エマ―その血の名前―Two in One, the Red Destiny Kamen Rider 作:裕ーKI
その注射器を初めて入手したのは、3か月前の3度目の戦いの時だった。
あの時、最初のシリンジを投げ渡してくれた“謎の人物”は言っていた。この容器の中には、“運命に篩を掛けるための聖水”が入っていると。
運命に篩を掛ける――即ち、
“謎の人物”の正体が何者で、その言葉が一体何を示しているのかは現状知る由もない。
けれども、その人物は間違いなく、まるで導くようにヒントを残していった。
この不思議な注射器が、“ソーティングシリンジ”と呼称されている代物であること。そして、それをバックルに装填し、その中にある血液を体内に流し込めば、自身の能力を一時的に拡張し、戦術の幅を広げられること。
それらの情報が頭の中で反芻する中、深はバックルの左部に内蔵されていたスロットを開き、握りしめていたソーティングシリンジを横からそこに滑り込ませてセットした。
親指で軽く叩いてスロットを閉じると、バックル内部で鼓動を続ける心臓の表層に、ソーティングシリンジの針が自動的に伸びて穿刺する。
バックルの中で注射器と臓器が接続された状況を、帯から伝わる感覚で認識した深は、右手で握り締めた赤いグリップを、まるでバイクのエンジンを吹かすように素早く2度回し、その心臓の心拍数を二段階ほど上昇させた。
すると――。
『
グリップ操作によるコマンドを承認した合図を示す音声が、バックルから流暢に鳴り響く。
深がバックルに装填したソーティングシリンジの中に内包されていたのは、大きく分けて2つの成分だった。
1つは、変身ベルト・セカンドハートの中で常に循環し、今現在は深の体内へと灌流し続けている“特殊な血液”と同一の液体。
そしてもう1つは、シリンジに充填されるまでの過程で、何者かの手によって意図的に添加されたであろう、カマキリの遺伝子。
血液そのものは、バックル内の心臓に注入された時点で、元の場所に回帰するように、大循環へと還流していった。
しかしその一方で、残されたカマキリの遺伝子の部分だけが、深の肉体組織に直接作用し、仮面ライダーとしての彼の体に、新たな力を与え始めた。
それは、彼の両手首に生成された鎌状の2枚の刃。
その様はまさに、カマキリの腕を彷彿とさせるもの。
深く、鋭く光を放つ漆黒の刃は、見るからに鋭利で、いかなる強靭な装甲も容易く斬り裂かんばかりのオーラを纏っていた。
「カマキリだし、やっぱり鎌か……」
自らの両腕に生えた異形の鎌を、深はまじまじと見つめる。まるで初めて手にする道具を確かめるかのような仕草。だがその戸惑いは、すぐに力強い構えに変わる。
そうして再び、深は蜘蛛の怪人に向かって勢いよく駆け出していった。
「グァアッ!!」
猛然と迫る深に対し、蜘蛛の怪人はまたしても口から糸を吐いて応戦を試みる。今度はこれまでのような直線状の束ではなく、野球ボールほどの形と大きさに丸めた糸の塊を、まるで機関砲のように立て続けに撃ち放ったのだ。
真正面から押し寄せてくる、夥しい数の糸の弾幕。
しかしそれでも、深の足は決して勢いを緩めない。
深は臆することなく加速を続けながら、両腕の鎌を胸の前へと運び、クロスさせる。
狙いは無理に定めない。
ただ、本能に身を任せて、両腕を左右に振り抜くのみ。
刹那の瞬間、ヒュンヒュンと空気を裂く音が響くと同時に、飛来する糸の塊が次々と両断され、推進力を失って地面へと落ちていく。
その剛健ながらも流れるような身のこなしは、宛ら熟練剣士の剣舞のよう。
一発の被弾も許すことなく、行く手を阻む弾幕のほとんどは、嵐の如き連撃に見事に斬り伏せられたのだ。
僅か一呼吸の間に、刃先が十分届くほどの距離まで、蜘蛛の怪人との間合いを詰め寄せた深は、間髪を容れずに鎌を振り上げる。
刃に乗った深の殺意が、自分の首を狙っていることを反射的に悟った蜘蛛の怪人が、鎌の軌道を逸らそうと咄嗟に右手の爪を突き出すが――。
だがそれさえも構わずに、深は躊躇なく鎌を振り抜いた。
ザンッという確かな手応え。
その一太刀が、蜘蛛の怪人の5本の指を瞬く間に斬り捨てた。
重油のように黒い血の尾を引きながら、蜘蛛の怪人の右手から離れた漆黒の残骸が、ボトボトと石畳の上に落ちていく。
「ギッ……ギィイイ!」
カッと迸る痛み。それ以上に燃え盛る殺戮衝動。その2つに突き動かされるように、蜘蛛の怪人は背中に生えた8本の肢を一斉に前方へと伸ばし、刺突攻撃を繰り出した。
蜘蛛の怪人にとってそれは、文字通り奥の手とも言うべき一撃。
迎撃せんと、深は咄嗟に両鎌を振るうが、蜘蛛の怪人の肢の強度は、手の爪の硬さを大きく上回っていた。
振り下ろされた8本の尖鋭な穂先に、ガキィンと刀身を弾かれた深は、その衝撃で背後に押し返されてしまう。
たたらを踏みつつも、しかし深は怯むことなくバックルのグリップを回す。体内の血を絞り出すように、手前に捻ったままの状態を、1、2秒ほどキープした。
『
グリップから手を離した瞬間、両鎌の付け根から溢れ出てきた熱き鮮血が、瞬く間に刀身を包み込んでいく。
左右に広げた刃の周囲で、空気がユラユラと歪み、パチパチと微かに音が鳴る。
漆黒から深紅へと染め変わり、高温の熱を帯びた刀身のその様は、まるで炎を纏いし剣のようだった。
背中で蠢く8本の肢が再び伸びる。
蜘蛛の怪人が繰り出した2度目の刺突攻撃が、深の命を今度こそ奪わんと襲い来る。
スーッと小さく吸い込んだ息を、一瞬だけ肺に留めたその刹那、深は両腕の鎌を交互に、そして大きく振り抜いた。
「フッ! ハッ!」
肺の中の息を、短くも鋭く吐きながら、その呼気に合わせて、夜の虚空に2本の赤い軌跡を描いた。
熱き鮮血を纏い、分厚い金属板をも溶断できるほどに切れ味が増した両鎌の刃。
その鎌が交互に放った斬撃は、まるで熱したナイフが冷たいバターを切り分けるように、蜘蛛の怪人の肢を全て、抵抗なく滑らかに両断して見せた。
右手の爪だけでなく、背中に備わっていた得物までも失ったことで、流石に戸惑いの様子を露わにする蜘蛛の怪人。
そんな相手に向かって容赦なく、深は続けざまに拳を振り上げる。
両腕の鎌は、纏った血の効果による急激な温度の上昇と、瞬間的な高威力の発揮に伴う負荷に耐え切れず、いつの間にかドロドロに溶けたガラスのように液状となり、深の手元から離れて石畳の上に落ちてしまっていた。
いずれそうなることをまるで最初からわかっていたかのように、武装の消失を気に止めることもなく、深は澄ました動作で蜘蛛の怪人の顔面を殴りつけた。
バランスを崩し、背後に倒れていく敵の姿を真っ直ぐと見据えながら、最後の仕上げと言わんばかりに、深の黒い右手がバックルのグリップをそっと握り締める。
よろよろと立ち上がり、なんとか体勢を立て直そうとしている蜘蛛の怪人との間合いを、一歩、また一歩とゆっくり、しかし確実に詰め寄せながら、その動きに連動するようにグリップを複数回捻っていく。
1回。
『
2回。
『
そして3回。
『
その瞬間、バックル内の心臓の拍動が限界まで加速を始め、激流のような勢いでベルトの血液が、さらに多量に深の体内へと流れ込んでいった。
結合していたベルトの血液の量が大きく増大したことで、深の肉体を循環する彼の血液そのものが、最大限に煮沸し、凄まじい熱エネルギーを生み出した。
『
溶岩石のような漆黒の強化スキンから立ち上る白い蒸気。
全身を駆け巡る稲妻のような血管模様から、メラメラと炎の如く噴き出す灼熱の光。
蜘蛛の怪人を捉える複眼の煌めきも、より一層色濃く赤光を増す。
体内の熱エネルギーは、深の意思に従い右足へと収束し、その黒い足部を赤から黄、そして白く眩い色へと変えていく。
残り一歩分の距離を残し、蜘蛛の怪人の手前で立ち止まった深は、白熱を帯びた右足を一旦背後に引き、脚部に力を込めるように腰を低く落として身構えた。
超高熱を発する足裏に踏み締められた石畳の一片からは、ジュゥウウウッという敷石が焼ける音が絶え間なく鳴り響く。
「ギッガッ……ギィイイイイイッ!!」
蜘蛛の怪人は残された左手の爪を振り上げると、深の攻撃を妨げんと、半ばやけくそ気味に飛び掛かる。
するとその時、最後の抵抗を見せる蜘蛛の怪人を前に、深はボソリと小さく呟いた。
「……ごめん」
次の瞬間、自らのその言葉を掻き消すように、溶けた敷石に沈み始めていた右足を、渾身の力を込めて振り上げた。
「ハァアアッ!!」
余計な動きは必要ない。
後先考えず、無謀にも突っ込んでくる巨体の無防備な胸部を待ち構えるように、灼熱の片足をただ真っ直ぐと、力強く突き出すだけだった。
「グアッ!?」
爪の一撃が届くよりも早く、深の右足が胸部にめり込んだその瞬間、強烈なほど重く、それでいて体中の水分が一瞬にして蒸発するかのような熱い衝撃が、蜘蛛の怪人の肉体を容赦なく貫いた。
刹那の静寂を挟んだ末に、高熱の溶鉱炉にでも落とされたかのような、耐えがたい灼熱感を遅れて自覚した蜘蛛の怪人は、息も絶え絶えに爪を下ろし、悶え苦しみながらヨタヨタと後退っていく。
蜘蛛の怪人の血管を流れる血液は、深の赤いそれとは違ってドロドロに黒く澱んでおり、そのうえ、発火性や爆発性といった危険な性質を含んでいることも相まってか、確かにそれは重油も同然のものだった。
そんな黒い血液が、深の必殺キックを起点に体内へと深く浸透した熱エネルギーにより、瞬時に沸点を超えて気化する。
高温で膨張した気体は、怪人の体内で留まることを知らず、内側から肉体を突き破らんばかりに激しく暴れ出していた。
「グッ……ギャ……アアァァァァァァァァァァァァアアアアアッ!!!!」
耐え切れず、裂けた皮膚から放出するガスと共に立ち上る、断末魔の悲鳴。
見る見る崩壊していく蜘蛛の怪人の肉体は、やがて爆ぜた炎で夜の闇を赤く照らしながら爆発し、塵となってこの世から消滅したのだった。