2kmを超えるような超長距離狙撃は、スコープの中心に目標を収めれば出来るようなものではない。
風の影響から地球の自転、着弾までの確実に6秒は超える時間差など、あらゆる外的要因を計算しなければ狙った標的に弾を届けることなど不可能だ。
しかし、数学を不得手としている筈のC&Cの狙撃手「コールサイン02」は、スコープすらない対戦車ライフルに似た銃でそれを成し遂げてしまう。
座学の数学が苦手のまま何故この神業を為せるのか、と周囲に疑問を呈されたことは一度ではないが、本人にも分からないのだという。
(……イツキ)
廃倉庫から遠く離れた、商業ビルの屋上。
這う這うの体で廃倉庫内へと逃げ帰った少女を驚異的な視力で見送ったカリンは、淡々と報告を入れながらも自身の撃ち抜いた彼女の事を案じていた。
新たに加わった年上の後輩。苦学しながらも授業についていこうと努力する姿はいつも赤点に頭を抱える自身とも重なり、カリンは早々に好ましく感じていた。
過剰な位謙った言動も、学年を意識して真面目に振舞っているのだろうとしか考えていなかった。
しかし実際は此方の事を、ひいてはミレニアムの生徒達全員のことを雲の上の人物だと考えていたらしい。それがこの脱走につながったんだろう、というリーダーの推測を聞いた時、これまでの彼女の振る舞いに繋がると納得すると共に胸に去来したのは寂寥感。
メイド服に惹かれたというだけでこの部活に入った自分など、そこまで持ち上げられるような人物ではないというのに。
お姫様が思いを寄せていた幼馴染の使用人が、実は仕事として自分と仲を深めていたと知りショックを受けるという、どこかの恋愛小説で読んだ話を思い出す。
その話の中では、使用人側も心から姫を慕っていたと後に綴られる。身分が違うのだから心の距離を縮めてはならないとして、敢えて仕事と称して距離を置いたのだと。
貧民の自分以外の周り全てが姫だとでも考えているかのような、イツキの狂気じみた低い自己評価。
先生を守る為に身を投げ出した理由も「生きている価値のない自分の命で、多くの生徒に慕われる先生が救われるなら安いもの」と考えてのものだったとしたら。……と、今は比較的関わりが浅い方でありながら、カリンは彼女の思考を理解する所まで辿り着いていた。
(どう生きてきたら……どんな悍ましい目にあったら、そこまで自分を卑下することが出来るっていうんだよ)
そうだとしたら、彼女は友人のように言葉を交わしながら、その実不出来だと思い込んでいる自分を皆から遠ざけ、ずっと孤独の殻の中に閉じ籠っていたことになる。
彼女が過去に苛めに遭って一度夢から挫折し、不良の迷惑系配信者に落ちていたという経緯は小耳に挟んだ。もしかしたら、本人が苛めの一言で済ませているそれは、自分には想像も出来ない程凄惨な出来事だったのかもしれない。
他人の不幸を望む性格になっていても不思議ではない経験をして、そうなるどころか他人を尊敬し、幸せを願えるというのは彼女の人格が優れているという証左だとしか思えない。
(リーダーほど貴女を知らない私でも、分かる事はある。……貴女は、居なくなってはいけない)
「これだけ痛い目に遭いながら……気持ちを踏み躙られながら……何でそんな風に笑っていられるんだよ!!」
再び対峙せざるを得なくなった相手が、与えたダメージをものともしていないかのように微笑んでいることにイツキは叫ぶ。
己を憎み、愛想をつかして欲しかったのに、彼女の顔を怒りに歪めることが出来たのは最初だけだった。
こちらに銃を向けず片手に下げた無防備な格好で近づいてくるミカの意図が読めない。
「痛い目に遭わせた、踏み躙ったって、思ってくれるんだね。それが答えだよ」
人を傷つけながら、己を痛めつけている。
それは目の前のイツキが今もしている事であり、かつて救いなど望めない程罪を重ねたと思っていたミカ自身がしていた事だった。
威嚇するようにがなり散らしながら、その実泣きそうになっている少女の心情が自分のことのように分かる。
「それ、素敵な銃だよね。今日までずっと大切に手入れしていたんだって、一目で分かる」
黒い銃身全体が幾何学模様に覆われ、淡い水色で彩られた近未来的なデザインのショットガン『WAS(ウアス)』。
何の偶然か、イツキに縁の深いセトの憤怒と模様やカラーリングが似ており、そのディティールの凝り具合は特注品でなければ考えられない。
事実、これはミレニアムの錚々たる面々の監修・協力の元、イツキの為だけに作られ入学祝いに贈られたものだった。
「……!!」
「貰ったものや助言を一つ残らず大切にして、少しの間にどんどん強く大きくなっていく。誰かの凄い所を憎まずに羨ましいと思って尊敬できる。……そんなあなたの未来を見届けたいって考えるのが、おかしなことかな?」
「っそれ以上近づ――!!」
発砲音の直後、イツキはショットガンを取り落とす。
破損した仮面を捨て狙撃銃を構えた狐耳の少女の足元に、薬莢が転げ落ちていた。
掌を撃ち抜かれた痛みに怯み、動揺して落とした武器を目で追ってしまった隙をミカは見逃さない。
体当たりするような勢いでイツキを正面から抱きしめ、地面に押し倒す。
「――ワカモ、どうして、」
何故意識を取り戻している、ではない。
その表情から怒りの感情が消え去っていたのだ。
イツキにとってその事実は、銃を手元から失い、体の自由を奪われても抵抗を忘れる程の衝撃だった。
先程まで激昂する程の憤りを覚えていた相手が、セトの腕による攻撃まで食らっておいて、何故怒りと憎しみを捨てられるのか理解できない。
「……私は、思いの丈全てを吐き出しました。貴女への怒りも、期待も、失望も。次は貴女の番です、イツキ」
ミカに捕らえられその動きを封じられたイツキに、ワカモは諭すように告げる。
「貴女が逃げ出さずとも、私達は何れ、こうして本音をぶつけ合い、戦う運命は避けられなかったのだと思います。……仮面のまま向き合う好敵手だった我々が、心から互いを分かり合い、本当の好敵手となる為に」