「……分かってるよ。起きたことは変えられない、それに」
急停止して突如立ち上がったイツキはその場で強く、経年劣化でひび割れたコンクリート床を踏みつける。
震脚のような轟音と共に巨大な亀裂が迸り、コンクリート床が大きく剥がれて板となり、畳返しの如くミカとイツキの間に立ち上がった。
この結果は偶然ではない。"どこをどうすれば如何なる破壊が起こるか分かる"、イツキが改造される前から持っていた資質の応用だった。
宙に浮かぶ巨大な壁をイツキは前方へと蹴っ飛ばす。
「私がこんな……逃げてばっかりの意気地なしじゃなかったら――」
ミカは足を止めず、正面衝突せんと自身に迫るコンクリート板を殴りつける。
跳ね返してイツキへぶつけようと目論むカウンター。
「――こんなに迷惑かけなかったって!」
「っ!?」
しかし、イツキは浮いたコンクリート板と地面の隙間、50センチにも満たないような空間を非常に低い四つ足の姿勢で潜り抜けていた。
コンクリート板で視界を覆われていたミカは足元にまで目が届いておらず、懐に潜り込む敵に気付くのが遅れ対応が間に合わない。
ミカの片足を両腕で抱き込みつつ最小限の機動で背後に回り、抱きしめるように足を引っ張ると同時に肩で押す。
格闘技でローシングルタックルとも呼ばれる、立つ相手を倒すための技。
不良たちの扱う銃は量産型の粗悪品が多く、ジャム(弾詰まり)を筆頭とする故障も少なくない。その対策として独学で体術を齧っている者も多く、元不良(迷惑系配信者)のイツキもその一人だった。
だが彼女の場合は思いがけず強大な力と速さを手にしたことで、齧る程度の練度であった技がこうして本来格上の相手にも通用するようになっていた。
(やばっ……倒れっ)
しかも、ただの転倒ではない。このままでは、イツキに背中を向けた状態でうつ伏せに地面に叩きつけられる。
手をついて体を支えようとすれば片手でこの勢いは支えきれず、SMGを手放すことになる。どちらにしても無防備な背中、ショットガンの格好の的を晒してしまう。
だが受け身も取らず顔を地面にぶつけるよりは晒す隙は小さいと、銃を手放して両手を突くことを選択する。
――激痛が襲ったのは、足だった。
「っぐ……あ……っ!」
近距離であればレンガをも粉々にするスラッグ弾がミカの両足、それも体を守る肉の薄い関節部である膝の裏を穿った。
キヴォトスの中でも頑丈である彼女の体に貫通こそしていないものの、即座に立ち上がれるような生半可な痛みと衝撃ではない。
だが、より意識を奪える可能性のある頭を狙われなかった。
その意図は何とか銃を取って転がり、イツキの居るほうへ反転する前からミカは察してしまっていた。
――察していても、止められない事も。
「――イッちゃん!!」
(――さよなら、ミカ)
俊足の四つ足で駆けるイツキは、撃ったばかりのショットガンを背に戻し既にコンクリートの壁に開いた穴……最初にミカが破って乱入してきた所から抜け出すところだった。
(倒さなくていい。この距離ならミカには……否、誰だろうと追いつける奴なんていない)
気絶させる可能性さえあった絶好の機会に敢えて両足を撃ったのは、より確実に自分に追いつけなくさせる為。
ミカが銃を取って狙いをつけることもままならぬ間に、イツキは建物の外へと前足のように"両手"を踏み出していた。
例えこの瞬間ワカモが覚醒したとしても、外の標的には壁が射線を遮ってしまい、当てられない。
(っぐ、頭が重い……! 『セトの腕』を二本同時に出した時に明らかに視界がぼやけた! もう何度も使えない!)
イツキ自身も余裕などないばかりか、本人としては崖っぷちだった。
体力は健在だが、『腕』を出現させた際には著しく気力を消耗し、二本同時に出現させると更に倍消耗してしまう事に気付いたのだ。
自分でも把握しきれていない未知の力故のデメリット。
(気力が戻るまで、また何処かに潜んで回復する必要がある……! 何処へ行く!? 少なくとも、此処からずっと離れた地区へ――)
漸く屋外の空気を浴びたイツキは、既に二人を振り切った先の事を考えていた。
飛び出した外に新手は居らず、後にした二人が追いつくことはあり得ないのだから当然の思考とも言える。
――地面に何か仕掛けられている等と、考えが及ぶ筈がない。
(――――は?)
上半身を巨人の拳で突き上げられたのかと錯覚するような強烈な衝撃、爆音、閃光。
これらを同時に味わう僅か前、イツキは前足のように地面を駆る手に「カチリ」と何かを押すような感覚を味わった気がした。
(……地雷っ……!?)
何で、ミカが入って来ただろう方向の地面にそんなものが。前々から仕掛けられていたのなら彼女が引っかかって――と考え、もしも"ここまでが画策通りなら"とイツキは背筋を凍らせる。
ミカに奇襲と称して穴を開けさせて出口を印象付け、天井は自身が陣取って近寄りづらくして、此処から出られることを印象付けられていたとしたら、と。信号弾の下りも焦らせ判断力を鈍らせたまま外に出させる作戦だったのかもしれない。
自身が銃の引き金を引けなくなって尚、既に打っていた布石で立ちはだかる『災厄の狐』の謀略に戦慄していたイツキは、立て続けに自身の胴体を体が僅かに浮かぶほどの衝撃に貫かれる。
「……どこ、からっ」
かろうじて狙撃と分かったものの、ワカモのいた方向からではない。そもそも射線をコンクリートの壁が阻んでいる。
地雷と狙撃を間を置かずに食らってフラつく体を無理やり動かし、廃倉庫の中に戻らざるを得ない。
あと何個、廃倉庫の周囲に地雷が置かれているか分からず、踏めば地雷でダメージと共に動きを止められ、止まった体を狙撃手に撃ち抜かれてしまうのだから。
戻るまでの一瞬に確認した狙撃の方向に人影は見当たらず、ブラックマーケット地区外のビルが一棟見えただけだった。
(あのビル……まさかあんな遠くから!? あり得ない、届くとしてもあんなところから狙い撃ちできるわけ……!)
それが出来る狙撃手にイツキは一人だけ心当たりがあった。
しかし、それを考えている暇などない。
「……ごめんね、イッちゃん」
水月に二発。
腕に一発。
膝の裏に二発。
一発で人の体を車で轢いたように弾き飛ばすスラッグ弾をこれだけ食らった筈の体が、僅かな時間を置いただけで何事も無かったかのように迫ってくる。
トリニティの暴力装置と一部で揶揄される、圧倒的な"個"が。
「これは、私やワカモちゃん一人の戦いじゃ無い。孤独のまま戦っている貴女に、あの娘たちから託された私が負けるわけにはいかないんだよ」
《――こちら、コールサイン02。標的に着弾した。標的は建物内に戻っている、引き続き監視を続ける》
《コールサイン00了解。作戦に変更はない、そのまま続けろ》