――迷宮第二階層。
「はぁ、はぁ……っ!」
ウィルは壁に背を預け、ずるずると崩れ落ちた。
足元には、先ほど仕留めた魔物の死骸が光の粒となって消えていく。
その魔素が、まるで拒絶反応のようにウィルの肌をチリつかせた。
(体が、重い……)
魔素は確かに取り込んでいる。
自分よりも格上の魔物を複数体倒したのだ。
既にレベルアップしてもおかしくないと思えるほどに取り込んでいる。
そのはずなのに、手足は鉛のように重く、視界は一向に晴れない。
「……まだだ。まだ足りないんだ」
ウィルは震える手で剣を握り直した。
脳裏に浮かぶのは、戦場を駆けるルナの背中だ。
一振りで敵を切り裂き、人々を救う眩すぎる光。
それに比べて、自分の剣はどうだ。
隙を突き、泥臭く立ち回って、ようやく一匹の獣を倒す。
(こんなの、強くなったなんて言えない)
レンの言葉は、焚き火の熱を奪うほどに冷ややかだった。
「資質の問題だけじゃない。彼自身の『心』が、自分をレベルⅠに縛り付けているんだよ」
「心が、縛り付けている……?」
その言葉の真意を測りかねていると、レンは面倒そうに前髪をかき上げた。
「レベルアップっていうのは、取り込んだ魔素を自分の血肉として、新しい自分に作り替えることだ。そのためには、ただ魔素を取り込めば良いって訳じゃない。その器たる精神の成長が不可欠なんだ。人によってそれは異なるけれど、彼の場合は明白だよ
「……何なのさ」
「自信、だよ。自分が強くなったという自覚と言い換えてもいい」
レンはこちらを指差した。
「君は自分が強いと知っている。だから取り込んだ魔素も、疑いなく自分のものとして取り込むことができる。だけど、彼はどうかな?」
「ウィルは……」
「彼は君という太陽を近くで見すぎた。君という絶対的な『正解』を基準にしている限り、彼は一生、自分を『未熟な人間』だと定義し続ける。自分の成長を、自分自身が拒絶しているんだ。そんな状態でどれだけ魔素を喰らっても、器が広がることは絶対にない」
「え……」
「皮肉なものだよね。君が彼を守ろうとすればするほど、その献身が彼の中に『自分は守られる側の弱者だ』という呪いを上書きしていく。君の輝きが強すぎて、彼は自分の足元に落ちている影しか見えなくなってるんだ」
「!!!……」
「君とあの少年は、大切な友達と聞いていたが、お笑い種だよ。お互いにお互いが相手の足を引っ張り合っているんだからね」
レンが嘲るように笑い声を上げた。
握りしめた拳が微かに震えている。
反論したいのに、できない。
レンの言葉が――私がウィルの足を引っ張っていたという言葉が、鋭い剣のように心を切り裂いていた。
「まあ、最も足を引っ張っていたのはそこだけじゃない「パン――!!!」」
「リリィ!?」
気づけば、いつの間にか目の前に立っていたリリィがレンの頬を引っ叩いていた。
「何するん「パン――!!!」」
「人の話を「パン――!!!」」
「お黙りなさい!」
レンが口を開こうとするたび、リリィが鋭い平手打ちを繰り出していた。
それは、彼女が魔法使いだということを忘れてしまうほど見事なものだった。
「先ほどから聞いていればネチネチと人の心の隙間を突くような物言い。良い大人のすることではございませんわ!」
「……ボクはまだ十八だ」
「 それでもですわ! 年齢など関係ありません!」
リリィは真っ赤になったレンの頬を指差し、さらに一歩踏み込んだ。彼女の剣幕に、さしものレンも毒気を抜かれたのか、数歩後ずさりして苦い顔をする。
「 相手を思っての助言なら、もっと別の言い方があるはずです。今のあなたは、ただ二人を嘲笑って愉しんでいるだけ。そんな高慢な態度、この私が許しませんわ!」
リリィの剣幕は凄まじく、周囲の空気さえも彼女の怒りに共鳴して震えているようだった。
「 ……ふん。魔法使いのくせに、随分と野蛮な特技をお持ちだ」
レンは赤く腫れた頬を手の甲でさすりながら、忌々しげに吐き捨てた。しかし、その瞳からは先ほどまでの冷酷な嘲笑が消え、どこか呆れたような、あるいはリリィの胆力に毒気を抜かれたような色が混じっている。
「 これ以上、私の仲間たちを貶めるような真似をしてみなさい。次は平手打ちだけでは済みませんわよ」
リリィの宣言は、冗談には聞こえない迫力があった。レンは肩をすくめると、ようやく口を閉ざし、視線を私の方へと向けた。
「ルナ。いつまでそんな情けない表情をしているのですか」
「リリィ……」
「言っておきますが、ウィルはあなたに縛られているだなんて、思っていません。むしろ、あなたの助けになりたいと心の底から思うからこそ、常に自分に厳しく上へ上へと――貴方へと追いつき、隣に立つために自分を奮い立たせているのです。その貴方が、彼に対し遠慮する方が失礼というものですわよ」
「…………うん、そうだね」
リリィの言葉は素直に嬉しかった。
けれど、なぜだろうか。
どこか引っかかる。
『まあ、最も足を引っ張っていたのはそこだけじゃない』
レンが先ほど言いかけた言葉が棘のように刺さって離れなかった。
――
「ここか」
襲ってくる魔物を討ち倒し、辿り着いたのは三層目の入り口だった。
冷たく、重厚な扉。
それまでの一層、二層目とは明らかに異なる重圧を感じる。
一瞬、スネイルさんの言葉が頭を過った。
『
『どういうことですか?』
『
三層は、
現状
これまで戦った二層の魔物を思い出す。
レッドゴブリン、スケルトンソルジャー、ロックウルフ。
リリィさんやスネイルさんからもらったアイテムを駆使して何とか倒すことができた。
けれども、どの魔物と戦っても、
それに、隠し
ゴーシュさんの情報では、三層の道中で
どの道、新たな剣を打ってもらうには
そのためにも、三層の攻略は必須条件だ。
焦っているのは十分承知している。
けれども、ここで安全策をとっていては、絶対に前に進めない。
意を決して、扉に手をかける。
扉はその重厚さ以上に重く、巨大に感じた。まるでこちらに来る資格はないとでも言うように。
「っ――――!!!」
全身全霊の力を込める。
最初はびくともしない。だが、魔力で身体を強化しながら少しずつ押していくことでわずかずつ開いていく。
やがて人一人が何とか入ることができる大きさまで扉を開くことができた。
その隙間に身体を折りたたむようにして何とか飛び込む。
固い地面の衝撃が、全身を叩く。
痛みで身体が強張るし、全身の力を使って扉を開いたために頭がくらくらして立ち上がることがやっとだ。
けれど、どうにか三層に入ることができた。
そこは、上層とは明らかに空気が異なっていた。
まず感じるのは、空気の冷たさ。
一層進むたびに地下深くへと進むため、太陽の光が届かなくなり気温は低くなる。
実際、一層から二層目に降りた際も同じことを感じた。
けれども、三層目の空気は明らかに違う。
明かりもなく、どこか血の混じった腐臭は肺から全身へと取り込まれ、否が応でも死への恐怖を感じさせる。
それは単なる温度以上に全身から温もりを奪っていた。
一歩進もうとしても、足に根が生えたように動かない。
指先が震え、その振動が剣へと伝わり、より一層自身への情けなさを感じさせた。
けれど、動かなければならない。
そうでなれば、僕は一生ルナの隣に立つことができないからだ。
「行くぞ」
深呼吸してから一歩を踏み出す。
一歩、また一歩と力を込めて。
最初は情けなく震えていた足も、だんだんと力強くなっていく。
――ぐしゃ
「え……」
けれども、僕は知ることになる。
理想と現実の壁を。
そして選ぶことになる。
このまま前へと進み続けるか、否かを。