ずっと考えていた。
あの日――
ヒーローの腕にしがみついて、
若の言葉を拒んだ壊理。
どうしてあんな態度を取ったんだろう。
若は優しいのに。
組の皆んなは、焔に居場所をくれたのに。
壊理にとっては――
⸻
焔にはわからなかった。
一緒に笑って、
一緒に絵本を読んで、
一緒にお腹を空かせたのに。
壊理の心だけが、
遠い場所にある気がした。
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「……え、りは……ここ……嫌い……?
ほむら……嫌い……?」
吐き出した声は、
焔の胸の奥に突き刺さった。
もし、
“嫌い”って言われたら――
どうしよう。
聞かなければよかった。
壊理に拒まれたくない。
でも、
もう言葉は戻らなかった。
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焔の尻尾が、
小さく力なく垂れた。
小さな肩が震えた。
⸻
壊理は、驚いたように振り向いた。
大きな赤い瞳に、
部屋の灯りが揺れていた。
⸻
「……焔ちゃんッ……
わたしは……
焔ちゃんのこと……
壊しちゃうかも、しれないの……」
⸻
その小さな声は、
“嫌い”よりずっと痛かった。
焔を――
“壊すかもしれない”と
泣きそうに笑った壊理の声。
焔の耳は、
その声を離せなかった。
**
壊理side
壊理は顔を上げられなかった。
俯いたまま、
自分の声が床に落ちていくのを感じた。
『お前は呪われてる』
あの人の声が、
ずっと胸の奥で大きく鳴っている。
お父さんを――
自分の手で“壊して”しまった。
どんな力なのかもわからないのに、
誰も教えてくれなかったのに――
それでも。
⸻
怖かった。
焔ちゃんに嫌われるのが、
何よりも怖かった。
唯一自分を撫でてくれた友達。
だから、嘘だけは吐きたくなかった。
⸻
「……わたしにも……わからないの……
どういう力なのか……
でも……お父さんを消しちゃったのは……
わたしなんだ……」
⸻
言葉を吐き終えた時、
壊理の小さな手は震えていた。
どんな顔をしているだろう――
焔ちゃんは。
優しく声をかけてくれたその子が、
母親と同じ顔で怯えていたら――
もう、尻尾で撫でてくれないかもしれない。
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勇気が出せなかった。
怖くて顔を上げられなかった。
⸻
でも――
焔の声は、
小さく優しく届いた。
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「……壊理、つらかった……ね。
壊理は、優しい……ね。
わた、しも……名前も、知らない…女の子を……壊して……
ここにいる、の……」
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“壊して、ここにいる”
焔ちゃんの声が、
壊理の心の奥の鍵を撫でた。
おそるおそる顔を上げた。
⸻
思っていた顔じゃなかった。
泣いていた。
焔ちゃんは――
自分のために泣いてくれていた。
⸻
部屋の奥で、
“壊れた子”と“泣いている子”が
そっと繋がった。
小さな尻尾が、
二人の手をそっと包んだ。
壊理side終。
**
焔の始まりは――
古い神社の軒下だった。
人に忘れられた社の隅。
ぼろぼろの雨樋から滴る雨が、
子猫たちの小さな背を濡らした。
⸻
何の変哲もない、
黒い野良猫が数匹。
誰が名をつけるでもなく、
ただそこに生まれて、
ただ雨に打たれながら生きていた。
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母猫が死んだのは、
その三ヶ月後のこと。
コンクリートの隅に滲んだ血の跡は、
誰も気に留めなかった。
車に轢かれて死ぬ――
よくあることだった。
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兄妹たちも、
次々といなくなった。
人に殴られ、
石を投げられ、
目を失い、病に蝕まれ。
一匹、また一匹――
最後に残ったのは、焔だけだった。
五年。
黒い影は人目を避けて、
ゴミ捨て場を這いずり、
母猫と同じように――
車のタイヤに弾かれて、
命を零しかけた。
⸻
雨の中。
もう目も見えない。
骨の音ばかりが小さく鳴った。
風前の灯火の焔の前に、
“その子”はふっと立っていた。
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焔の鼻がかすかに捉えた、
人間の匂い。
人間に近づくと痛い目に遭う――
そう知っていても、
動けなかった。
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膝をついたのは、
人間となった時の焔と同じくらいの少女。
傘を差すでもなく、
冷たい水を頭から被りながら、
焔を見つめた。
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「……可哀想……
痛いね……苦しいね……。」
何でもない、
ただの優しさだった。
少女自身も気づいていなかった――
その声が、
自分の個性を発動させてしまったことに。
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『自分の寿命を分け与える個性』
⸻
少しだけなら、
少女は死ななかった。
でも――
止め方を誰も教えてくれなかった。
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少女は、
自分が生きるはずだった
長すぎる時間を――
全部。
雨に打たれた黒猫に、
分け与えてしまった。
⸻
焔は――
生き残った。
動かなくなった少女を目の前に。