おかしい。
何度目かの攻防の末、ジークの脳裏には小さな違和感が積み重なっていた。
剣を交えるたびに、手のひらから伝わってくる重み、速度。それらすべてが、ウィルと寸分違わず「互角」なのだ。
ただ
それ自体は、相手の修行次第で往々にしてあることだ。
だが、ここまで剣を振るう力や速度といった戦闘に関わる能力地が互角に感じることは今まで経験したことがなかった。
まるで、鏡に映った自分を相手にしているようだ。
(まさか……!)
ジークは鋭い視線を、ウィルの新たな剣へ――その核となった魔石へと向けた。
今まで見たことがない透明な刀身。透き通るような光は、どこか妖しく、人を惹きつけてやまない。
ジークの記憶が刺激される。
巷で囁かれていた、信じがたい噂。
今まで誰も立ち入ることすらできなかったダンジョンの隠し階層。その秘密を解き明かし、最奥に潜んでいた
聞いた当初は、酔っ払いの法螺話だと聞き流していた。
あの隠し階層には、自分も何度も何度も訪れた。
思いつく限り様々な条件を試し、その度に失敗し、遂には目的のものは何もないのだと失望し諦めた。
だが、もしそれが事実だとしたら。そして、その中に潜んでいたのが、古の伝承に名高いあの魔物だったとしたら。
思考が繋がった瞬間、ジークの背筋に冷たいものが走った。
泥人。対峙した者の「理想」を正確に模倣し、具現化するという伝説の魔物。
もし仮にその事実が本当だとすれば、あの妙な剣の核に使われているのは、間違いなくその泥人の魔石だ。
理想を模倣する魔石の力。それを武器に加工したのだとすれば、引き出される能力は一体何か。
(まさか……。そんな馬鹿げた能力があるはずが――いや、もしそうなら合点がいく)
対峙した相手の
ジークの額を、一筋の冷や汗が伝い落ちた。
(……待て)
背筋を駆け上がった戦慄を、ジークは強靭な理性でねじ伏せた。
(もしそうなら、おかしな点がある)
泥人の魔石を剣の素材に使っている。その仮説自体は、おそらく核心を突いているはずだ。でなければ、ウィルの急激な成長の理屈が通らない。
だが、もしその能力が「相手のレベルを完璧に模倣する」ものだとしたら、違和感がある。
古の伝承において、泥人という魔物が真に恐れられたのは、単に相手と同じ強さになるからではない。対峙した者の「理想」を読み取り、その身体能力、魔力、果ては剣技の技術に至るまでを、完全に『上回る』形で模倣するからだ。
(なら、俺と互角に戦えていること自体がおかしい。俺はとっくに圧倒され、地を這わされていなければ辻褄が合わないはずだ)
現に、ウィルは互角に戦えてはいるが、圧倒しているわけでもない。
あくまでも、鏡を合わせたような互角の力に留まっている。
(考えられる理由は二つ……いや、三つか)
持ち主であるウィルが、まだ新しい剣の力を完璧に使いこなせていない。
あるいは、模倣できる
もしくはその両方か。
伝説の魔石といえど、扱うのはしょせん人間。器以上の力は引き出せない。つまり、あの剣は真価を発揮できていない。
ジークの唇の端が、冷酷に吊り上がった。
不完全な力。ならば、恐れる必要など万に一つもない。
(いずれにせよ、叩くなら――今だ……!)
ジークの全身から、それまで抑え込まれていた濃密な殺気が爆発的に膨れ上がる。
魔力を集中させ、剣に込める。
剣が魔力に応えるように、刀身から炎が巻き上がった。
炎はやがて無数の小さな塊へと分裂し、やがて天へと昇っていく。
「剣の力とはいえ、ここまでよく凌いだ。だが、ここまでだ――燃え尽きろ、ウィル!赫の八――赫灼の雨!」
上空から降り注ぐ、命を刈り取る紅蓮の豪雨。
ウィルは咄嗟に剣で捌こうとするが、細かく分裂した炎の雨全てを剣一本で防ぐことなど到底不可能だ。
それを裏付けるように捌ききれなかった炎がウィルの身体を貫いていく。
微かに呻き声を上げるウィル。
それでも、痛みを感じないのか、それとも単に痩せ我慢しているのか、ほとんど動きを止めず逆にこちらに接近してくる。
「何とか内臓は避けたか。なら、これはどうだ。赫の十――赫蛇」
地を這う炎の蛇を複数体生み出しウィルへと向ける。
一匹一匹の殺傷性は低いが、その分すばしっこく、そしてしつこい。
赫灼の雨、赫蛇。
この二つは、多くの技の中でも特に遠距離の敵を倒すことに特化している。
そしてそれは、そのままウィルという剣士の弱点でもあった。
わずかに雷の魔力を使えるとはいえ、ウィルはほとんど純粋な剣士だ。
そしてその弱点というのは、どの時代どの国の剣士も共通している。
すなわち、 遠距離攻撃の手段を持たない。
奴には二つ手段がある。
一つは距離を詰めて戦う。
しかし、この弾幕ではそれも難しいだろう。
二つ目はこちらの魔力が尽きるまで防ぎ続ける。
こちらの魔力にはまだ十分に余裕がある。それに、今の攻防からしてこちらの魔力が尽きるよりも先にウィルの体力が尽きる。
どちらにせよ。勝ちは揺るがない。
――剣で打ち合え!
――俺たちは戦士の戦いを見てるんだ!魔法使いの戦いを見にきたわけじゃねえぞ!
派手な炎の攻防に湧き上がる観客に混じって、そんな野次がかすかに聞こえてくる。
(黙って見てろ……!)
しかし、これまでも同じように野次を飛ばす者は一定数いた。
戦士の戦い方じゃない。
誉ある戦いをしろ。
古臭い伝統を尊び、心無い言葉を容赦なく浴びせてくる。
ジークは戦士であるが、剣一辺倒の戦い方はすでに時代遅れだと感じていた。
確かに、身ひとつ剣一つで多くの敵を打ち払う戦い方は痛快だろう。心が躍るだろう。何より、憧れるだろう。
だが、実際に戦う者からすればたまったものじゃない。
それよりも、大事なのは命。負けないことだ。
命を賭けた戦いが日常であるこの世界の奴らは、そんなことも分からないらしい。
――がんばれ、ジークお兄ちゃん!
――そんな奴やっつけろ!
――気をつけて、無理しないで!
そんな罵声に紛れ、大人にしてはやや甲高い声が聞こえる。
チラリとそちらを見ると、興奮に沸き立つ大人に負けないように必死で観客席に身を乗り出し、応援してくれる子供とそれを必死で止めながら声を張り上げる仲間の姿があった。
戦士の郷と謳われるほど、生粋の戦闘狂が集まるこの郷においても、あぶれ者はいる。
それが、彼らのような戦いを恐れる者たちであった。
強さこそ至上という考えを持つ大半の郷の人間にとって、戦いを恐れる者は人間ですらない。
多くの者が疎まれ、虐げられ、排斥された。
そんな者たちを一人一人集め、居場所を作った。
この世界に居場所がないなら、作ればいい。
他ならぬジークがそうであったのだから。
だからこそ、気は進まないがこの戦いに勝ち、勇者一行の戦士となって、魔王を討つ。
そうすれば、自分たちの居場所ができると信じて。
「赫の十六――大翼」
不死鳥剣に自身の魔力を喰わせ、剣に封じられた不死鳥アーグアの意識を呼び起こし、それと自分を同調させ力を引き出していく。
炎はやがて確かな形を伴い、背中から不死鳥を思わせる一対の炎の翼が湧き上がった。
その翼で力強く羽ばたき、両足が地面から離れてふわりと浮かんだ。
これで奴は、もう俺に触れることもできない。
息を吐く。
全身の魔力を剣に集中させる。
その魔力に呼応するように剣が黄金に輝き、太陽すら焼き焦がす灼熱が迸る。
「赫の極――煌剣」
天まで届くかと見紛うほどの巨大な黄金の剣。
その大きさに。
その熱に。
そして何より、凄絶なまでのその輝きに。
観客は魅了され、先ほどまで野次を飛ばしていた者たちでさえ、その輝きに畏敬の念を抱いていた。
応援してくれた子供の何人かは、その剣に対して少しだけ怯えたような表情を見せる。
その子供を安心させるようにウィルから視線を外し、少しだけ笑いかける。
ほっとしたように安堵すると、大きく拳を突き出し大きな声で声援をあげていた。
それに応えるように笑顔を返し、そしてその切先を奴に向け――!!!???
――どうして、笑っている……?
敵は空中に舞い上がり、自分の攻撃は届かない。
一方的に攻撃され続け、このままでは敗北が確定するというこの絶望的な状況。
にもかかわらず、その瞳は爛々と輝き、口角は弧を描いてその口からは剥き出しの犬歯が光を反射していた。
自暴自棄になっているわけじゃない。何か狙いがあるのか……?
※
ふぅ、と息を吐く。
対峙するジークは、剣の能力を解放しこちらの剣が届かない空中に舞い上がり、以前に一度見せた技を繰り出そうとしていた。
あの技の威力は見に染みている。
直撃すれば、それで勝負は決する。
それどころか、命すら危ないかもしれない。
だというのに、心はどこか弾んでさえいた。
(おかしいのかな……?)
あれほど戦いや人殺しという行為に恐れていたのに、今では楽しんでさえいる。
……いや、違う。
多分僕が怖かったのは、戦いじゃない。
それを楽しいと感じる自分と、何よりそんな自分がルナに嫌われたらと思うと怖かったんだ。
けれど、泥人との戦いで、自分という人間と改めて向き直り、その本質を――ルナへの好意を自覚してから全てが変わった。
剣を握る力が変わった。
戦う姿勢が変わった。
思考の質が変わった。
そして何より、最も変わったのは――
剣を構える。
ルナのように上段に構えるのではなく、少し下に下げた形に。
魔力を練り上げる。
ルナのように激しい怒りを迸らせるのではなく、冷静に薄く薄く研ぎ澄まして。
泥人と戦い、彼の雷鳴剣を見て思ったことがある。
――ああ、これは自分には不向きな技だ、と。
確かに形だけなら模倣できるようになるかもしれない。
弛まぬ鍛錬と、これからある未来を注ぎ込めば、習得自体はできるかもしれない。
だが、そうして会得したであろう泥人の雷鳴剣はルナとは似ても似つかないお粗末なものだった。
魔力を練り上げ、技を放つまでの隙が大きい。
放った後の魔力消費が著しく、日に二発打つのが精々。
何より、そうまでして放つ割にその威力はルナのそれとは比べるまでもなく弱い。
はっきり言って、実用性の欠片もない技だった。
ルナはもう、憧れではなく好きな女の子だ。
なら、目指すべきは彼女の剣ではなく彼女を守ることができる男の剣なのだ、とあの戦いで決意した。
そして、その時からある予感があった。
ルナよりもあの男の剣技に適性があるなら、その魔力属性ももしかしすれば、と。
だから、隠し階層から生還したすぐ後にリリィさんに相談し修行を開始した。
そして、会得した技こそが――
はるか上空で、こちらを睨みつけ技を放とうとするジーク。
恐らく彼なら、こうして来ると思った。
ゴーシュさんの情報から、彼自身が命を賭けた戦いや、戦士の考えを嫌悪していること。
何より決して危険なことはせず、常に安全を確保した立ち回りをしているということを知った。
その彼の相貌を見て、思う。
――本当に戦いが嫌なんだって。
以前戦った時は実力差がありすぎて気づかなかったが、今ならわかる。
その表情は、今からトドメを刺そうとしているにも関わらず苦悶に歪み、剣を握る手は微かに震えている。
この距離であれば、こちらに攻撃手段はなく安全と踏んでいるからこそ、彼は多くを考え、悩み、迷っている。
平時であれば彼の悩みは正しいが、戦いの場では明確な油断でしかない。
そして、この技に距離は関係ない。
想起するのは、あの男。
鍛え上げられた肉体に、錬磨された剣技。
認めたくはないが、あれこそが僕の剣技の理想にして完成系。
剣に迸る雷ではなく、薄く薄く研ぎ澄ませた風を纏わせる。
この技に距離は関係なく、ただ僕は相手をなぞるように振り抜けば良い。
それだけでこの剣は、無慈悲な死神の鎌になる。
「――偽・風烈剣」
その瞬間、風は凪ぎ、空間が裂けた。