街の射撃場での訓練。
武器の手入れ。
入院で鈍った体をほぐす為の運動。
そんな特別でも何でもない準備を続けていると、三日という期間など光の如く消え去ってしまった。
メイド服姿で家を出て約束の場所に向かうイツキに、今日ばかりは周囲の視線を気にして顔を赤らめる余裕はない。
鼻先にまで迫った未来、殺し合い同然に鉄火を交えるのは、かつて勝てないと絶望させられた己の師なのだ。
(ここだよね。えっと、30分前くらいか)
ミレニアムサイエンススクールの片隅に位置する、兵器等の実験場も兼ねた訓練施設。
その傍らには言われていた通り簡素な地下行きのエレベーターがあり、イツキはドアのある面と異なる側面の壁に背中を預けて待つことにする。
この後の決闘のことで頭が破裂しそうだと思う一方、違和感も感じていた。
(……何だか、周りの気配がまばらなような……? こんなものだったっけ?)
この時間は、もっと下校する生徒で賑わっていたような気がする。
しかし学校に居た時間の短かった自分の感覚など信ぴょう性に欠けるし、考えててもしょうがない、と深く追求しようと思うことはなかった。
それよりも立ち回りを復習しようと目を閉じて最後となるだろうイメージトレーニングを始め、10分後。
「指定より早い到着ですね。良い傾向と考えます」
白いロングブーツのヒールを石畳に響かせ、その人物はやって来た。
「……トキ!?」
「はい。この度あなたの案内役を務めます、飛鳥馬トキです。短い間ですが、完璧なご案内をお約束いたします」
驚いて思わず名を呼ぶイツキに、トキはいつものロングスカートメイド服姿で真顔のままそう返した。
「それでは早速参りましょう。本日の対戦相手が会場でお待ちです」
面食らって動けずにいるのを尻目に、トキはエレベーターのボタンを押して扉を開けている。
自らは入ろうとせずボタンを押しながらこちらを見ている姿を見て、イツキは慌てて内部に駆け込んだ。
「あ、あの……道を教えてくれるだけなんだから、私なんか相手にそんなかしこまらなくても……」
「内容と相手が如何なる業務であろうと、完璧な美少女万能メイドの辞書に手抜きという三文字はありません」
自らもエレベーター内に入ったトキは、冗談のような自賛を交えて返しながら階層を表示しているボタンを押す。
子供の悪戯のように、あらゆるボタンを。
「今回の特別な会場までは14の暗証番号が設定されています。翌日以降は番号も更新されますので悪しからず」
よく見ると複数回押されているボタンが点在することにイツキは気づく。
宣言通り、14回押下されたところで電子音が鳴り響き、全てのボタンの数字が白く光ったかと思うとエレベーターが下降を開始した。
「……緊張は、あまりされていないようですね。失礼かもしれませんが意外でした」
「えっ? ……あ、うん。どれだけ緊張しても、今日死ぬかもしれないんだからしょうがないかなあって」
唐突に「業務外」の話を切り出され、予想外の事に反応が遅れたイツキは慌ててそう回答する。
己自身こう言い表したくはないのだが、イツキにとってトキは一番苦手なタイプの人間だった。
言い表したくないと思っていることが示すように、嫌いなどでは断じてない。メイドとしての寸分の狂いも無い、完璧美少女万能メイドという自称が笑い話にならない仕事ぶりは心から尊敬している。クールな印象からイメージされる仕事優先で融通の利かないタイプかと思いきや、素っ頓狂な言動と行動で度々ネルを怒らせたり周囲を困惑させたりする一面も、親しみやすい部分だと感じている。
しかし、それらの行動の意図を理解できないことが多く、そこが怖くて苦手意識を持ってしまうのだ。分かり易くこちらに怒りなどをぶつけてくるネルへの恐怖と異なる、それ以上に苦手な理解不能と言う怖さ。
自己肯定感の低いイツキには、このように何を考えているか分からない相手に対して不安な妄想を膨らませてしまう悪癖がある。例えば自分のようなメイドとして足を引っ張ってばかりの存在は、業務として受け入れているに過ぎないのではないか、等と。彼女の思い描く完璧なメイドはこのようなこと……自分のようなお荷物を抱えたぐらいで不平を零したりはしない、等という理屈で。
「やはりそうでしたか。では、【トキちゃんの厳選ジョーク百八式】のお披露目はまたの機会に」
「それもすっごく気になるんだけど……あ、あのさ、トキに謝りたくて。C&Cが私なんかを探すために動いてたって聞いて、トキが腕を振るうべき貴重な時間を奪ってしまったから、私……」
「C&Cのメイドとして、任務を果たしたまでです。改めて謝罪を受ける理由はありません」
「……うん、それもそっか。そうだよね」
彼女なりに気にしていない、とフォローしてくれたのだろうと分かっているのに、あくまでも仕事と言い切るようなその返答に落ち込んでいる自分がイツキは嫌になってしまう。
迷惑をかけておきながら、この期に及んで彼女からの返答に何を期待していたのだろう、と。
「……イツキ。少々失礼いたします」
「?」
最下階まで下りたことを示す階層番号のランプが点灯し、更に「横」へと緩やかに移動を始めた頃。
気持ちを切り替えてこの後始まる激戦のことに集中しようとしたイツキは、唐突にこちらを向いて名を呼ぶ案内役に困惑する。
「……はへえっ!?」
次の瞬間。
トキが近づいてきたと思いきやとった予想だにしない行動に、イツキは間の抜けた悲鳴をあげる。
「これは、コールサインゼロフォーとしてでも、案内役としてでもありません。ミレニアムサイエンススクール一年にしてあなたの同級生、飛鳥馬トキとしての行動であるとご理解下さい」
何の脈絡もなく、正面から抱きしめられたのだ。
抱きしめた本人は引き続き案内人の態度を崩すことなく、肩越しに冷静に語っている。
「イツキは以前、自分が入ることでC&Cの経歴に傷がつくのでは、と言いましたが。そもそも、この組織には僅か三年にすら満たぬ程度の歴史しか存在せず、変化を「傷」と称する程の重みなどありません。例えメイド業務を不得手とするエージェントが存在したとして、それは些細な「変化」にすぎないと私は考えます」
アップに整えられた金髪が鼻先でフローラルな香りを漂わせ、互いのエプロンドレス越しに温もりが伝わる状況に混乱したイツキは思わず後ずさろうとするが、がっしりと腰と背中に腕を回すトキが離れることを許さない。
「それを踏まえた上で聞いて下さい。ネル先輩にアスナ先輩が、カリン先輩にアカネ先輩がいるように、卒業まで共にメイドの道を邁進できる相方を得られたことを。――飛鳥馬トキは。心より、幸福と感じております」
「…………それが、【厳選ジョーク百八式】の1つ?」
「そのお披露目はまたの機会にと言ったでしょう。あなたはメイドとして、不得手である現実から目を逸らさず努力し足掻いています。完璧なメイドを目指す為に一番大切なものを、あなたは既に持っているということです」
語る間にさりげなく距離を取ろうと試みるも、先程までより強く抱き寄せられ失敗。
本当に自分と同じ「女」なのかと疑うばかりの甘い香りと柔らかさ、視界の端に揺れる金糸の輝きに不整脈が収まらぬままイツキは抵抗を口にする。
「……そんなの、苦手を直そうと努力するだけなら誰でもできるじゃん! それでもなかなか結果が出てくれないような私じゃなくたって、誰でも――」
「それに、エージェントに必要な戦闘能力はネル先輩のお墨付き。……今、誰でもいいと言いかけたことについて撤回を要求します。イツキ自身が撤回の言葉を口にするまで、例え試合開始時間になろうとも解放しません」
「わ、分かった! ……いや、私である理由は分かんないけども! トキが誰でもいいって思っているわけじゃないのは分かったから!!」
「……まあ、今はこの位にしておきましょうか」
誰でもいいわけがない最大の理由。それはトキ自身だけでなく、C&Cへの所属に他のメンバーの誰一人難色を示さず歓迎しているという現状そのものである。
トキは本人にその自覚が無いことに不満を抱きながらも、今それを分からせようとする時間はないと判断し、渋々回していた腕を離す。
ポーン、と到着を知らせる電子音が鳴り響き、扉が開く。
我慢して受け入れているわけではないことを体で理解させられたことで、イツキはトキへの苦手意識が幾分か和らいだ。
しかし突然の抱擁に対する動揺が未だ冷めぬ中、彼女の理解できない部分が更に増えてしまったような気もしていた。