The Ash Eater   作:メイユエ

2 / 15
百年生きた猫が人化した焔の姿は、黒髪に黄色い瞳を持つ幼い少女だ。
髪は野良猫の毛並みのように少し跳ねるクセのあるショートカット。
瞳は夜目の猫のように縦長で、灯りを映すたびに獣めいた光を宿す。
その姿には、人とも獣ともつかない妖しさと儚さが漂っている。


二話

部屋の鍵が開く音がした瞬間、

壊理の肩が小さく震えたのを、焔は見逃さなかった。

 

小さな手が、焔の裾をぎゅっと掴む。

 

⸻

 

「……行っちゃうの?」

 

壊理の赤い瞳が不安げに揺れた。

 

焔の紫焔の尻尾が、壊理の髪をそっと梳く。

くしゃりと小さな音がして、壊理の瞳が潤む。

 

⸻

 

本当は、壊理も一緒に行けたらよかった。

部屋の外で一緒にお菓子を食べて、絵本を買って、

学校のときみたいにお日様の下を歩けたらよかった。

 

でもそれは若が許してくれなかった。

若が言うなら仕方がない。

若が言うことは正しい。

 

焔の胸の奥で、ほんの少しだけ

猫には似合わない罪悪感が泡みたいに揺れた。

 

⸻

 

「すぐ、もど…る、ね?」

 

焔は笑った。

笑ったつもりだったけど、

口の端が引きつって、少しだけ心が痛んだ。

 

⸻

 

今日は壊理が実験を受ける日。

部屋の外に連れて行かれて、痛い思いをする。

だから、焔がいない間、きっと不安だ。

 

焔は知っている。

それでも「大丈夫だよ」としか言えない自分を。

 

⸻

 

「お土産、かってくる…!

ほしいの、なに…?」

 

焔が壊理の頭を尻尾で撫でながら聞くと、

壊理は下を向いて小さな声で答えた。

 

⸻

 

「……りんご……」

 

⸻

 

部屋の外に、組員の足音がする。

焔は尻尾をそっと解き、

壊理の小さな手を自分の爪でちょん、と触れた。

 

「りんご…わかった、

あまいの、えらぶ。」

 

紫焔がふっと瞬き、

焔は部屋の外へと足を踏み出した。

 

猫は、部屋の鍵が閉まる音を

振り返らずに聞いた。

 

すぐ戻る。

必ず。

 

それが壊理との、小さな約束だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

久しぶりに会えた組員さんたちは、

みんな私を見ると優しく笑ってくれた。

 

焔ちゃん元気か?

痛くないか?

何か欲しいものはないか?

 

みんな大丈夫かって、何度も何度も聞いてくれる。

 

でも私は大丈夫。

猫だから、痛みは隠せるし、

若が言ってたみたいに私が頑張れば、

組が救われるんだから。

 

だから、尻尾をふわっと立てて

「だいじょぶ、焔がんばる」って答えた。

 

⸻

 

どうしてみんな、若のすることに

少しだけ不安そうな顔をするんだろう?

 

不思議だった。

若は組のために頑張ってる。

私も壊理も、そのために実験を受ける。

それが一番良い方法のはず。

 

でも、組員さんはそれ以上何も言わなかった。

だから私も深くは考えずに「バイバイ」と手を振った。

 

⸻

 

外に出ると、空が高くて、雲が流れていて、

ビルの隙間から暖かい風が吹いてきた。

 

車のクラクションの音。

人が笑いながら歩いてる声。

遠くから漂ってくるパン屋さんの甘い匂い。

 

部屋の中では絶対に嗅げない匂いがする。

 

⸻

 

私は嬉しかった。

外はきれいで、空気は美味しい。

猫の頃は、もっと外にいたんだと思い出す。

組に拾われて、部屋に入って、

外に出るのはご褒美になった。

 

だから嬉しかった。

 

けれど、

どこを見ても、何をしても、

“壊理がいたら”って思ってしまう。

 

⸻

 

壊理も外の風を嗅いだら、

きっと少しは怖くなくなるかもしれない。

絵本の話みたいに、二人でパン屋さんに行って、

りんごのタルトを選んで、

お日様の下で食べたら、

どれだけ美味しいだろう。

 

でも部屋の鍵は壊理を外に出してくれない。

若がダメだって言ったから。

だから仕方ないんだ。

 

⸻

 

私は尻尾をくるりと巻いて、

商店街の果物屋さんに足を向けた。

 

壊理のりんごを買ってあげなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

果物屋さんで一番赤くて甘そうなりんごを選んだ。

おじさんが袋に入れてくれて、焔の尻尾の先を見て

「火ぃ気をつけなよ」って笑った。

 

大丈夫、焔はちゃんと隠せるから。

焔の紫焔は誰も怪我させない。

若のお役に立つ以外は。

 

⸻

 

帰り道、本屋さんの前を通りかかって、

焔の足は自然に止まった。

 

店先に積まれた写真集。

表紙に写っていたのは、見たことのない海。

 

太陽が反射して、キラキラ光っている。

空も水も全部、部屋の外の青だった。

 

⸻

 

焔はページをめくってみる。

波打ち際、船、白い砂浜。

 

漢字がたくさん並んでいて、

焔には意味が分からない部分も多い。

 

でも関係なかった。

字なんかなくてもいい。

この海の色を、

部屋の中で泣きそうになる壊理に見せてあげたい。

 

⸻

 

壊理が「綺麗だね」って言ってくれたら、

痛いのが少しは消えるかもしれない。

 

焔の尻尾が写真の青を照らす。

部屋の中にだって、波の音くらいは届くはずだ。

 

⸻

 

りんごの袋と、分厚い写真集を抱えて、

焔は少し足早になった。

 

部屋に戻れば、壊理に会える。

今日は泣かないようにしてあげたい。

 

⸻

 

「壊理…よろこぶかな…

あのこ、海 しらない…

きれいだって…

笑うかな…?」

 

暖かい風の中、

焔の二本の尻尾が嬉しそうに揺れた。

 

誰も見ていない路地裏に、

焔の紫焔が一瞬だけ瞬いた。

 

それは、部屋の外では一番小さな、

けれど部屋の中では一番大きな光だった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。