カルナイト鉱石の強い発光とともにハイタカ号が宙へ浮く。輝きが強くなっていくにつれて、重力の束縛から解放されていく。エンジンの低い唸り声が響き、翼が空気を切り裂く音が耳に心地よい。
「わあ!飛んだ!こうやって飛ぶんだ」
ウロクズが後部座席ではしゃいでいるのが聞こえ、頬がほころぶ。
父さんが作った世界で一番の機械だ。それが褒められるのはとても嬉しい。
操縦席の計器類が規則正しく点滅し、高度計の針が着実に上昇を示している。
操縦桿を引き、機体をバンクさせて緩やかに旋回させる。
見る見る間に遠くなっていくサンキエルの街並み。石造りの建物が点在する港町が、まるで模型のように小さくなっていく。
その様子を、ウロクズは窓ガラスに顔を押し付けて眺めている。
黒い雲海の上に浮かぶ島々が、空の旅路を示していた。眼下には終わりの見えない雲の絨毯が広がり、その合間から時折、鋭い山々の頂が顔を覗かせている。
「ねえトゥーレ、いまからどこに行くの?」
機内にて。一頻りはしゃいだ後、遠くなっていく街並みを眺め終えたウロクズが代わり映えのしない飛行中の光景につまらなそうな顔をし始めたころ、トゥーレはおもむろにウロクズに声をかけた。振り返ると、ウロクズは小さな手を窓ガラスに当てて、雲海の向こうを見つめていた。
「ねえウロクズ。襲撃されたとき、助けてくれてありがとうね」
「どうしたの?ありがとう?……ってなに?」
感謝の概念を知らないのか、首を傾げるウロクズの表情は、まさに疑問符そのものだった。
「ありがとう、は感謝の言葉よ」
少し考え込んで続きの言葉を紡ぐ。どうやって説明すればいいだろう。人間の感情を、この竜の少女に理解してもらうには。
「誰かほかの人に何かをしてもらったら嬉しかったりするでしょ。その気持ちを伝えるための言葉が『ありがとう』よ」
「気持ちを……伝える?」
ウロクズの眉がさらに寄せられた。彼女なりに一生懸命理解しようとしているのが伝わってくる。
「そう。嬉しかったとか、助かったとか、そういう気持ちを相手に知ってもらうための言葉。人は自分がしたことで相手が喜んでくれると嬉しいものなの」
「そうなんだ」
「そう。だから、私たちが襲われたときに私を助けてくれて、ありがとう。」
しばらく考え込んだウロクズが私に言葉をかけてくる。彼女の表情が、理解の光で明るくなった。
「それじゃあ、私もトゥーレにありがとうだね」
「どうして?」
「だって、トゥーレに会ってからとっても楽しいから」
胸の奥が温かくなるのを感じる。こんな気持ちになったのは久しぶりだった。父さんが失踪してから、誰かと心から笑い合ったことなんてあっただろうか。いつも一人で、いつも警戒して、そんな日々ばかりだった。
「ありがとう、ウロクズ。私もそういってもらえてうれしいわ」
笑いあう二人。風切り音とエンジン音が響く機内に、穏やかな空気が流れていた。窓の外では雲が静かに流れ続けている。
「ねえトゥーレ、いまからどこに行くの?」
「私の拠点よ。あなたがよければだけど、私と一緒に暮らしましょう。」
「うん。トゥーレと一緒なら何でもいいよ。」
その言葉を聞いて、嬉しさと同時に少し不安になる。
「何でもいい、って言うけど、もう少し自分で考えた方がいいわよ」
ウロクズは首を傾げた。
「どうして?トゥーレと一緒にいられるなら、それで十分だよ」
純粋すぎる信頼に、胸が締め付けられる。この子は本当に何も知らないのだ。人を疑うことも、騙されることも、裏切られることも。
「でも、私だって完璧じゃないの。間違いだってするし、あなたにとって良くない判断をしてしまうかもしれない」
「大丈夫。トゥーレは私を助けてくれたもん。だから信じてる」
あまりにも無邪気な信頼に、責任の重さを感じる。同時に、こんなにも無条件に信じてくれる存在がいることに、心の奥が温かくなった。
この子を守らなければ。そして、この子が自分で考えて判断できるようになるまで、私がしっかりしなければ。
「わかった。でも、これからは自分の気持ちも大切にしてね。嫌なことがあったら、遠慮しないで言うの」
「うん、わかった」
ウロクズの屈託のない笑顔を見ていると、嬉しさと不安が入り混じった複雑な気持ちになる。この純粋さを守ってあげたいという想いと、もう少し警戒心を持ってほしいという想いが、胸の中でせめぎ合っていた。
国境地帯を抜け、しばらく飛行を続けていると、遠くに島影が見えてきた。雲海の向こうに、緑豊かな山々が連なる大きな陸地が姿を現す。その島は他の島々とは明らかに規模が違い、複数の峰々が空に向かって突き出している。
「あれは?」
ウロクズが窓に顔を近づけて指差す。
「ラエバ王国の本土よ。私たちの拠点があるの。」
「わたしもそこに行くんだよね?」
島影はゆっくりと大きくなっていく。山の斜面には段々畑が作られ、所々に集落の灯りが見える。港町の煙突からは白い煙が立ち上り、人々の営みが息づいているのが分かった。
「もちろん。これからよろしくね、ウロクズ」
「うん!よろしく、トゥーレ!」
彼女の笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。一人で抱えてきた重荷が、少しだけ軽くなったような気がした。
ハイタカ号はラエバ王国の島影に向かって飛び続けた。エンジンの音が一定のリズムを刻み、翼が安定した飛行を保っている。眼下の雲海がゆっくりと流れ、遠くの山々が次第に鮮明になっていく。空の青さと雲の白さ、そして島の緑が織りなす景色の中を、二人を乗せた小さな飛行機械が進んでいく。
二人の新しい旅路が、いま始まろうとしていた。
一旦区切りです。
続きが書けたらまたあげます。