私は悪魔です。
それもただの悪魔ではございません。ちょいと古株の上級悪魔、というやつでございます。地獄の年功序列には興味がございませんが、周りからは「古の契約王」だの「魂喰らい」だのと大仰な呼び名で呼ばれておりまして──一部の人は「甘党悪魔」なんて呼びますね。
そう、私は甘いスイーツで契約を結びます。
魂?そんな味気ないもの十世紀くらいいりません。私が求めているものは、ひと噛みで幸福が舌に溶ける、格別の甘味でございます。
──さて、そんな私が本日呼ばれましたのは、ホグワーツのスリザリン寮地下でございますね。
***
ひやり、とした冷気が肌を撫で、石造りの壁の向こうから水の流れる音が微かに聞こえてまいります。蝋燭の炎が狭い空間でちらちらと揺れ、漂う魔力の匂いに胸が躍りました。数週間振りのスイーツ!楽しみですね!
ぱちん、と空気が弾ける音と共に世界が反転し──
気がつけば足元には緑と銀で縁取られた魔法陣が淡く光り、蝋燭の炎が小さく揺れておりました。
紫煙がほのかに立ち昇る中、私はいつも通り十七歳ほどの中性的な姿で姿を現させていただきます。さらさらの腰までの黒髪に、紫の瞳。世間では美形と呼ばれる分類らしいですが、ヒトの美醜はよくわかりませんね。ま、召喚者様の警戒心を少し和らげるには、この姿は便利なのです。
「本当に、悪魔か?」
「はいはい、そうでございますよ」
紫の瞳でじっと見つめると、蝋燭の灯りの中で顔色の悪い少年が眉をひそめ、顎を引き、胸を張りました。
「……まず名乗らせろ。私の名はマルフォイ。アブラクサス・マルフォイだ」
「おお、それはそれは。由緒正しきマルフォイ家のご子息でございましたか。マルフォイ家の方は過去にもいましたね」
「……そ、そうなのか?」
「聞いてご覧なさい、たぶんドキッとされますよ」
ヒトの家系図に興味はございませんが、マルフォイ家の方々は往々にして良質なスイーツを用意してくださいますので、本日も期待が高まりますね!
「では、ご所望の願い事をお伺いいたしましょうか」
問いかけますと、彼は一度目を逸らされ、小さく息を吐きました。
「……髪だ」
「髪、でございます?」
「この髪を……」
言葉を詰まらせた後、顔を赤くされながら睨むような視線をこちらに向けました。
「この髪をもっとサラサラにしたいんだ!」
「……」
沈黙。
私、口元がぴくりと動くのを必死に抑えさせていただきました。ええ、ギリギリです。
「……失礼、少し聞き間違えたかと思いましたが、髪を……サラサラに、でございますか?」
「そうだ、何か文句があるのか!?」
「とんでもございません、髪の美しさは大事でございますからね」
「お前の髪みたいに、サラサラにしてほしい!」
アブラクサスは私の髪を指差し、吹っ切れたように叫びました。
こほん。──私、咳払いをひとつして笑顔を取り繕わせていただきます。
えーと、笑い話かと思いましたが。どうやらこれは深刻な悩みのようですね。アブラクサスの瞳は真剣で、その奥には微かに焦りと寂しさが滲んでおりました。
「……この髪は長くて美しいのが自慢だ。でも……維持するのが本当に大変で……面倒で少しさぼったら母上に『みっともないからしっかり手入れなさい』と言われるし……。毎朝鏡を見ては気が滅入るのだ」
確かに、ヒトからしたら美しいプラチナブロンドでしょう。それを維持するのは大変なのですね。ヒトは外見を手軽に変えられないのが残念ですね。
「承知いたしました。それでは、対価を頂戴いたしたく存じます」
胸に手を当てて微笑めば、アブラクサスは懐から銀の缶を取り出しました。蓋を開けると色とりどりのシュガーボンボンがきらきらと輝き、淡い光を反射いたします。
「これは……!」
思わず声を上げてしまいました!
甘い砂糖の香りにわずかな柑橘の香りが混じり合い、鼻腔をくすぐる、まさに最高級品!さすがマルフォイ家!財力がありますねぇ!
「素晴らしい品でございます!」
「……え、あ、そうか」
「このような上質なボンボンは久方ぶりでございます。それでは早速、力をお貸しいたしましょう」
シュガーボンボンを一粒摘ませていただき、口へ放り込ませていただきました。表面の砂糖が舌の上でさらさらと転がり、淡い甘みがふわりと溶け出します。内側から広がる果実の香りがまたたまらなく心地よく、思わず瞼を閉じて噛み締めさせていただきました。ああ、美味しい!
舌の上でコロコロと転がしながら、指先に魔力を集めます。紫の光が指先で揺らぎ、魔法陣の光と共鳴して穏やかに脈動したのがわかりました。
「さて、目をお閉じくださいませ」
「……ああ」
彼は緊張したようにぎこちなく目を閉じ、その睫毛が頬に影を落としました。
「さあ、サラサラ革命の始まりでございますよ」
指先をそのプラチナブロンドに触れさせていただくと、紫の光が髪へと吸い込まれていきました。光は淡く揺らめきながら髪の一本一本へ染み込み、やがて静かに消えていきました。
「……完了でございます」
「えっ、もう終わったのか?」
彼は目を開け、恐る恐る髪へと指を伸ばしました。
「……!」
指の間をするりと滑り落ちる絹のような髪。その手触りにアブラクサスの瞳が大きく見開かれ、何度も何度も髪を梳いては笑顔を浮かべました。
「すごい……すごいぞ……!」
鏡の前へ駆け寄り、嬉しそうに頬を赤らめながら髪を撫でるたびに、くすくすと笑い声が漏れ出ておられました。
「これで朝の支度に時間がかからない!」
「ええ、これで寝癖もつきにくくなりますし、風になびくたびに美しく揺れますよ」
「本当に……ありがとう!」
「どういたしまして、でございます」
胸に手を当て、にっこりと微笑みます。
「ただ、この効果を維持するためには──」
「……また何かいるのか?」
「はい。二週間──いや、一週間に一度は魔法陣にシュガーボンボンを置いてください。勝手に私の元に移送されますので。していただけるかぎり持続させましょう」
少々欲張ってみましたが、アブラクサスは素直に頷きました。まあ、悪魔は強欲なものなので。
「……わかった、用意しよう」
アブラクサスは銀の缶を私に差し出し、小首を傾げました。
「次もこれを持ってくればいいのだな?」
「はい、それで問題ございません」
「ありがとう、悪魔」
「どういたしましてでございます。甘い菓子のためなら全力を尽くすのがわたくしの主義でございますので」
「へ、変な悪魔だな」
「変と言われるのは褒め言葉でございます」
笑みを浮かべて指を鳴らすと、魔法陣が紅い光を帯びてわたくしを包み込みました。
「それでは、髪の乱れにはお気をつけあそばせ」
「……ああ」
光が視界を満たしていく中で、一度だけ振り返ります。そこには、鏡の前でプラチナブロンドを揺らし、嬉しそうに笑っておられる少年の姿がございました。
──さて、次はどのような甘い願いがわたくしを呼んでくださるのでございましょうか。