The Ash Eater   作:メイユエ

4 / 15
四話

 

 

「……使うなと言ったはずだ。」

 

若の声は冷たかった。

 

壊理が小さく息を呑む気配がした。

焔の尻尾を握りかけた小さな指が、

怯えて震えるのが分かる。

 

 

焔の胸の奥で、

あの大海原の青が、

ゆっくりと黒く滲んでいった。

 

壊理があんなに笑ってくれたのに。

私は壊理のためにしただけなのに。

 

でも若にとっては、

私の焔は“役に立つため”以外に使ってはいけないものだ。

 

私は――

裏切ってしまったのか。

 

 

「ご、ごめ……なさい……。」

 

声が震えた。

猫は本来、こんなに弱い声を出さないのに。

 

でも若は何も言わなかった。

 

ただ焔の頭を荒々しく掴んで、

そのまま床へと押しつけた。

 

 

ゴンッ――

 

鈍い音が部屋に響いた。

 

鉄の匂いが、

焔の鼻先に滲んだ。

 

壊理の小さな悲鳴が遠くで滲んだ。

 

 

私は抵抗しなかった。

尻尾を巻きつけることも、

爪を立てることもできたのに。

 

でもしなかった。

 

猫は、家族に牙を向かない。

それが焔にとっての掟だった。

 

 

若の手のひらが、焔の頭を押さえつける。

熱くなった鉄が頬に張り付く。

 

部屋の外の夢なんて――

見なければよかったのかもしれない。

 

でも後悔はしたくなかった。

 

 

だって、

壊理が笑ってくれたから。

 

私の紫焔の夢見で、

あの子が初めて「行きたい」って言ってくれたから。

 

 

若の靴音が遠ざかる。

鍵が閉まる音が、

波の音の代わりに部屋を満たした。

 

私は小さく目を閉じた。

 

紫焔はもう、

部屋の中では揺れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

壊理は泣きながら、

焔の手に小さな手を重ねて、何度も何度も謝った。

 

「……ごめんね、ごめんね……

わたしのせいで……ごめんね……!」

 

焔の頭に残る痛みよりも、

床に押さえつけられた時の冷たさよりも、

壊理の震える声の方がずっと重かった。

 

 

でも、壊理は何も悪くない。

 

紫焔を使ったのは私だ。

若の言いつけを破ったのも私だ。

 

だって、壊理があんなに笑ってくれたから。

部屋の中でしか笑えないその顔を、

焔はどうしても見たかっただけだ。

 

 

壊理の涙で濡れた頬を、

焔は尻尾の先でそっと拭った。

 

自分の傷ついた手じゃ、

余計に壊理を怯えさせてしまいそうだから。

 

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ……

 泣か、ないで……」

 

呂律が少しだけ絡まって、

声が部屋の壁に跳ね返って、寂しく響いた。

 

 

壊理の小さな背中を撫でる。

震える肩を、何度も何度も尻尾で包む。

 

焔の瞳の奥には、

若に謝らなくちゃという言葉が

波の底に沈んだように揺れていた。

 

悪いのは私だ。

私が謝れば、きっとまた許してもらえる。

 

だって私は――

部屋の中で生かしてもらっている猫だから。

 

 

焔は壊理に笑いかけた。

猫は痛みを隠すのが上手だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

頭に巻かれた白い包帯は、

まだ少し血を滲ませていて、

髪の奥がひんやりしていた。

 

包帯を巻いてくれたのは、

死穢八斎會 若頭補佐――

クロノスタシスだった。

 

 

私には、

クロノスタシスなんて長い名前はとても言えない。

 

だから、

「クロさん」って呼んだ。

 

呂律が回らない焔の声でも、

それだけはずっと上手く呼べた。

 

 

クロさんはいつもと変わらない顔で、

私の頭にくるくると白い包帯を巻いてくれた。

 

「言葉が理解できないわけじゃないでしょう…

 お前は若の、この組の役に立たなければならない。」

 

焔は、小さく尻尾を揺らして頷いた。

 

 

『壊理に見せてしまった紫焔』

 

それがどれほど許されないことか、

焔にもわかっている。

 

でも壊理が笑ってくれたから、

焔は謝らなくちゃいけないのだ。

 

 

クロさんの声は冷たくも優しくもない。

ただ淡々としていて、

それが逆に焔には心地よかった。

 

彼は最後に、

焔の頭をポンとこずいた。

 

「その力は、役に立つ時に使え。」

 

 

包帯の下で少し痛んだけど、

焔は尻尾をふわりと揺らして笑った。

 

「……ありが、とう……クロ、さん……」

 

 

壊理のいる部屋を一度だけ振り返ってから、

焔は若の待つ部屋へと向かう。

 

扉の鍵が閉まる音が、

また波のように背中を押していく。

 

これからまた実験だ。

若に謝って、

ちゃんと役に立たなくちゃ。

 

焔の紫焔が小さく、

包帯の奥で鈍く灯った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。