(……ホシノ?)
夜のシャーレオフィス。
この後もう二つも三つも踏ん張る為にブラックコーヒーを淹れて一息ついていた先生は、端末に表示される名前を見て液晶の「通話」へと指をスライドさせる。
「もしもし~? 先生、今いいかな? 割と緊急事態」
"勿論。どうしたんだい?"
緊急と言いながらのんびりと落ち着いた、いつものホシノ。
「さっき『セトの憤怒』みたいな奴に襲われてさ」
"…………え"
「何ていうのかな……例の配信のイツキちゃんにそれが取り付いて、イツキちゃんの体で襲い掛かって来たように見えた、かな。私の推測も混じってるから実際どうなのか分かんないんだけど、とにかくさっき何とか倒せた? というところで」
白い陶器のカップが床で割れ、淹れたての黒いコーヒーを足に浴びても、ズボンに浸みる熱さも不快感も味わえない程の衝撃。
「とりあえず私もこの通り大丈夫だし、イツキちゃんも気絶してるけど無事。――何となく、アビドスの皆とかに知れたら不味い案件の臭いがするんだけど、どうする先生? ……先生?」
こうならないように、手を回せていたつもりでいた己の浅はかさに先生は反吐が出る思いだった。
しかし、今は自己嫌悪の感情に溺れている場合ではない、と無理やり己を動かし、震えの残る口調で告げる。
"――分かった。事後処理や救援の手配は任せて欲しい"
「うん、お願いね。あと、そいつが出てきたところ調べたら気絶したヘルメット団に交じって、C&Cのネルちゃんとアスナちゃんが倒れてた。命に関わりそうな子はいないけど、怪我もしてるしここの事も頼んでいいかな? 勿論私も出来ることはするからさ」
"――っああっ、勿論、だよ。……ホシノ"
「ん? な~に?」
平時のようにマイペースに振舞っているのはふざけているのではなく、焦らせない為の気遣いであると気づかない程先生も幼くはない。
被害がホシノだけでは済まなかったという状況に、今すぐ己を罵詈雑言で責めたくなる感情を無理やり押し込めて告げる。
"本当にありがとう。ごめん、今更遅いけど、今度会えた時に全部説明するから……!!"
「……事情は知らないけどさ。私は先生とイツキちゃんの味方だからね? この子が許されないなら、あの日に暴走した私は今頃矯正局にでも行ってるよ」
自責の念に駆られていることを口調から感じ取ったホシノは、明るい声色になるよう意識しながら先生にそう宣言した。
矯正局の下りは雰囲気を和らげるために冗談めかして言ったが、ホシノ自身にとっては決して出まかせではない。
何者かに仕組まれ、操られて暴走させられていたとしか思えないイツキの事は、己がテラー化でキヴォトスを危機に陥れてしまった体験と重なりとても他人事とは思えなかった。それ以前に、あの崩落事故当時アビドスに居て何も出来なかったホシノにとって、彼女は先生の命の恩人なのだ。
「だから、自分のせいで私達に迷惑をかけたなんて考えちゃ駄目。それより、イツキちゃんが目覚めた時に傍に居てあげて」
表向きは面倒くさがりのように振舞っているホシノだが、肝心な時までいい加減な対応はせず、特に認めた相手に対してはこうして母親のように愛情深い本質が見え隠れする。
彼女が伊達にアビドス対策委員会の委員長を務めているわけではない事を改めて感じ取った先生は、せめて口角を上げて「辛い時こそ笑う」ことで気持ちを落ち着けようとする。
止めどない罪悪感を失くすことはできない。だが、そんな自分を自分で見つめると、不思議と焦りが薄れていった。
"……ありがとう。こう励まされちゃ、どっちが先生か分かんないな"
「え~? おじさんに先生は向いてないと思うなあ。ず~っと自習にしてクビになっちゃうよ、うへへ」
そんなジョーク交じりの言葉を交わしたことを皮切りに、二人は行動を開始する。