もう一つのスイッチ(前)
これは、ゲーム開発部と戦ったりいつもの三人でパフェを楽しむ前。
退院して間もない頃のお話。
事前に連絡した上で、イツキは朝早く、シャーレの先生の元を訪ねていた。
"……首輪のスイッチ、だって?"
「そう。この中にそのアプリが入ってる。これを先生のシッテムの箱に取り込めば、そのデバイスでいつでも起動できるようになる」
イツキの状態を、監視施設と言うべき所に共有するための首輪。
着用者に特殊な超音波を骨伝導で送り、弱らせたり気絶させる機能も備わっており、スイッチとはその音波を送る為のものだ。
「……分かってる。これを押す立場になるのが、先生にとってどれだけ辛いか」
アプリの入ったマイクロメモリを差し出すメイド服姿の少女は、神妙な面持ちで静かに思いを吐露する。
「けど、リオ会長から会長以外にこれを持つ人物を選べと言われた時、あなたしかいないって思って」
万一の時の暴走を抑える為だからといって、仇でもない相手をいつでも苦しめられるものを持つなど、まともな感性では気分がいいわけがない。
しかし、先生は逡巡することなくメモリを受け取って手持ちのタブレット型デバイスに接続。
"分かった、預からせてもらうよ。覚悟は君がそうなった時からとっくに出来ている。生徒のリオが、そのボタンを押す立場になることがどういうことか承知の上でいるのに……私だけが責任から逃れるわけにもいかないしね"
そう語る間にデバイスへのインストールは完了し、その後マイクロメモリは複雑にひび割れ埃屑のような姿になる。
データ消去を忘れて放置して第三者の手に渡らないよう、リオが施していた細工らしい。
「取り込みは、上手くいった?」
録音再生後に勝手に焼却されるテープ、昔のスパイ映画みたいだなとメモリの末路を見届けていた先生は、イツキにそう話しかけられ画面を確かめる。
"ん? ああ、成功してるよ。いざという時はいつでも――"
「それじゃあ、試運転をお願いします」
アプリを閉じようとしていた手が止まり、表情が固まって動かなくなるのを自覚する。
凡そあり得ないことを頼まれた様に聞こえて。
"――……ごめん。何て言ったのかよく分からなかった"
何かの聞き間違いだろうと笑顔を浮かべた先生はデバイスを顔の前から下げる。
同じく笑顔の少女の、青と紫のオッドアイがこちらを見つめ返していた。
「いざ使おうってなった時、スイッチが上手く入らなかったり、ちゃんと音波が出なかったりしたら無意味だよね? だから今、ここで、スイッチを押して、本当に上手くいくか試してほしい。避難訓練みたいな感覚で、さあどうぞ一発」
"………………君は核ミサイルの発射スイッチを前に同じことが言えるのかい?"
「リオ会長には何度もお願いしたのに、『人体を介さない動作点検は実施済み、理由もなくあなたに危害を加えるだけの試運転を行う合理的理由は無い』の一点張りで聞いてくれなくて。リオ会長がその類稀なる叡智をつぎ込んで私の為に作って下さったこの首輪の威力、一度味わってみたくて仕方がないってのに」
ドローン軍団AMASに憧れるあまり、動くところを見たいばかりか攻撃を食らってみたいとまで語っていたイツキ。
必要以上に己を責めたり自分を卑下したりすることは減り、それはいい傾向だと先生も考えているのだが。
その代わり、ミレニアム学園に対する崇拝の如き言動や、それに伴う正気とは思えない行動が激増しているとも見守っている彼は感じている。
"……私もリオと同意見かな"
「断る、ってこと?」
笑みを深めるイツキを目にし、先生はゾワリと首筋から全身へと鳥肌を立てた。
この部屋には他に誰も居ない。
今日の当番の生徒が来る迄、早くてもあと30分はかかる……。
「――じゃあ、押すしかない状況にしてあげる」
先生はたった一歩、出口に近づこうとする抵抗さえさせてもらえなかった。
シッテムの箱の防御機能は、例えば銃撃のような明確に先生を殺傷しようとする状況にしか発動しない。
両手首を掴んでソファーに仰向けに押し倒して、尚何も起こらないことを確認し、イツキはこの読みが正しかったことを知った。
※後編(もう一つのスイッチ(後))は書き上がり次第公開いたします