【セトの憤怒】
超越的な神格の顕現。
あの存在がもしもこの世界にもう少し長く繋ぎ止められていればどれ程の犠牲がでたことか……その脅威は記憶に新しい。
だが、その影響が大きい程、いつの時代もこれを考える者が現れるものだ。
あの存在への対策にも繋がる――それを口実にした、『再現』を。
様々な代替品や妥協を経て、神格の力に魅入られた者たちの執念は、遂にある程度実を結ぶところまで漕ぎつけていた。
だが、あと一歩の所で行き詰る。
生み出した「セトの部品もどき」とでも形容されるかもしれないそれは、何度汗水たらして作り出そうと、痕跡すら残さずこの世界からすぐに存在を失ってしまうのだ。何時間も木を擦りようやく起こした火が、珍しくもない只のそよ風で消し飛ぶように。
この世界に繋ぎ止める為の何かが足りない。そう仮説を立てた研究者が次の段階へと進むべく提唱したプロジェクトは、正気で皆に発表したとは思えぬほど狂っていた。
生きた生徒を、アレを繋ぎ止める楔にしようというのだ。楔となる生徒の肉体を、元の肉体の形に造形した「セトの部品もどき」と入れ替えて。
用意できるはずもない「生贄」を前提とする、取らぬ狸の皮算用にも程のあるその戯言は、他の誰もが忘れ去られる運命と考えていた。
――四肢を失い虫の息となった、あの少女が運び込まれてくるまでは。
乾いた笑いが……誰に向けるべきかもわからない感情が浮かび上がる程、その後の経過は順調の一途を辿る。
雷と呼称されるあの青白いエネルギーは馴染み深い電気とは似て非なるもので、触れたものを痺れさせたり等、そのものを武器として扱えるわけではないようだ。
その代わりという事なのか、雷を纏う四肢は莫大なエネルギーを有している。生身として残っているはずの胴体に負荷をかけることなく、超越的な身体能力全般……膂力、機動力などを所持者に与えているようだ。
身を呈してシャーレの「先生」を救った英雄、とも一部で称される彼女が生還し、四肢を失う前よりも活発に動けるようになったことは歓迎すべき結果なのかもしれない。
しかし、ここに文章を認めているのは、その件で気になることがあるからだ。
あまりにも、これまでの流れが綺麗すぎて不気味なのだ。
先生を守ろうとした少女が四肢を失う大怪我を負った、あのカフェの倒壊事故。
あの時、先生の傍には楔……東戸イツキ以外にいなかった。
共に巻き込まれているはずのカフェの従業員ですらかすり傷1つ負っていなかったのである。その時は偶々外の騒ぎについて確かめようとして、倒壊する瓦礫の天井の僅か外側に居たのだという。
他に先生を庇える者はいない……そのような「誤差」が発生しえない状況だったということだ。
東戸イツキの元々の特性にも、気になる所がある。
創ることは苦手で不器用だが、壊すことにかけては何故か上手くいくのだと。それが物を「破壊」する迷惑系動画の配信者として、ある程度成功を収める結果となってしまったのだと。
【セトの憤怒】の大本と推測されている、エジプト神話における戦争の神【セト】。
砂漠と嵐と雷を司り、総じて「破壊」の神と称される。
狂った研究が忘れ去られる前に、
その研究を活かす以外に助かる見込みのない少女が運び込まれ、
適合したその少女は元よりセトの司る「破壊」に縁の深い存在であった。
――等と、偶然にしては不気味だという理由を羅列してはみたものの、仮にそのように運命を都合よく操る何かが居たと仮定したとして、そんなことをする動機が無い。
奇跡の産物とはいえ、東戸イツキの四肢についているあれらは所詮こちらの世界の者が作り出した、セトの「部品」の「もどき」なのだ。
東洋には祭神の霊を他に分かち祭る「分霊」という概念があるそうだが、まさかあれがセトの分霊になっているとは考え難いだろう。スケトウダラのすり身でカニに似せた蒲鉾を作るようなものだ。
全てはその分霊を足掛かりに、【本体】が顕現する為――というふざけた想像の飛躍は、私が子供の頃に読んだ娯楽小説の影響に違いない。
一応、彼女のメンタルケアを目的として、東戸イツキの人格の変化については注視すべきと提案することにする。