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隠し階層の出口となる魔法陣が、ひび割れた大地を白く染め上げる。
次の瞬間、世界が暗転する。
上下左右。
全ての感覚があべこべになるような奇妙な感覚に目を開けていられない。
何とか耐えようとして目を閉じる。
そしてしばらくして目を開けると――
「ウィル……っ! ご無事でしたか!」
悲鳴に近い声を上げて駆け寄ったのはリリィさんだった。そのすぐ後ろで、スネイルが真剣な様子でこちらをじっと見つめていた。やがて、命に関わるような深傷を負っていないことを確認し安堵に息を吐きながら、傷の深い場所から順に治療を行ってくれた。
全身、泥と返り血に塗れ、立っているのが不思議なほどの重傷。だが、視界に映る世界は数刻前と比べてずっと澄んで見えた。
ふと、心配してくれているリリィの肩越しに目が止まる。
そこには、ルナがいた。
彼女はウィルの姿を認めた瞬間、弾かれたように駆け出そうとした。その瞳には、今にも溢れそうな情動が渦巻いている。
けれど。
「……っ」
ルナは、まるで透明な壁にぶつかったかのように、不自然に足を止めた。
伸ばしかけた指先が、行き場を失って虚空を彷徨う。
彼女は唇を白くなるほど噛み締めると、一度も振り返ることなく、逃げるようにその場を去っていった。
「ウィル、その……ルナは、決してあなたを……」
「分かっています」
ルナが申し訳なさに顔を歪め、リリィさんが弁解しようと口を開く。
そんな彼女に向けて安心させるように微笑む。
「良いんです。分かってますから」
「!……ウィル、あなた……」
その穏やかな声に、リリィさんは言葉を失っていた。
今までの自分なら、ルナの拒絶に絶望し悲壮な顔をしていたかもしれない。
けど、大丈夫。
確かに胸が痛まないと言えば嘘になるけど、前にはなかった芯のようなものが心を支えてくれていた。
リリィさんがなおも言及しようとした、その時。
「――へぇ。生きて帰って来れたんだ」
人を喰ったような軽薄な声と共に一人の男が歩み寄ってきた。
レンさん。
この郷、いやこの国随一と言っても過言ではない鍛冶屋の視線が鋭い眼光で僕を射抜く。
姿勢や剣の扱いは勿論、重心の置き方、指先の僅かな弛緩。全てを見透かされるような不思議な感覚だった。
「ふぅん、ただ生きて帰ったわけじゃないみたいだね」
「……レンさんには、何でもお見通しですね」
ウィルは苦笑し、懐から「それ」を取り出した。
ドクドクと脈打ち、周囲の魔力を貪り食うように輝く、透明な宝石。
「これを。僕を模倣した、
レンの眼光が、かつてないほど鋭く細められた。
横から覗き込んだスネイルさんとリリィさんが、魔石から放たれる異様なプレッシャーに息を呑む。
「泥人《シェイプシフター》だと……!? 」
「ウィル、一人でこんな化け物を……?」
驚愕する二人を余所に、ウィルは、その脈打つ魔石を両手で捧げ、レンへと差し出した。
「お願いします、レンさん。これを使って……僕の新しい剣を、打ってほしい」
もはや迷いはない。
ただ守られるためではなく、ましてや彼女に追いつくためでもない。
恋した少女の隣で、共に戦い抜くために。
「……どうやら、多少はマシな剣士になったみたいだね」
レンさんは無造作にその魔石をひったくった。
澄んだ瞳がその内に秘める魔力を見定めているようだった。
やがて、口角がわずかに上がった。
「いいよ。素材としては申し分ない。何より、泥人の素材で打った剣なんて、最高にゾクゾクするじゃないか」
「レンさん、あともう一つお願いが」
そうして取り出したのは、鞘に包まれた剣――折れてしまった、僕の剣だった。
「これも素材に使えませんか?」
レンさんの眼光がギラリと光った。
怒ったようにも見える。というか、実際に怒っているのだろう。
関わったのはわずかな日数だが、レンさんが自分の仕事に誇りを持っていることは十二分に理解できた。
仕事に関して、他人の指図を受けたくないのだろう。
けど、これだけは何としても譲れなかった。
「その剣は前に見た。確かに良く手入れされている。作りも、そこらの安物じゃない。けど、上物でもない。ハッキリ言おう。他の素材を使った方がより美しく、素晴らしい剣になる。君だってもっと強くなりたいんじゃないの?」
「構いません」
はっきりと、レンさんの瞳を見ながら意志を伝えた。
わずかにレンさんの瞼がぴくりと揺れる。
「僕は強くなることに固執しすぎていました。そのために剣も変えて、戦い方も迷って。でも、もっと大切なことがあると気づきました」
「大切なもの?」
「はい」
その先を言おうか、少しだけ迷う。
だけど、泥人の魔石を見た時にその迷いは無くなった。
「愛です。人は大切なものがあるから、強くなろうと努力できるんだって改めて理解しました。その気持ちを無くせば、多分どこかで躓いてしまう。僕にとっては、ルナが一番大切ですけど、今まで一緒に戦ってくれたこの剣だって大切な相棒なんです。だから、この剣と一緒に戦っていきたいんです……!」
お願いします、と剣を床に置き、手と頭を地面に擦り付けた。
「…………」
沈黙。
レンさんは何も言わない。
だけど、眼を見なくても首筋に突き刺さるレンさんの視線が彼の心情を表していた。
駄目か……
諦めかけたその時。
「嫌だね…………君の言葉だけなら、そう言っていたよ」
レンさんは床に置いた折れた剣を手に持ち、ゆっくりと口を開いた。
「剣に感謝することだね。
「!――それじゃあ」
「ああ、いいよ。少し時間を貰うけどね」
「ありがとうございます……!!!」
去っていくレンさんに再び頭を下げた。
鬱陶しそうに手を振りながらレンさんは足早に去っていく。
その姿が見えなくなるまで、いつまでも頭を下げていた。
「ウィル、良かったですわね」
リリィさんが拳を握り、笑顔を見せてくれた。
はい、と頷き彼女へと向き直る。
当座の課題は何とかなった。
けど、ジークとの戦いに向けて、まだまだやるべきことがある。
そのためにも、まずは――
「リリィさん、少し話があるんですけど――」
※
「おや、ウィルさん。お帰りなさいませ。その様子だと、隠し階層を攻略されたようですね?」
リリィさん達との話し合いが終わり、夜になったのでスネイルさんから食事に誘われたがそれを断って僕はゴーシュさんの元を目指した。
彼とは、待ち合わせ場所など事前に決めてはいなかったし、どこにいるかも分からなかったが、こうして一人になれば向こうから来る。
その予想の答えは、目の前から歩いて来た。
いつも通り足を引きずりながら。
いつも通りの古びた外套を纏いながら。
いつも通りのにこやかに微笑みを浮かべながら。
彼はいたっていつも通りだった。
ゴーシュさんの問いかけには静かに頷き、隠し階層を攻略したこと、そしてそこに
「なんと!隠し階層の仕掛けを起動したばかりか、その主である泥人まで倒してしまうとは……!素晴らしい成果ですね」
ゴーシュさんは手を叩いて称賛していた。
その姿は、本当に僕を称賛しているように見える。
けど、あまりに自然な姿だからこそ逆に不自然だった。
「ゴーシュさん」
「はい?」
「何か聞くことはないんですか?」
「何か、とは……?」
あくまで微笑みを讃えながら、彼は首を傾げていた。
この後及んでも、動揺一つ見せない彼の精神力には感心すら覚えた。
「隠し階層の攻略法や、泥人の倒し方、そして何より隠し階層に何が秘められていたのか、ですよ」
「ああ、そうでしたそうでした。ウィルさんの無事が嬉しくて情報屋として、何より大事なことを失念していました」
「惚けないで下さい。あなたとは短い付き合いでしかありませんけど、あなたが一流の情報屋ということは理解しているつもりです。そんなあなたが、何よりの宝である情報収集を怠っていた、なんて信じられません」
「買い被りですよ。アタシはしがない情報屋に過ぎません。そんな凄腕ならば、こんな格好などしていないでしょ?」
彼は自嘲するように笑みを浮かべて自身の着古した衣服をはためかせた。
初めは、彼の姿を見て不気味には思っても、凄腕の情報屋とまでは思わなかった。
彼の言動も、姿も、衣装も全て演技なのだろう。
けれど、どんなに上手く演技できたとしても、その情報の質だけは誤魔化せない。
「本当は気づいていたんじゃないですか?」
彼の言葉を無視して、会話を続けた。
「何をですか……?」
「隠し階層の攻略法です。あれは、今までどんな戦士や冒険者が挑んでも、泥人が現れることがなかった。僕が――レベルⅠの挑戦者が一人で現れた時に初めて仕掛けが起動した。つまり、それこそが攻略の鍵だった」
「はっはっは。考え過ぎじゃないですか?」
「なら、どうして
「…………」
初めて、彼の笑みが止まった。
「普段、あれほど対価に固執するあなたが
「仮に」
低く、爛れた声が空気を震わせた。
はじめ、そんな声がゴーシュさんから出ていることに気づかないほどに空気が違う。
「仮に、ウィルさんのおっしゃる通り隠し階層に誘導したとしましょう。しかし、それが何の不利益になったのですか?」
彼の言葉は正しい。
騙されたとはいえ、元々隠し階層に危険があったのは承知の上だ。
むしろ、彼のおかげで隠し階層まで辿り着けただけでなく、泥人と戦い強くなるだけでなく新しい剣の素材も手に入れることができた。
だけど――
「問題ならあるでしょう?結果的に上手くいったとはいえ、あなたが僕を騙したことは事実だ」
「騙したなど人聞きが悪いですよ。アタシはただ」
「必要な情報を黙っていただけ、ですよね」
それもまた正しい。
情報屋として、対価を支払ったにも関わらず間違った情報を流したというならば問題だが、対価もなしにもらった情報を鵜呑みにし、それ以上の事実確認をしなかったのは、こちらの落ち度だ。
彼だけを批判することはできないだろう。
だから、ここから揺さぶる。
笑みを浮かべる。
泥人のムカつく笑みを思い浮かべながらできる限り親密な態度で。長年の友人のように。
「僕はそのことについては、こちらの落ち度だと思っています。けど、
「……脅す気、ですか?」
「それこそ人聞きが悪いですよ。ただ、そうですね。お願いを聞いて欲しいだけなんです」
「ジークの情報、ですか?」
「……さすがですね」
「見くびらないで下さい。要望通り、ジークの戦い方やその癖、弱点など一通りの情報は――「ああ、いえ違います」……は?」
いや、違う訳ではないのだがそれだけじゃ足りない。
戦いに関する情報は大前提。
知りたいのは、もっと奥だ。
「彼の出生から今日に至るまでの来歴。趣味嗜好や家族構成、友人、恋人はもちろん夢や悩み、何のために戦うのかなど彼を構成する全ての情報が欲しいんです」
「……そんなことが戦いに勝つ上で必要なのですか?」
「はい。ジークの全てを知って初めて彼の大切なものや目的が見えてくる。そこから逆算すれば、奴を崩しやすくなるでしょ?」
ゴーシュさんの表情から、初めて笑みが途切れた。
そして少しだけ目を開きこちらを見つめる。
まるで、初めて会う人間を観察するようだった。
そして――
「ク、ク、ク。人一人分の情報。それを試合までの数日でとは、大した要求ですねぇ。なるほど。普通に対価を払えば、金貨十枚でも足りない」
「でも、できますよね」
「ええ、ええ。勿論情報屋の誇りに賭けてね」
ク、ク、ク……
となおも笑いを噛み殺しながらゴーシュさんが背を向けて歩いていく。
その足がふと止まった。
「ウィルさん。一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
「?……何ですか」
「アナタ、迷宮で何か変わりました?」
「……少しだけ。自分自身と向き合いましたから」
「そうですか、なるほど。それは変わるわけだ」
そう言い残すと、彼は満足そうに夜の闇へと消えていった。
――