『先生に都合をつけてもらったから、放課後はシャーレに直行だ。内容は着いてから話す』
夕方、制服姿のネルとイツキはシャーレの執務室を訪れていた。
当番の生徒は十五分ほど前に役割を終えて退出したらしく、この場に居るのは先生を加えての三人。
ジャケットを脱いだ緩めのビジネススタイルといった格好で出迎えた先生は、熱いインスタントコーヒーを人数分来客用のテーブルに並べて言った。
"よく来てくれたね、二人とも。凡そのことは私のほうでも既に聞いてるけど、イツキの為にも確認しておこうか、ネル"
「ああ、やっぱり先生はアッチ側から聞いてたか」
ネルは出された飲み物には手をつけず、イツキに視線を送りつつ話を切り出す。
「そんじゃ、あたしから説明するけどよ。うちらミレニアムとゲヘナ学園の親善試合が突然開催されることになった。ゲヘナからの強い働きかけによってな」
「親善試合……?」
「お前とあたしがこないだブチ殺し合った『死闘の00』、あれと同じことをやるってイメージで大体問題ない。武装の持ち込み自由、ラフプレー上等の一対一(タイマン)。出場者は決まっていて、あっちからは空崎ヒナが出てくる。他校の奴とはいえ、お前でも名前くらいは知ってるんじゃねえか?」
全てのミレニアム生徒に敬意を持つイツキだが、他校の生徒に関心がないわけではない。
特に強者については独自に調べていた。己がミレニアムでも戦闘において最精鋭のエージェント「C&C」に属している以上、強者の事は知っておかなければならないと考えて。
戦う事等考えたくもない位恐ろしいが、だからこそよく見なければ、いざという時に戦いようがないからと。
「数百人単位が所属する風紀委員会、その半分に匹敵するとされるゲヘナ学園最強戦力。はっきり言って、ネル先輩と戦ってどっちが勝つか分からない位の怪物……ですね」
「よく勉強してんじゃねえか。そうだ、仮にアレと敵対するような戦争が起きようものなら、あたしでも敗北や撤退に追いやられた場合のプランを必ず用意する。そん位の存在だ」
『約束された勝利の象徴』を意味するコールサイン00の称号に矜持こそあるものの、矜持に彼我の実力差を測る目を曇らされることはなく、負ける可能性を冷静に見極めて備えることが出来、仲間に頼ることも厭わない。
そんな師匠の『強さ』を知っているからこそ、イツキは『ネル先輩の方が強い』とは口にしない。
「でも、親善試合ってことは最低でも『戦いになる』選手をこちらからも出さなきゃいけないってことですよね」
「……あー、いや、今から代表を決めようとかそういう話じゃねえんだ。相手の指名も向こうから受けてんだよ」
「っあはは、そりゃそうですよね。私が開催する立場でもネル先輩一択……」
「お前だよ。ゲヘナ学園は対戦相手に『東戸イツキ』をご指名なんだ」
「…………?」
当然ミレニアムからは最強のネルが出るだろうし、それが一番盛り上がるだろうと笑っていたイツキの顔が笑顔のまま硬直する。
数秒、誰も動かない沈黙がその場を支配した後、ネルは思った通りだと言わんばかりに呆れ半分の視線を先生へと向ける。
先生が力なく笑ったのを見届けてから、ネルは再びイツキに向き直った。
「……何か聞き間違いにしたそうにしてっから言っとくがよ。あたしが指名されてんなら、わざわざお前をここに呼び出す意味ねえって思わねえか?」
諭すように告げると、漸くこれが冗談ではないと認識し始めたのか、イツキはみるみるうちに青ざめネルと先生に縋るような目を繰り返し交互に向けだした。
「っな……。……なななな何……!? なな何でっ……なんで? なんで!? 何で!?!? わっ、わわわわたしっ、ゲヘナを、ゲヘナを怒らせるようなことした覚えなんて……」
"落ち着いて、イツキ。恨みとか報復とか、そういう可能性はないし、やらかしを咎めるような話をしようとしてるわけじゃない"
「……っえ、ええっ……まさ、まさかっ、まさか、どど動画配信やってたときのどれかが……あああ、あああああああっ!! ……うあああああああっ!!!」
先生が宥めようと声をかけるも、イツキの記憶は先生と出会う前に迷惑系動画配信者をしていたことまで遡っていた。
実際にやってしまった心当たりはないが、当時は自棄になっていて学園を敵に回すことに抵抗はなかった。だから知らないうちにどこかで喧嘩を売るような真似をしてしまったのかもしれない、と。
「うるっせえよバカ! 話終わんねえだろが!!」
「あぎゅっ!?」
とうとう大声で喚き始めた後輩に堪忍袋の緒が切れたネルが、瞬時に立ち上がり拳骨を落とす。
「……あたしは無駄に長引くってのが大っ嫌いなんだ。次似たようなことしたら『バニー』だからな?」
"ネル、今何て?"
「暗号みたいなもんさ、先生は知らなくていい」
そう言った直後にネルは、痛みに頭を抱え蹲っているイツキの前でしゃがみ込んで睨みつける。
(今は黙っておいてやる。だが次やらかしてみろ、分かるな?)と顎で先生を指し示す動作と共に無言で告げると、涙目になったイツキは激しく首を縦に振った。
「話続けるぞ。問題は、これを開催する意味だ。単なる外交が目的にしては妙に急いでいたし、代わりにあたしや他の生徒が出場することも却下された。どうもゲヘナ学園側の発案者は、お前を公衆の面前で戦わせたがってるように見えるんだ」
「誰かが、私を戦わせたいと思っている?」
"ネル。ここからは私が。……イツキが病院を脱走したあの事件の後、『極秘でシャーレと三大校の首脳間で、君の処遇を決める議論も交わされている』と話したことは覚えているかい? 実はあの時、君を自由にすることに初め猛反対した子が一人だけいたんだ。最後は私達を信頼するという形で折れてくれたけどね"
当時、病室や牢といった所からの解放に反対した人物がいたと聞かされても、イツキに驚きはない。あの時は散々やらかした自覚のある自分自身、当分外には出られないだろうと思っていた位だ。
"その人物とは、ゲヘナ学園生徒会「万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)」の議長、羽沼マコト。私がこの親善試合の開催を知ったのも、発案者である彼女から話があったからだ"