私がまだ言葉も知らないただの猫だった頃、
人に追われて、雨に打たれて、
死にかけた私を拾ってくれたのが――
死穢八斎會の組長だった。
⸻
組長は人でも妖でもない私に、
名前をくれて、戸籍をくれて、
人として生きる道をくれた。
組のみんなも私を怖がらなかった。
お兄ちゃん、お姉ちゃんみたいに可愛がってくれて、
猫のままだったら知らなかった“家族”を教えてくれた。
⸻
だから私は、
死穢八斎會が大好きだ。
私がここで生きているのは、
全部、組長が拾ってくれたからだ。
私の名前は猫又 焔。
百年を生きた猫。
人間になって、組長に拾われて、焔という名前をもらった。
組の人はみんな優しい。
若もきっと優しい人だ。
組長が倒れてから、若に会うことが多くなった。
今日から私は学校に行かない。
今日からは若のお手伝いをするんだ。
みんなが役に立つって言ってくれた。
だから、怖くない。
⸻
若の部屋の奥にある小さな部屋。
そこに座っていたのは、私より少し小さい女の子。
白い髪に、赤い瞳。
目が私を見て、震えていた。
あの子の名前は壊理ちゃん。
前に何度か会ったことがある。
でも若に会うのは禁じられてた。
若が「まだ駄目だ」って言ってた。
今日から一緒に過ごすらしい。
部屋の中に私も入った。
私は大丈夫。猫は狭いところの方が落ち着く。
壊理ちゃんの方が怖そうだ。
だから、尻尾でそっと床を撫でた。
紫の焔が少し散って、女の子の瞳に映った。
⸻
「仲良、する。……な?」
⸻
壊理ちゃんはびくっと肩を揺らして、私の尻尾を掴んだ。
小さい手で、ぎゅっと。
熱くも冷たくもないけど、ちょっとだけあったかい。
壊理ちゃんは泣いてたけど、尻尾を掴んだまま小さくうなずいた。
私の役目。
若のお役に立つこと。
壊理ちゃんと仲良すること。
部屋の中で、焔の紫の焔が小さく揺れた。
**
あれから、私は毎日 壊理に絵本を読んであげた。
部屋の外には人の声がした。
若の声、組の人の声。
でも私と壊理の場所には、その声は届かない。
部屋の鍵が閉まる音だけが、時々、遠くに響く。
⸻
私は人間になって、そんなに長くない。
だから上手に字を読むことはできない。
学校で教わったことだけが、私の武器だった。
でも、壊理は怒らなかった。
私が間違えても、噛んでも、途中で止まっても、
壊理はただじっと私の声を聞いてくれた。
⸻
「むかしむかし、あるところに、
しろい ねこ、が……」
私の舌はまだ猫のままだから、言葉が上手く回らない。
けれど、壊理は真剣に、焔の尻尾を握りながら耳を傾けてくれた。
焔の紫の尻尾の先が、絵本の挿絵を照らすようにゆらゆら揺れた。
それが焔と壊理にとっての“部屋のランプ”だった。
⸻
壊理は小さく笑うことがあった。
怖い人たちが部屋の外を行き来する音がしても、
私が横にいるときだけは泣かなかった。
私が部屋に入ってから、壊理は少しだけ夜泣きをしなくなった。
⸻
「よんでくれて、ありがと…」
小さな声で、壊理が言った。
私は頭を撫でる代わりに、尻尾でそっと壊理の髪を梳いた。
猫は上手に手を使えないけれど、
尻尾なら優しく撫でることができた。
⸻
部屋の外に、若の足音が近づいてくるのがわかった。
“役に立つ”。
“みんなのため”。
部屋の鍵が開く音は、
私にとって褒めてもらえる合図だった。
紫の焔が小さく揺れて、
私は尻尾を少しだけ立てて誇らしくした。
⸻
「壊理、また、よむ。
だから、泣かない。」
私は壊理の耳元でそう囁いた。
小さな手が私の服の裾をぎゅっと掴んだ。
焔はそれを見て、尻尾をもう一度だけ巻き付けた。
部屋の中でしか咲かない
小さな光のようなぬくもりが、
まだあった。
**
焔と壊理は、一緒に部屋にいる時間だけが穏やかだった。
部屋の外では、焔と壊理は決して一緒には連れて行かれない。
今日が焔なら、明日は壊理。
一緒に行けない。
一緒に痛い思いをすることはできない。
⸻
焔は知っている。
自分の尻尾の焔が、
部屋の外では“役に立つ”ということを。
若が「お前がいてくれて助かる」と言ってくれたから。
痛いのは怖くない。
焔は猫だ。
猫は痛みを隠すのが上手い。
血が滲んでも、骨がきしんでも、
尻尾を燃やして笑っていればいい。
⸻
「焔、すごいな。
ほんとに役に立つな。」
若に言われたその言葉だけが、
焼けた皮膚の痛みよりもあたたかかった。
⸻
部屋に戻ったとき、
珍しく壊理がいなくて、焔は少しだけ尻尾をしゅんと下げる。
今日は焔の番だったから、実験はないはずなのに…泣きそうな壊理の顔が頭に浮かぶ。
焔は部屋の中を片付けながら決めた。
壊理が戻ったら、美味しいものをあげよう。
組の人からこっそり貰った甘いお菓子を取っておいたんだ。
焔は自分の尻尾を撫でながら小さく笑った。
…明日は外出していいと言われている。壊理がいないのは寂しいけど…。
外に出て、空気を吸える。
組のみんなの顔を見て、「焔、がんばったよ」って言える。
⸻
「壊理、よろこぶかな…
あまいの、すきだから。」
焔の声は呂律が回らなくて、ところどころ途切れた。
若の足音が遠くで聞こえると、
焔は尻尾を立てた。
猫は、痛みを隠すのが上手いから。
続かないかもしれませんが…よろしくお願いします。