The Ash Eater   作:メイユエ

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九話

 

毎日――

乱波 肩動は焔とケンカをしていた。

 

訓練場。

乱波の獣じみた笑い声が、

コンクリートの壁に弾けて響く。

 

⸻

 

“この人、毎日暇なのかな……”

 

焔はそんなことを一瞬だけ思う。

 

でもすぐに、

正面から唸りを上げて迫る拳が

そんな考えを叩き潰す。

 

⸻

 

あの日――

初めて乱波の拳を避けた時よりも、

今日の拳は速くて、重くて、容赦がない。

 

かすっただけで頬が裂け、

尻尾の毛先に血が飛ぶ。

 

⸻

 

それでも焔は、

黄色の瞳を細めて獲物を見据えた。

 

相手の肩の動き、爪先の角度――

小さな隙間を縫うように、

獣の身体をすべらせる。

 

百年生き延びた黒猫の本能に、

人としての“戦い”の形が上書きされていく。

 

⸻

 

個性をぶつけるだけでは勝てない。

紫焔の幻は一度見切られた。

だから今度は、

もっと深く、獣の勘で“人の隙”を喰らう。

 

⸻

 

焔の足が床を蹴った。

乱波の拳が、空気を割って頭のすぐ横を抜ける。

 

体を捻る。

避けきれないなら、

吹き飛ばされないギリギリで肩を滑らせる。

 

爪先の爪が床を削る音が、

焔の喉の奥で鳴る小さな唸り声と混ざる。

 

⸻

 

訓練――

それは拷問のようで、

確かに焔の力となっていた。

 

血と汗の匂いの奥で、

焔は小さく牙を剥く。

 

⸻

 

「……きょうこそ……

乱波に……

一泡……ふかせる……!」

 

⸻

 

尻尾の焔がかすかに揺れた。

 

今日だけは、

ただの獲物じゃ終わらせない。

 

百年の黒猫が、

小さく牙を磨いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**

 

強くなることは――

若の役に立つこと。

組の役に立つこと。

壊理を守ること。

 

焔はずっと、そう思ってきた。

 

⸻

 

でもそれはとても難しいことだった。

 

目の前の乱波は強い。

爪も牙も通じない“壁”みたいな獣。

 

若はきっと、もっと強い。

焔の鼻は知っている。

血と鉄の匂い。

あの人の背中に漂う“壊すための匂い”。

 

そんな相手に、勝てるはずがない。

 

⸻

 

何より――

心がついていかない。

 

役に立つ。

守る。

 

言葉にすれば簡単なのに、

心の奥はまだ霧のように曖昧だった。

 

だから、負けても悔しくない。だから負けてしまう。

ただの訓練、ただの檻の中のケンカ。

それだけのはずだった。

 

⸻

 

何が足りない?――本当に守りたいものは、何だ?

 

焔の中で、

檻の中の声が小さく重なった。

 

「お前を信じるぞ…」

「役に立て」

 

若の声。

クロさんの声。

 

⸻

 

でも――

その奥に、小さな光が残っていた。

 

今朝交わした

ほんの小さな約束。

 

⸻

 

「……読もう……白い猫の絵本……」

 

⸻

 

壊理のか細い声。

震える尻尾を握ってくれた温かさ。

 

あの声だけは、

嘘じゃなかった。

 

⸻

 

焔の尻尾の焔が、

小さく“ボボッ…”と息をした。

 

紫焔が胸の奥で息を吹き返す。

 

⸻

 

帰る。

絶対に帰る。

 

早く帰って、

壊理と一緒に白い猫の絵本を読む。

 

それだけだ。

 

⸻

 

帰る、帰る、帰る――

絵本を読むッ!!

 

⸻

 

それが、

焔が勝つ理由だった。

 

若に褒められるためじゃない。

乱波を倒すためじゃない。

 

壊理と一緒に“夢の続きを読む”ためだ。

 

に”ゃあぁぁぁぁ――!!

 

焔の声が、

獣の喉を震わせて部屋中に響いた。

 

百年の黒猫が、

生まれて初めて“生きたい”と叫んだ声。

 

小さな喉では届かないはずの音が、

檻の奥の夢まで引き裂くほどに、

腹の底から溢れた。

 

⸻

 

尻尾の紫焔が、

ゆらりと刃に変わる。

 

全部、爪に込める。

幻影は子供騙しだ――

今必要なのは、

獣の牙の最後の一撃。

 

⸻

 

目の前の乱波は壁みたいに揺るがない。

 

でも――

小さな隙間が見えた。

 

肩の筋肉の流れ、

重心のズレ、

空気の歪み――

獣の勘が一瞬だけ、獲物の喉を射抜く線を描いた。

 

⸻

 

いけ

いけいけいけ

いけいけいけいけ――!!

 

⸻

 

焔の心臓が、

檻の鍵を弾き飛ばすように脈打った。

 

幻じゃない。

幻よりも速い“牙”だ。

 

⸻

 

届けッ――!!

 

焔の全身が、

黒い稲妻のように乱波の懐に潜った。

 

爪が、紫焔をまとって閃く。

 

⸻

 

猫又裂牙(ねこまたれつが)ッ!!

 

⸻

 

乱波の顔が、

マスクの奥でわずかに歪んだ気がした。

 

獣の血の匂いが、

焔の鼻をつんと刺した。

 

部屋に残してきた、

壊理の声が焔の耳で小さく笑った。

 

 

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