東戸イツキは改造人間である   作:空巳平吉

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もう一つのスイッチ(後)

「いつだって避難訓練はどこか軽んじられるものだけど、いざとなれば誰でも動揺してしまう。そうなっても動けるように体に覚えさせるのが実践訓練の意味なんだと思う。……これだって、必要なことなんだよ? 先生」

 

"デバイスでアプリを起動し、ここで指をスライドさせれば発動できる。ここまでで十分だ、覚えたよ"

 

「想像力が足りてないよ、先生。あなたは今、暴走した私に襲われている」

 

 

握力だけで闘技場の合金製の床に罅を入れる改造人間に、非戦闘員の人間一人を片手で押さえつけることなど造作もない。

話しかけながら跨り、更に逃げられる余地を潰していく。

 

 

「さあ、早くスイッチを。恐らく監視してるだろうリオ会長でも構いませんから。これは私が望んだことだから」

 

"ダメに決まってるだろ。『箱』の防御システムが作動しないということは、君には私に危害を加える気が無い。そんな君を苦しめるスイッチは押せない、リオも同じことを言う筈だ"

 

「うん、先生を傷つけるつもりはない。でも、『暴走して』『襲っている』のが事実だとしたら?」

 

"……手を離しなさい"

 

「私、ずっと前に告白したよね? 画面の向こうの皆が見ている前で。……私だって少しは、先生にとって魅力的に見えるように努力してきたんだよ?」

 

 

茶色の短髪だった頃、洗髪はシャンプーだけだった。美人になりたいという願望も理由も無かったし、どうせいじめっ子達に滅茶苦茶にされるから。

当時はボサボサで枝毛もいっぱい、煩わしくなった時その部分だけを切るという雑過ぎる有様だった。化粧はやり方も知らず、好きなロボットやSFアニメの間に挟まる香水のCMも煩わしいものでしかなかった。

そんな、男ですら身だしなみに苦言を呈したくなるようなかつての姿は、今は見る影もない。

薄緑のストレートの長髪はヘイローのような白い艶を纏い、一本たりとも乱れることなく令嬢の如き清楚な影を描いている。

最底辺という自覚から下がりがちだった目尻も、本来の猫目に近い釣り目となって睫毛も整え、希少な青と紫のオッドアイと合わさって神秘的とも言える気品を演出。

実際にやるまで無意味だと思っていたナチュラルメイクや、適度に纏う柑橘系の香水……これらの大半はミカから教わり、途中からアカネにも「ご主人様に恥をかかせぬよう、メイドが己の容姿に気を遣うのは当然を超えた義務」と徹底的に叩き込まれたもの。

 

 

「先生の選べる道は2つしかない。スイッチを押して私を止めるか、私の『暴走』を受け入れるか。そろそろ待ってあげられなくなるよ?」

 

 

抗えないよう両手で組み伏せなおす。

自分にはあっても活かしようがないと考えていた、カリンと同じ位の膨らみも、メイド服の白いエプロンごしに先生の胸板に押し当てる。

その瞬間明らかに先生の瞼や目元が震えて動揺を表したことに、イツキは胸の中が熱くなるような高揚感を覚える。

 

 

"押せない。離れるんだ、イツキ。こんなやり方、君自身が後で一番後悔することになる"

 

「何万人かに告白を見られた事以上に、後悔することなんてないからご心配なく……時間切れだね、先生」

 

 

熱は頭まで伝わり浮かし、視線が唇から離れなくなる。

焦る先生の顔がどんどん大きく見えてくる。

これをすることでどんな大騒ぎになるかといった、後の事なんて考えられない。

 

 

「誰を選ぶかは、先生が決めたらいい。けど、私のこの感触だけは、ずっと覚えていて貰うから」

 

"イツ――"

 

 

 

 

 

「あなた様、朝早くから失礼します。このワカモ、当番として始業開始前の、準備…………」

 

「ごめんね先生ー! この間の勉強会で、教科書とかノートとかそっちに丸ごと忘れてたから取り……に…………」

 

 

各々の理由で朝早くからシャーレの門戸を叩いたワカモとミカが目撃したのは、思い人を押し倒し唇を奪う寸前の好敵手の姿。

 

 

「……良いとこなんだから、もう少し待っててもらえない? 二人とも」

 

 

あと10センチを切った距離で水を差されたイツキは、不機嫌を隠さない表情で二人を睨みつけて言い放った。

ワカモは感情が抜け落ちた能面のような表情のまま白狐の仮面を被り、ミカは笑顔のまま首筋に手を当てゴキリと鳴らすともう片方の手で銃を取る。

 

 

「それを聞くとお思いで? 力ずくとは見下げ果てたものですわね、東戸イツキ」

 

「イッちゃん、そういう抜け駆けは反則だって自分で分からない? 色々言いたいことはあるけど、まずは先生を解放しようか?」

 

 

静かに怒りを爆発させる二人の姿に諦めたような笑みを浮かべ、イツキは先生を離して立ち上がる。

 

 

「しょーがないなあ。ここじゃ建物が潰れる、いつもの所に行こうか」

 

「余裕ですわね。その軽率な行い、大いに後悔させて差しあげますわ」

 

「おっけー、イッちゃん頑丈だし回復も早いから、骨の何本かは持ってっていいよね?」

 

"ちょ、待って……その、二人とも、程々に……"

 

 

物騒な言葉の応酬に、この直後に始まる大怪獣バトルもかくやの激闘を幻視して青ざめた先生が、慌てて立ち上がり宥めようとする。

しかし完全に立ち上がる直前、己の身長を追い越される寸前にイツキは彼を抱き寄せ――

 

 

"!!??"

 

「「!!!???」」

 

「――臆病な二人に免じて、今日はこの位で勘弁してあげるよ、先生♪」

 

 

額に残った柔らかい感触に目を白黒させる先生を前に、イツキはたった今そこに触れた己の唇に人差し指で触れながら、自分なりに練習してきた最高の笑顔で言い放つ。

 

 

「さーて、二人ともお待たせ。始業までに済ませないとだし、早く行こっか」

 

「いえいえ、貴女を炭屑になるまで焼き尽くすのに時間は取らせませんので、お気遣いは無用ですわ……!」

 

「よーく分かったよ……! 私達は少しあなたを調子に乗らせ過ぎてたんだって。手足の一本か二本丸ごとは覚悟してよね、【イツキ】?」

 

 

今にもスキップしそうな軽やかな足取りで出口に向かうイツキを、仮面の下で歯ぎしりの音を立てるワカモと、眉間に皴を深く刻み張り付いたような笑顔のミカが追う。

 

 

"――っ"

 

 

大人として、体を張ってでも止めるべきだと頭では分かっている。

なのに、鉄火場に慣れたキヴォトス人でも尻餅をつくような二人の怒気に、足は一歩も動かせなかった。

三人を見送る出入り口の扉が閉じて一人残されると、先生は倒れるようにソファーに体を沈める。

 

 

"……いい年して……、10代の小僧じゃないんだぞ、私は……"

 

 

唇で触れられた額は未だ熱いまま。

初心な乙女のように赤面して動けないでいる自分が恥ずかしく、己を窘めるようにそう呟くしかなかった。

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