――夢を見ていた。
何か泥のような黒い塊に襲われる夢。
見たこともないほどに巨大な塊。その中心からこちらを覗き込む赤い二つの光。
身体が金縛りのように動かなくなり、視界が反転してゆっくりと上へ上へと上がっていく。
何かに取り込まれているようであり、両足がぬめりと気色の悪い暖かさで一杯だった。
そして、上半身も全て取り込まれそうになったその時。
『うへぇ、気色悪ぃ……』
どこかで聞いたような少年の声が鼓膜を打った。
そして全身が炎に包まれたかのような熱。
次いで空間を震わせるほどの絶叫が周囲を支配した。
自身のものか、それとも泥の塊から出たのか分からないほどに大きなものだった。
熱による痛みが去ると、今度は暖かな湯に長時間浸かったような心地よさが全身を包み込んだ。
極度の疲労と緊張、そして激痛と急激な回復により急速に意識が遠のいていく。
そんな中、一つの言葉だけが不思議と耳に残った。
『――勘違いだったか』
「……ここは?」
目が覚めると、そこは見たこともない天井だった。
周囲を見渡そうとすると、首に激痛が走った。
怪我をしているのだと気づき、右手、左手、右足、左足、と四肢がしっかり動くことを確認する。
痛みがありながらも無事に動くことを確認し、自然と安堵の溜息を吐いた。
「――もう目が覚めたのだな」
不意に老人の声が、意識を現実へと引き戻した。
痛みに気をつけながら、声のした方向へゆっくりと振り向くと、そこには全身に巨岩のような筋肉を持った老人が立っていた。
「ガンセツ、将軍……?」
「意識ははっきりしているのだな。「神官の見立てでは、しばらくは全身に激痛が走り、まともに動くこともままならないだろうということであったが……」
「そう、何ですか……」
試しに肩をぐるぐると回したり、膝を曲げ伸ばししてみる。
やはり痛い。が、この程度なら許容範囲だ。
「痛みは全身に感じますけど我慢できないほどではありません」
「無理をしているようではないな」
「はい。これくらいルナ――勇者との修行に比べれば、特に痛くはありません」
「……勇者と修行、か。この郷の人間が聞けば泣いて羨むであろうな。具体的にはどのような修行をしているのだ?」
「基本的には、剣を使った模擬戦がほとんどです。お互いが殺す気で斬り合う。と言っても、僕の剣は掠ったことすらなくて彼に腕を斬られたり、骨をへし折られたり一方的ですけどね」
「……痛みに強いわけだな」
ガンセツ将軍は呆れたように溜息を吐いた。
その姿は、どこにでもいる老人のようで。
最初に出会った時のような荒々しい炎のような印象とはガラリと異なり、今は古い樹木のような安心感を覚えた。
「僕は、どうしてここに?」
「ジークじゃよ。先ほど
「そう、ですか……彼はどこに?」
「あ奴は再び修行に戻った。もうおらんよ。全く、普段から真面目にしていれば良いものを」
ガンセツ将軍は少しだけ不機嫌そうに鼻を鳴らした。
けれど、今はジークが修行に戻ったという言葉が心を捉えて離さなかった。
「僕も早く修行に戻らないと……」
「やめておけ。不死鳥剣の力で傷は癒えてはいるが、身体への負荷は蓄積している。ここで無茶をすれば取り返しがつかなくなるぞ」
「無茶は承知の上です」
痛みを無視してベッドから足を下ろす。
立ちあがろうとした僕の肩を将軍が掴む。
巨岩が乗ったような重圧が両肩にかかる。すごい力だ。
「離してください。そもそも、貴方が僕を認めないと言ったことが始まりじゃないですか!」
思わず声を荒げてしまった。
さらに力が加えられると思ったが、肩への圧力が急激に弱くなった。
突然のことに逆に心が落ち着いてしまった。
こちらを見つめる将軍の瞳は、これまでに見たことがないほど穏やかなものだった。
「……なぜ儂がそのように言ったか分かるか?」
「僕の
「それもある。しかし、一番の理由は『枠』じゃよ。勇者一行は常に四人までと定められている。その枠に入るには、お主はあまりに力不足だと思ったんじゃ」
「枠……?」
「何じゃ、知らなんだのか……いや、敢えて教えなんだのかもしれんな」
将軍は思案するように顔の傷を人差し指で何度かなぞった。
息を吐き、まるで教師のような表情となる。
「勇者一行は、勇者、神官、魔法使い、戦士の四人と定められている。その理由は分かるか?」
「……大軍だと目立つからですか?あとは、僕みたいに弱い人間がいると足を引っ張るから?」
しばらく考え込んでみたが、これくらいしか思いつかない。
むしろ、仲間に関してはもっと多くても良いのでは、と疑問に思っていたほどなのだから。
「それもある。だが、最も大きな理由は仲間割れを防ぐためじゃよ」
「仲間割れ?」
「ああ。その昔、勇者一行はもっと大所帯じゃった。各主要都市からは、複数名の優秀な人材を推挙しその者たちは、栄誉を持って讃えられ勇者一行は、今よりももっと多くの戦果をあげていた」
「問題はないようですけど」
「じゃが、そこからが問題じゃった。優秀な人間というものは、往々にして傲慢になりやすい。そして、そのような人間は大所帯になればなるほどに増長し、争い、時には裏切り者が出る事態にまで発展した。そのため、ある時代を境にして勇者一行は初代にあやかり、四人までと定められるようになったのだ」
「そんな……」
「だからこそ、勇者一行の仲間という地位は、より一層の栄誉を讃えられるようになった。各主要都市での選抜はより熾烈を極めるようになった。中でも、ここアスラの郷ではそれが顕著であった。新たな勇者が誕生するたびに、力ある若者が選出され、競い合った。そしてそれは段々と過激になり、時には友や兄弟間で殺し合いをするほどになった……かく言う儂もその一人じゃ」
「将軍も、かつては勇者一行の戦士だったのですか!?」
「いや、競い合いはしたが儂は選ばれなんだ。勝ち抜くことができなかったんじゃよ。勝ち抜いたのは、弟じゃった」
「その方が勇者一行の戦士に。強かったんですね」
「いや、逆じゃ。弱かったよ。あの選抜に選ばれた誰よりも弱かった」
「えっ……」
「じゃが、その意思の強さ。必ず戦士となって魔族から人類を救うという意志は誰よりも強かった。そういった意味では、お主に少し似ているやもしれん」
将軍は目を細め、僕を見つめた。
まるで、背中に誰かを幻視しているかのように。
「弟に負けた時、信じられなかったよ。儂はそれまで誰かに一度でも負けたことがなかった。同世代は勿論、大人にさえ儂より強い者はいなかった。周囲の者は、皆儂が選ばれると思っておったし、儂自身それを信じて疑わなかった。だが、弟は意思の力一つでそれを跳ね除け勇者一行の戦士となった」
「その方は、どうなったんですか?」
「……死んだよ。旅に出てすぐに勇者を庇い、戦死した。あっけないほど、簡単にな」
「……」
将軍は、少しだけ目を背け外へと目を向けた。
その瞳はわずかに潤んでいるようにも見えた。
「ウィル。お主が並々ならぬ思いでこれまでの旅を戦い抜いてきたことは分かる。それに見合うほどの修行を積み、困難を乗り越えてきたこともな。だが、この世は意思の力だけではどうしようもないことがある。奇跡は、永遠には続かないからこそ奇跡なのだ。だからこそ、ここで旅を終わりにせぬか?」
「嫌です。僕は決めたんです。ルナ――勇者の友達として、その隣に立ち続けるって。ここで僕が逃げれば、彼は一人ぼっちになってしまいます。それは、それだけは絶対にしたくないんです」
「……そうか」
将軍は息を吐いた。
先ほどまで張り詰めていた空気が緩み、やや老けて見えた。
いや、むしろこれまでが無理をしすぎていたのかもしれない。
「何となく、そんな気がしておったよ。お主は、死んだ弟に何処か似ておる」
「すみません。心配してくださっているのに」
「よい。元より弟と君を勝手に重ねているのはこちらなのだから。それより、儂からも先日の非礼を詫びさせて欲しい。すまなかった」
将軍が頭を下げた。
慌ててやめてください、と懇願した。
「傷がもう良いのであれば、仲間たちのもとへ行きなさい」
「はい」
持ち物を返還され、再び装着していく。
最後にレンさんから借りた剣を抜き、状態を確かめる。
剣はその頑強さを示すように、刃こぼれ一つしていなかった。
よかった。借りた剣に皹でも入ったら、大変だ。
剣を腰に納め、将軍へと振り向く。
すると、将軍の目は大きく見開かれ、一点を――腰に下げた剣を注視していた。
「馬鹿な――その剣は」
「将軍?」
「お主、レンを――儂の息子を知っているのか?」