以前収容されていた所に似た病院の一室。
セトの憤怒を操る存在……ミカが"セティ"と名付けたそれに操られていた間の事は、イツキも覚えている。
だから覚醒した時、大切な人を消し飛ばすという最悪の事態を避けられたことは認識していた。
しかし、気分が晴れることは無い。
イツキはベッドの上で、上体だけを起こした姿勢で俯いていた。
(……ミカとワカモが、こんな私を連れ戻しに来てくれたことは嬉しかったに決まってる。――けど。今更どうしろと? 受け入れてくれた学校を裏切って、先生を過労で伏せさせて、連れ戻しに来た子を殺しかけた女に、居場所なんて、どこにも……)
脱走の切欠となった、アビドス砂漠での暴走。
本当は、全てをセティに押し付けて、自分は操られただけなんだと許され、憧れの学園生活に戻りたかった。
でも、そこまで図々しくしがみつくには、あまりに自分は矮小過ぎた。
頭が悪くて不器用で、人の勇気や好意の手を取る勇気のない意気地なしが、あんなにすごい子たちと友達や仲間のように振舞って。
(……もう、疲れた……)
初めから何も知らなければ。
自分には未来永劫縁のない憧れのままだったほうが、まだ幸せだったのかもしれない。等と考える自分は、ミレニアムに入る為に尽力してくれた、大好きなあの人の努力を全否定している。
そんな逆切れしたようなことばかりを考える弱い自分が憎くてたまらない。
"――イツキ!!"
内側からは開けられない施錠が解かれ、名を呼んだのはつい思い浮かべたばかりの、倒れたはずの想い人。
思わず顔を起こした先に居た彼の存在が突然過ぎて、イツキは己の妄想かと考えてしまう。
しかし、彼は最後に自分が冷たい言葉を浴びせた時より更にやつれていた。初めて見る姿を幻として見るのは無理がある……等と、小難しい事を考えて漸く、これが現実に起きていることなのだと理解が追いついてくる。
ベッドの傍の椅子に腰かけ、こちらに目を合わせる目の前の人物が本物なのだと。
「……せん、せい……?」
"……よく、帰ってきてくれたね。本当に……!"
一体いつ目が覚めたのか、ここまで来て大丈夫なのかという疑問も、隈の強く刻まれた目を喜びに笑ませる彼の顔を見て吹き飛んだ。
無事を喜んでくれる意味が、イツキには分からない。
此方に出向いてくれるまで想い人が回復したことを喜ぶべきなのに、表情が凍り付いて無理に笑うこともできない。
「何で笑ってるの、先生。私が誰だか分かってる? その体をボロボロにして逃げた女だよ?」
"なら、私はイツキの手足を奪った男だね"
事も無げに切り返し先生は続ける。
ただ謝るだけでは彼女の心には届かない。そのことを思い、言葉を選びながら。
"……ミレニアムに入学できた恩を仇で返したと思って、怖くなったんだよね、イツキは。元はと言えばあの暴走は、私が君から普通の生き方を奪ったことが原因だったのに"
「先生、それは違うよ。あれは只の切欠だった。元々私はあそこに相応しくなかったって、取り返しのつかない事になってやっと分かっただけなんだよ」
"あの事件で治らない怪我をした子は一人もいないし、取り返しがつかないなんてのは思い込みだ。君は自分の体を勝手に使われただけの被害者の一人に過ぎない。相応しくないというのは、誰かにそう言われたのかい?"
「言われてない。誰にも一度も言われたことがないのがおかしいんだよ」
その答えを聞いた先生は、思った通りだと確信する。
相応しくないと言った誰かとは、只一人なのだろうと。
"私は、普通に生きられなくなった君が幸せになれるように手を尽くしたつもりだった。この通り裏目に出てしまったけどね。人員と環境を整えた上で、君とホシノを会わせることもあの時の私には出来たんだ。そうやって実験の体にすれば、同じ暴走が起きても君は今ほど責任を感じなくて済んだ筈だ"
立ち上がり、更にイツキに近づきながら、イツキが無事に戻ったことを聞くまでずっと抱いていた後悔を口にする。
同じように悔やんで蹲っている一人の生徒に、過ちを犯した己を見せて導くために。
"私は命を救われた恩を、イツキは入学できた恩を。互いに受けた恩を意識し過ぎて、どっちも裏目に出てしまった。ただそれだけのことなんだよ。……私は、間違えた自分を責め続けるのは止めることにした。してしまった事は無くならないし忘れるつもりもないけれど、立ち止まってしまっては償いもできない。君のこれからの為に、力を尽くすこともね"
「……せん、せ……何……」
全ての始まりとなったあの事故の時以上に近づいた先生との距離に、イツキは驚き戸惑う。
屈んだかと思うと、背に腕を回され、肩越しに病室の白い壁が見えた。
体の前から伝わる温もりと、僅かに頬にかかる自分ではない髪の毛のくすぐったい感触。
"だからイツキも、君自身を許してあげて欲しい。君の成長を見届けたい、私達の為に"
肩越しに抱きしめられ、只々何が起きているのか分からないとばかりに目を見開いて沈黙していたイツキは、その言葉を聞いて次第に皺くちゃに表情を歪ませていった。
口をすぼめるように固く閉じ、見開いていた目を逆に縮めて眉間に皺を寄せ、溢れそうになる何かを堪えるかのように。
しかし、その必死の努力を以てして尚、目尻から溢れる熱いものは止まらず、静かに頬を伝う。
一番欲しかったものを手放すまいと、己より打たれ弱い筈の、今は何より頼もしい男の背中に手を回し抱きしめる。
"私達を突き放す為に随分悪い子ぶっていたみたいだけど……イツキは、他人の良い所を見つけて、それを凄いと素直に尊敬できる優しい子だ。君は価値のない人間なんかじゃない。比べて小さく見える程、皆が大きく見え過ぎるだけなんだ"
赤子が甘えるように縋りついてくる少女に語り掛けながら、薄緑の髪越しに背中をさするように撫でる。
静かな嗚咽を聞き、肩に浸みこむ涙の温もりを感じながら。