イツキは再び、崩落事故の際に運び込まれたあの病院へと搬送された。
そこは人間離れした怪力を持つ患者等も想定した特別に頑丈な構造の一室であり、セトの暴走を恐れる者の思惑が絡んでいることは明らかだ。
最も、本当にあの"セト"が完全顕現することでもあれば、この部屋どころか建物ごと、蠟燭の火を吹くように消し飛ばされてしまうだろうが。
"……イツキ"
意識を取り戻した報を受け一目散に駆けつけた先生は、外部から専用の鍵で施錠する仕組みの扉を開ける。
イツキはベッドの上で上半身を起こし、窓のない室内で何もない白い壁を虚ろに見つめていた。
「……危ないよ、先生」
告白するほどに慕う人物が現れても、青と紫のオッドアイはそちらに見向きもせず、独り言を呟いているようだった。
「そんなに私の近くに居たら、死んじゃうよ?」
"――ッ"
「器」として操られている間に何をしていたのか、知らなければ出るはずのない警告。
怒ったり泣いて声を荒げて不安を吐露でもすれば、全て受け止め根気強く己が味方であることを訴え続けるつもりでいた。
だがこれは、心が壊れる寸前の静けさだ。いつまた暴走するかも分からない己に絶望し尽くしているに違いない。
一つ言葉を間違えれば心を閉ざされ二度と元には戻らない、その恐怖と緊張感に気圧されながらも先生は口を開く。
"皆、無事だよ。ネルも、アスナも、ホシノも。ヘルメット団の子たちも含め、入院するような大怪我をした子は、一人もいない"
実の所繰り返しセトに叩きのめされたネルの傷だけは浅くなかったのだが、驚異的な回復力により、「あまり無茶は出来ない」という程度にまでは回復していた。
「無事?」
"っああ! 皆元気だよ、もう学校に行ってる。ネルとアスナは見舞いに来たがってた。まだ病院の許可が出てないから、もう少し後になるけれど"
「……止めて」
威圧するような冷たい声色。
それでも尚虚ろな眼差しは、先生を一瞥もしない。
「二度と会わない。――先生、あの二人に伝えてよ。顔も見たくないって言ってた、って」
"……何、言ってるんだよ。イツキ"
「じゃあ、私がまた二人に襲い掛かったらどうするの? 先生が止めてくれるの?」
"それは、"
――止める、と軽々しく口にするのは不誠実だと先生は口をつぐむ。キヴォトスの住民より頑丈さで何段も落ちる自身には、今のイツキ一人も抑えられない。
「出来ないよね? 私が庇わなきゃ死んでたような、弱い先生には」
"イツキ……!"
八つ当たりのように矛先を向けられても、先生の胸に燻ぶるのは憤りではなく、焦りと悲しみだ。
傷つけることを言って、皆を遠ざけようとしている。
ホシノの言った通り傍に居てあげなければ、誰の手も届かぬ遠くへ行ってしまう気がした。
「――短い間だったけど、楽しい夢が見れたことには感謝してる。こんな私が、ミレニアムに入って、C&Cに入って。まるで、子供の時に見たアニメのヒーローになれたみたいで、嬉しかった」
"――違う。夢なんかじゃない。イツキを追い出そうとしている子なんて誰も――"
「帰って」
有無を言わせない、冷たい口調。
「今日はもう限界。その声を聞いていたら、腹の底が煮えるように痛くて、爆発しそう。……明日までに、落ち着くから」
独りにさせたくない。
しかし、声を聞くだけで苦痛とまで言われてしまっては、今の彼女にはどんな言葉も裏目に出る気がした。
そして、「明日までに落ち着く」と言ったということは、「明日なら話を聞く」と彼女から歩み寄ろうとしてくれている。
その意思を無視して、考えもなく此処に居座っているだけでは彼女を苦しめるだけだ、と先生は考えてしまった。
"……いつでも呼んで。何時だろうと、駆けつけるから"
施錠され、静かな孤独が再び訪れた室内で、イツキは空虚な表情のまま己の両掌を見つめていた。
操られている間に見ていたもの、言葉、感覚まではっきり覚えている。
尊敬する師匠が諦めず自分を止めようとしてくれているのを足蹴にし、自分を撃ったことに動揺し錯乱する先輩を後ろから襲った。
二人の事は、顔も見たくない。
これは本心だ。
あんなことをしでかして、また同じことを繰り返すかもしれない自分に、もう一度彼女達と顔を合わせる資格など無い。
『もうお前の戦い方は、バカ丸出しなんかじゃねえ』
どうしようもない自分に厳しい言葉を浴びせながらも、最後まで見捨てることなく成長させてくれた。
『次はもっと凄いことやろうねっ、カリンもアカネもトキも、皆で一緒の任務、楽しみにしてるから!』
素晴らしいエージェント達の中に自分が加わっている図を、当然のように描いてくれていた。
彼女達に対して、自分がしたことは何だ?
差し伸べた手を取ることもせず、踏み躙った。
「……っぐ……」
己を操る何かを止めるどころか、邪魔して鈍らせることすら出来なかった。
「……ふっ………ぅぐぅう…………っ!!」
震える腕で握りしめる白い掛布団に、大粒の沁みが点々と広がっていく。
歯を食いしばっても声は漏れ、双眸から溢れる涙も止まらなかった。