エマ―その血の名前―Two in One, the Red Destiny Kamen Rider 作:裕ーKI
【経過観察――96日目。12回目の実験を開始――】
勤務時間を終え、店を出た頃にはすっかり日は沈んでいた。
疲れた体は、最近になってようやく住み慣れた自宅の安らぎを求めて、月明かりと街灯りが交差する夜道を歩む。
普段から外出の際に使用しているオフロードバイクは、現在車検を依頼したディーラーに入庫中のため、あいにく今は手元にはない。そのため深は、昨日今日と徒歩で職場と自宅の間を行き来していた。
とはいえ、実のところ深自身は、歩くこと自体はそれほど嫌いではない。
特に今日のように空気がカラッとしている夜の日は、頬を優しく撫でる夜風が心地良く、歩く足取りも自然と軽やかになる気がした。
月明と街灯が織りなす淡い光の中、川沿いをなぞるように石畳の歩道が真っ直ぐと続いている。
昼間は散歩やジョギングを楽しむ人々で賑わうこの道も、夜ともなれば人影もまばらで、ひっそりと静まり返っていた。
時折遠くから聞こえてくる車の走る音、それから傍を流れる川の調べに耳を傾けながら、深はゆっくりとその石畳を踏み締めていく。
頭の中は既に、帰宅した後のことばかりでいっぱいだった。
食欲とインスピレーションを刺激する職場にいる間、ずっと密かに構想を練っていた自分なりのアレンジ料理の試作に意欲を燃やしたり、或いは、自宅のベランダで自家栽培している小さな野菜たちの発育に気を掛けたり、と。
するとそんな時、心和む静寂を破るように、不意に楽しそうな男女の話し声が聞こえてきた。
「ねえ見て。あの星の光だけ、なんだか大きく見えない? ひょっとしてあれ……レグルスじゃない?」
「レグルスって……確かしし座の? っつうかお前、意外と星に詳しいのな?」
深が何気なく顔を上げると、前方から一組のカップルが歩いてくるのが見えた。
月明かりを背に、寄り添い合うように肩を並べて夜空を見上げながら、互いの話に笑い声を上げている男女の姿。
一見すると、どちらも年齢は20代後半。
男性の方は白いシャツに青のジーンズ、そして黒のスニーカーというラフな格好をしているが、片や女性の方は、きっちりとしたブラウスに膝丈のスカート、パンプスといった装いで、明らかに仕事帰りだとわかる服装だった。
「悪い? これでも私、根はロマンチストなんだから?」
「ロマンチストぉ? よく言うぜ。そういう演技が上手いだけだろ~?」
「は? 演技じゃないし」
「どうだか。なら試しに、乙女チックな顔で願い事でもして見せろよ? ほらほら? 宇宙に夢を、星に願いを……ってな」
「ちょっとなによそれ? あんまり調子に乗ってると蹴り飛ばすわよ?」
そう言いながら、既に女性の方は彼氏の尻にゲシゲシと可愛らしい蹴りを入れていた。
男性の方もわざとらしく痛がる素振りを見せ、2人の間には弾んだ声が行き交い続ける。
せっかくの思索のひと時を中断されたのは残念だったが、それでもその微笑ましい雰囲気に、深の口元は無意識に緩んでいた。
まるで視界を流れる景色に溶け込むように、カップルの2人は深に視線を向けることもなく、彼の横を通り過ぎていった。
ところがすれ違ってすぐに、逆に深は気づいてしまった。
カップルの1人――女性の顔に見覚えがあるということに。
「あれ……? あの人って確か……昼間の……」
思わず振り返りながら、深は記憶を辿り、そして確信を得る。
黒髪のポニーテールにピンクのシュシュ。そして忘れもしないシャープな目元。
間違いなく今日の昼間、バイト先のファミレスに来店したOLその人だった。
昼間の店内では、多少不可思議な行動をとりつつも、それ以外はきっちりとした“1人の客”として振る舞っていた彼女が、ここでは彼氏相手に無邪気に笑って冗談を言い合い、その上、挙句の果てには遠慮なく尻を蹴っている。
その想像だにしない一面を前に、まるで見てはいけないものを見てしまったような気持ちになってしまう。
無意識に熱が集まり、赤らんでしまった頬を隠さんばかりに、深は慌てて正面へと向き直る。
幸い、向こうはまだ自分の顔に気づいてはいない。
知られる前に急いでこの場を離れてしまおう。そう考えた深の歩調は自然と早まっていった。
ところがその矢先、事態は急変した。
「きゃあああああああああッ!!!!」
突如として背後から耳に届いた女性の悲鳴。静寂を切り裂くようなけたたましい絶叫が、その場の空気を瞬く間に一変させたのだ。
両肩をビクリと跳ねさせながら、反射的にその足を止めた深が、何事かと再び背後を振り返った次の瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、傍から見れば異質としか言いようのない光景だった。
先刻、彼氏と一緒に楽しげな雰囲気を醸し出しながら深の横を通り過ぎていったOLの女性が、今では打って変わり、腰を抜かして石畳の上にへたり込んでいる。
そして、恐怖に引き攣った顔で彼女が見上げているのは、明らかに人間とは異なる生物。
傍にいたはずの彼氏の姿が消え、代わりに現れた筋骨隆々の怪人が、じりじりと彼女の許へとにじり寄っていた。
多足類の腹側のようにも見える形状に隆起した上半身の筋肉。岩肌のような灰色の分厚い皮膚の表面には、無数の黒い血管が不気味に浮かび上がっている。
漆黒に染まった左右の前腕。長く先鋭に伸びた指と爪。
下半身は人間のものと思わしき青いジーンズに覆われているものの、背面に生えた8本の肢から察するに、怪人の持つ固有の特性は――恐らく蜘蛛。
鬼にも悪魔にも見える凶悪な形相で、今にもOLの女性に襲い掛かろうとしているその姿を目にした瞬間、深の体は本能に突き動かされるように、猛然と駆け出していた。
「危ないッ!」
考える間もなく地面を強く蹴り、OLの女性に向かって鋭い爪を振り下ろそうとする蜘蛛の怪人目掛けて、飛び蹴りを放つ。
真っ直ぐと前に突き出した深の足先は見事命中し、蜘蛛の怪人の肩を確かに叩いた。
けれどもその巨体は微動だにせず、逆に着地と同時に飛んできた裏拳の一撃を顔面に喰らってしまい、深はそのままOLの女性の前に倒れ伏した。
「ちょっと!? 大丈夫!? ……って、あなた……確かファミレスにいた……」
突然割り込んできた青年の登場に戸惑いつつも、OLの女性は、自分を庇ってくれたそんな彼の傍に慌てて寄り添う。
その見覚えのある顔と赤髪にOLの女性が驚きの声を上げる中、殴られた深は、とくに臆することなく立ち上がると、すぐにOLの女性の腕を掴んで引っ張り、蜘蛛の怪人の手が届かない間合いまで素早く距離を取った。
蜘蛛の怪人の様子を見据えながら、OLの女性を護るように背後へ押しやると、そこでようやく彼女に声を掛ける。
「怪我はない? 一緒にいた男の人は?」
「え……あ……それは……。実は……あの怪物が……彼なの……」
深の問いに、OLの女性は震える指を何とか伸ばし、視線の先に佇む蜘蛛の怪人を指し示した。
「私……何が何だかさっぱりで……。突然彼が……あんな姿に……」
「そう……。そうなんだ、やっぱり……。とにかく今は……君だけでも助けるッ!」
OLの女性の一言で全てを察した深は、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。しかしその顔は、すぐに決意を固めたものへと変わる。
「少し離れてて。俺の傍にいると火傷するよ?」
それは深にとっては、警告のつもりで告げた言葉だった。
OLの女性の身の安全を気に掛けての言葉――そのはずだったのだが。
「は!? あんたバカ!? こんな時に何キザなこと言ってんの!? カッコつけてる場合じゃないでしょ!?」
しかしその言葉を別の意味で捉えたOLの女性は、怒りと混乱を交えた呆れ顔で声を荒げた。
「違う違う! そんなつもりで言ったんじゃないんだ! 言葉通りの意味! この力を使う時、傍にいたらホントに危ないから!」
そう言って、OLの女性の認識を背中越しに是正した深の手には、いつの間にか弁当箱ほどの大きさをした、黒い長方形型の装置が握られていた。
「この力?」
「そう、じいちゃん曰く……大勢の人間を救うことのできる力!」
右側面から伸びた1本の赤いグリップと、中心部に備え付いた円形の赤色レンズが一際目を引くその装置を腹部に当てると、自動的に伸びたベルトが一瞬にして腰に巻きつき、黒い装置は深の体に装着された。
「機械のバックル……?」
警告に従うように、数歩ほど後退りしながらOLの女性が呟く中、深は眼前の蜘蛛の怪人を睥睨したまま、ゆっくりと黒い装置のグリップを握りしめる。
変身ベルト・セカンドハート。
深の腰部に固定されたそれは、これから“力”を行使する深にとっては、まさにその名の通り、“第二の心臓”の意味を持つ特殊な生体模倣デバイスである。
それを裏付けるように、円形の赤色レンズから微かに見える内部には、溶液の中に浮かぶ生の臓器らしきものが、静かに鼓動を繰り返していた。
バイクのスロットルを捻るのと同じ要領で、握りしめた赤いグリップを手首で1度だけ回す。
するとバックルから聞こえた一際大きな心音を隠すように、『
その瞬間、バックルの中を循環していた“とある血液”が、ミクロサイズの粒子へと変換されて、装着者たる深の体内へと流れ込んでいった。
衣服をすり抜け、皮膚に浸透し、血管を流れる深自身の血液と結合を果たす。
赤と赤が混ざり合い、より深く濃くなった深紅の渦がグツグツと煮立ち始める。
体中が燃えるように熱い……。
だけど今だけは……この灼熱の熱さが強さをくれる……。
深の血に宿っていると言われている、大勢の人間を救うための力。
けれどもその力は、己の意思だけでは発揮することができない。
もう1つの血と――
一時の上昇。
爆発的な化学反応。
真価による進化。
マグマの如く煮え滾る熱き血の力が、深の肉体に新たな回路を築き上げ、細胞の1つ1つを急激に作り替えていく。
「変身!」
『
プログラム通りの体の変化を感知したバックルから、その状況をアナウンスするかのように、再び機械的な英語音声が流れる。
同時に深の全身から勢いよく高熱の蒸気が噴き出すと、刹那に視界を奪うほどの濃い白霧が、彼の姿を完全に覆い隠してしまった。
「熱っ!?」
前方から猛烈な勢いで押し寄せてくる熱波に、OLの女性は思わず顔を背けて両腕で身を護る。
しかしそうしながらも、再び前に向けた視線だけは、白霧の中に消えた背中の行方を、腕の隙間から見守り続けていた。
白い霞の中で、真っ赤な眼光が煌めき、そして浮かび上がる。
深紅の稲妻の如く、力強い血の脈動が人の形を成したその瞬間、白霧は晴れ、“力の化身”がその姿を現した。
いつの間にか、熱波は治まっていた。
顔の前に運んでいた両腕をゆっくりと下ろしながら、呆然とした表情でOLの女性が見たそれは、先刻そこにあったはずの頼りない背中などではなかった。
今そこに、目の前に佇んでいるのは、巨大な岩壁のような威圧感を纏った分厚い背中。溶岩石を彷彿とさせる質感を持った、漆黒に染まりし異形の後姿だった。
「あなた……それ……。その姿……」
息を呑むようなかすれた声でOLの女性が呟く中、黒き戦士の姿となった深は、改めて背中越しに言葉を返す。
今度は落ち着いた声色で。
余裕のある声で。
「仮面ライダー。そう呼ばれているらしいよ、こういうの」