『………………ハッ!? たた大変失礼しました! りょ、両者構えはよ、宜しいですね!?』
観客で埋まり、人の気配には満ちているのに声の絶えた異様な空気の中、シノンは努めて明るく声を張り上げる。
司会進行役であるが故に二人の姿を注視していたことでその尋常ならざる殺意をもまともに直視してしまった彼女だが、それでも報道部としての矜持を支えに続行。
(……ホシノやミカの言っていた"四つ足"か……。前に真っ直ぐ跳ぶ二本足の【踏み込み】より若干速度は下がるが、どの方向にも跳べるってことだったな)
ネルはイツキと交戦経験のあるシャーレ所属の生徒からの情報収集も怠ってはいなかった。
殺す気で襲い掛かると決めた以上、敵の事を知る努力を惜しむような妥協は許されない。
(……ネル先輩の得意は近距離戦だけど、私と違って照準合わせが苦手なわけじゃない。あの二丁SMG「ツイン・ドラゴン」を射程距離ギリギリで使われたら、こちらの攻撃の届かない場所から一方的に弾を浴びることになる……)
握り込むように床に立てられるイツキの両手。
その五指は既に床へと数ミリめり込み、放射線状に罅を迸らせていた。
(周囲には大量の遮蔽物がある……いや、今のイツキなら足場にしてくる。アレを使って初手から飛び回られたら面倒だな……)
(先輩はこのオブジェクトを盾としてではなく、私を挟み撃ちにする壁として使ってきそうだ。初手でこれらに張りつくのは悪手……いや、だからって弾除けのない位置に突っ立っていたらそれこそただの的だ……)
『……ハイ! 共に異存はないということであると見なしまして、間もなくカウントを始めさせていただきます! さあさ観客の皆さん! お二人のとんでもない殺意……じゃなかった、戦いに関する意気込みに負けていてはなりません! お二方の健闘を願って!! より大きな声で!!! 初めの頃を思い出してえっ!!!! 大いに盛り上がって参りましょおおおおおおおおおおおおう!!!!!』
諦めず明るく煽り立て続けたシノンの努力の甲斐あって、一時は音の消えた客席に賑わいが戻り始めた。
しかし、戦場に立つ二人は共に静かだと錯覚していた。
眼前の「敵」がどんな姿勢か、目線はどちらか、つまりどう動く可能性があるのか……考えを巡らせいっぱいになった頭に、戦いに必要な情報以外の雑音はただすり抜けていくのみだった為に。
『それでは! カウントをお願いいたします!!』
宣言された直後、客席上部にある大型ビジョンの映像が、今まで出場選手を生中継していたものから切り替わる。
ブザーに似た明るい効果音と共に、中央から拡大するように表示される{3}の文字。
(……いいだろう。ダダ漏れの殺意に満ちたその面、早々に鼻っ柱をへし折ってやる)
(……ネル先輩を【破壊】する。その為の最善の初手は、やはり……)
{2}
力強く大股気味に足を開いた姿勢で、スゥッ、と息を吸い込むネル。
膨れ上がっているように錯覚する程に力を溜めた四肢に、青白い雷の如きエネルギーを纏うイツキ。
{1}
小柄な赤い瞳のメイドは笑みを消し、更に腰を落とす。
薄緑の長髪、青と紫のオッドアイのメイドは『1』の表示が消えた瞬間、床にめり込ませていた手を離していた。
{ G O }
非常時のサイレンのようなけたたましい音と共に、数字より派手な光と色で大型ビジョンが試合の始まりを告げた。
しかし、その開幕を知らせる音に重なるように響き渡ったのは重く鈍い衝撃音。
『さあ始まりま……!?』
シノンの実況は既に置いてきぼりだった。
彼女も他の大多数の観客も、何故離れて向かい合っていた筈の二人がもう闘技場の中心で向かい合っているのか分からない。
互いに苦し気に仰け反っているような体勢である理由も。
「……っづあっ……!?」
「……いぎっ……!?」
後の解説や記録映像で確認するより早く、当事者以外で何が起きたのか分かったのは視力に優れた生徒などほんの一部。
制服姿で他C&Cメンバーと共に二人の応援に駆け付けていたカリンもその数少ない一人。
(頭から……!? しかも、互いに全速力の正面衝突……!!)
イツキが足場か遮蔽物を目当てに、傍らの何れかのオブジェクトに跳ぶと予測を立てていたネルは、距離を縮めつつ弾をばら撒いて相手の更なる移動を牽制しようと彼女目掛けて真っ直ぐに跳んだ。
ネルが射程距離で有利なSMGをちらつかせることでこちらを牽制し誘導しようとしているとヤマを張ったイツキは、その裏をかいて虚を突く為どこにでも跳べる四つ足で構え手を床にめり込ませるまでして……土壇場で二本足の【踏み込み】で正面へと跳んだ。
――互いに、相手が真っ直ぐ自分に向かってくると考えていなかった。そして互いに速度に重きを置いた前傾姿勢であったが故に、全力の頭突きをぶつけ合うような事態となったのだ。
《自分がお前の『踏み込み』を知っている敵だったらと想像してみろ。『踏み込み』の音が聞こえたらどう動く?》
《それは……目の前にくるからガードするか、迎撃するか、距離を取るか……》
《つまり、それらの行動を『誘える』とは考えられねえか? ただその場で『踏み込み』をしただけで》
「……ッチイ!!」
それはかつて、ネル自身がイツキへ与えた助言そのままを活かされたものだった。
四つ足を見せられることで、ただでさえ被弾のリスクが付きまとう正面から向かってくることはない、と思わされた。
だが、舌打ちするように声を荒げながらもネルは笑っていた。反った刀のように鋭く凶悪な形相で。
骨ごと損傷を受けていてもおかしくない衝撃を首にまともに食らいながら、目と鼻の先にいるだろう相手をハチの巣にすべく、金の龍の描かれた二丁のSMGを正面に向け――
紙一重で仰け反って躱した"二本の指"が瞼と目頭を掠り抜けた。
(目潰しだと……しかも今の勢い、食らったら瞳が刳り貫かれてた……!)
ネルは立て続けに仕掛けられた次の手を分析する一方、並列思考で何故イツキの目潰しに気付かず銃を正面に向けてしまったのか考える。
そうして思い返すと、SMGを向けた先にイツキは居らず、目潰しを仕掛けてきた二本の指はその下から斜め上に跳び上がるように伸びてきていた。
(コイツ、まさか……!!)
(……ネル先輩は、強い相手や理不尽な状況とも山ほど戦ってきたでしょう。自分より大きな相手、戦車、兵器との戦いを重ね、その全てで勝利し、コールサインダブルオー『約束された勝利の象徴』の名を掲げるまでに至るほどの熟練者)
目潰しを仕掛けるべく伸ばした腕の勢いに引っ張られるように、イツキはネルの脇をすれ違い、伸びたままの手で床を力いっぱい叩いた振り向きざま、もう片方の手が背負っていたショットガンを既に手にしている。
(私は、そんなあなたが戦ったことのない敵として、あなたを壊す)
ショットガンを持つ手以外の三肢で体を支える姿勢は、一桁中盤の幼児と同じ位低い。
150cmに届かない体躯のネルでさえ、意識しなければならない領域。
(……"あなたより低くて速い敵"と、どう戦ってみせますか!?)