティーカップを口に運んだ。慣れ親しみ、愛用する紅茶の味が口いっぱいに広がるが不思議と何時ものような美味しさを感じる事は出来なかった。

 その理由は明白だ。たった今確認した報告書のせいだ。

 

「……リストの対象者のうち、半数以上が抵抗。トリニティ内の牢屋はパンク状態、ですか……」

「加えてですが、正義実現委員会の方々から抗議が届いています。“こんなことをする必要があるのか”と……」

「……」

 

 トリニティの治安を守るはずの者から出たと思われるその言葉にナギサは沈痛な面持ちでため息をついた。こうして報告をしてくれる諜報部の生徒がいなければ腹部と頭を押さえてうめき声をあげてしまっていただろう。しかし、ティーパーティーとして、トリニティの長としてそのような姿を見せる事は出来なかった。

 そのために自然と紅茶や菓子を口に運ぶ頻度が多くなってしまう。ここ最近はこのようにしてやけ食いのような行動をとる事が増えてきた。心労が溜まっている証拠だが今休むという選択肢は無い。それだけトリニティの状況は刻一刻と悪化しているのだ。

 

「リストから洩れたヴァルグレアの諜報員も数多く存在することでしょう。自治区内の監視は徹底しなければなりません。特に動きやすい夜間は」

「では夜間の外出禁止を発令してはいかがでしょうか? 違反者は拘束していけばいずれ……」

「こちら側の動きを察知して潜伏されてしまっている場合、徒労に終わるでしょう」

 

 ヴァルグレアの諜報員は優秀である。切り捨てられやすい諜報員達はティーパーティーが誇る諜報部でさえ発見できない程の潜伏能力を有し、確実にトリニティの情報を奪われていた。特にここ1年程でその動きは過激になっているとティーパーティーとしてトリニティの運営を行ってきたナギサは感じていた。

 そして更に最悪なのがヴァルグレアが主立って何かしらの害ある行動をトリニティにもたらしたことはない事になる。無論、完全に無いわけではないがナギサが把握している限りではヴァルグレアは必ず実行する時は自分達ではなく第三者を利用する。そのために発見が更に遅れてしまっているだけではなく、トリニティの生徒達の大半がその脅威を真の意味で理解する事が出来ていなかったのだ。

 

「……一応、聞きますが捕らえたリスト者の中に諜報員がいる可能性はどの程度だと予想しますか?」

「……ナギサ様。先に申し上げておきますが私はナギサ様を信用し、忠誠を誓っている身です。どのような事があろうとも私がナギサ様を裏切る事はないと断言させていただきます。

そのうえで言わせてもらいますが恐らく、いないでしょう。例えいたとしても恐らくトリニティに入り込んでいる諜報員の半数もいないはずです。この程度の条件で捕えられるのであれば既に諜報員を何人も確保していてもおかしくはありません」

 

 ナギサにそう持論を言った少女は諜報部の中でもとりわけ優秀な者だった。3年生という事で経験豊富であり、またフィリウス分派としてナギサを近くで見てきた存在でもあった。

 故にナギサはフィリウス分派の中で最も彼女を信頼しており、それは今も揺らぐことはない。そんな彼女が断言した事でナギサは力なく瞳を閉じた。薄々、理解はしていたが断言された事でナギサの心労は高まる一方だった。そして、諜報部は更なる報告をナギサにしなければならなかった。

 

「それと、ミカ様について報告があります」

「……報告書にはしづらいものですか?」

「その通りです」

 

 それは聖園ミカに関する報告だった。ティーパーティー直属の諜報部は三派閥の中でも優秀な人材が所属している。それだけにミカの不自然な行動は簡単に目につく事が出来ていた。

 

「つい最近までカタコンベに頻繁に出入りしているのを確認しております。パテル分派の諜報員を通じて分派内でも確認しましたがミカ様は何やら動きを見せているようです」

「……それについては既に理解しているので調べる必要はありませんよ」

 

 ナギサは思い出す。少し前にミカが話した内容を。それはトリニティが迫害した末に姿を消したアリウス分派との和解についてだった。ミカがそのような行動をとった事に対して意外だと思いつつもヴァルグレアという目下の脅威が存在する中でこれ以上のリソースを割く余裕はないとナギサは否定的な意見を出していた。それは現在療養中という事になっている百合園セイアについても同様であり、ミカを痛烈に批判したのだ。「今はもっと目を向けないといけない事がある。アリウスの子達には悪いけど今は構っている余裕なんてないよ」と。それ以来ミカがこの件を口に出すことはなかった。しかし、個人的に交流を続けていることは察していた為諦めていないのは理解していた。ミカ個人が何をしたとしても自由だと思っているナギサは特に何かしらの注意をする事はなかったし、これからもないだろう。

 

「ミカさんの不自然な行動は個人的なものから来るものでしょう。ヴァルグレアとは関係ありません。それよりも補習授業部です」

 

 補習授業部。阿慈谷ヒフミを部長に据え怪しいと判断した者達を囲い込んだ部活だ。名目上は学力向上を謡っているが最悪の場合はそのまま切り捨てる事が出来るように仕掛けが施されている。

 そうなればヒフミもまた退学となるだろう。しかし、ヒフミは元々成績は普通であり、補習授業部行きもテストをサボった事による赤点の結果であり、部長として学力向上を理由に復学させる予定となっている。ヒフミが裏切り者を見つけたり全員の白をきちんと断定できればそれでよし。出来なければヒフミを回収して残りを退学にする。そのために先生すら巻き込んで創設したのだ。

 

「何かしら怪しい動きはありますか? 確か今日は合宿初日でしょう?」

「怪しいと言われるとなんとも。彼女たちは個性的な集まりですのでどこまでが個性で、何処までが裏切り者としての行動なのか判断が難しいですので」

 

 諜報部の言葉にナギサは再びカップを口に付けて思案する。

 現時点で怪しいと思っているのは2名。浦和ハナコと白洲アズサだった。

 浦和ハナコは1年生の時点で秀才と言われ、様々な派閥から声をかけられていた。しかし、ある時期を境にその秀才っぷりは鳴りを潜め、露出等の変態的な行動を多く取るようになっていた。

 これがもし派閥からのスカウトに嫌気がさしたから、等の理由であれば納得は出来るかもしれないが極秘裏に掴んだヴァルグレアの情報には“処置化”令と呼ばれる罰則が存在しており、それによれば“人格や記憶を書き換えて別人のようにしてしまう”という。まさに浦和ハナコはそれに該当するとも言えるのだ。彼女ほどの秀才がヴァルグレアの手に落ちたというのであれば自由にしてはいけない存在だった。

 一方で白洲アズサは典型的な転校生と言える人物だった。多少の常識外れな行動をとるしまるで軍人のような動きをする事はあれど感性は普通の少女と変わりはない。

 しかし、それ故に怪しさがぬぐい切れなかった。何しろ彼女の前歴は一切不明になっているのだ。どこから転校してきたのか、出身地は何処なのか。トリニティに来るまでのあらゆる経緯がまるで存在しないかのように消されているのだ。

 こんなあからさまな経歴を持っていて疑うなという方が難しいだろう。加えて彼女の戦い方は訓練を受けた人の動き方であり、ヴァルグレアの諜報員のような存在ではないのかという大きい疑念を抱かせていた。

 どちらも断定する事は出来ない。しかし、否定する事も出来ない。ヴァルグレアという存在が彼女たちを疑わしくさせる。味方ではない以上最悪の事態を想定しないといけない。生半可な手は逆に自分達を苦しめる事になるだろう。

 

「……合宿所の監視を徹底してください。彼女たちがどのような行動をとっているのかは逐一把握し、毎日報告してください」

「……もし、裏切り者と思われる行動をしていた場合は?」

「監視です。決して手を出すことはなく監視と情報収集に徹底してください。そういった行動が罠という可能性も否定できないのですから」

「了解しました。直ぐに人員を選別して合宿所の監視任務に就かせます」

「よろしくお願いします」

 

 諜報部の生徒が部屋を後にする。一人、残されたナギサは三度紅茶を飲む。しかし、想定していたよりも少なかったためにあっけなく飲み切ってしまった。空になったカップを口から離し、底をのぞき込む。端の方に僅かに残った紅茶。それはまさにトリニティに巣くうヴァルグレアの魔の手に見えてしまった。いくらどれだけ飲み干そうとも完全に0にする事は出来ない。ましてや、実際にはここまで減らすことは出来ない。きっとカップから溢れんばかりにトリニティに巣くっている事だろう。

 

「……悠長にはしていられませんね」

 

 トリニティを守るためには何もかもが足りていない。情報も、相手の所在も、心の底から信じられる味方の数も。何もかもが。

 

 トリニティ総合学園は複数の学校が合わさって出来た学校だ。人員はヴァルグレア統制学院よりも豊富と言えるし総合的な力ではゲヘナすら凌駕していると言われている。

 しかし、それらが十全に発揮される事はない。陰謀、策謀、裏切り、諜報、陰口、いじめ……。白亜で美しい天使の通う楽園は醜く腐り切った権謀術数渦巻く魔境となっていた。

 故に、ナギサが行使できる力はあまりにも限定的だった。例えどんな指示を出してもそれが交付される頃には様々な思惑による改変、消去され、彼女の願いとは裏腹の物になっている事が多い。そんな学校で心から信用できる人物は果たしてどれだけいるか。それは部屋でただ一人、お菓子や紅茶に囲まれて政務を行うナギサの姿が物語っていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。