ヒナがその生徒を取り締まった当時、駆け付けた際には既に甚大な破壊の跡が広がっており、それを一望できるような位置で該当する生徒は一人笑い声をあげていた。
接近しても彼女は逃げ出す素振りを見せず、大人しく組み伏せられた。
「何故こんなことをしたの」
腕を後ろ手に捻じりあげても、直後に痛みに呻いただけでその顔から笑みが絶えることはなく、遠くの絶景を眺めているような笑顔で語り出す。
≪偉大なる御身のお導きのままに。私を虐げ、食い物にしてきた全てから解放される為です。御身にあやかる「破壊」によって≫
「御身って何? 裏で誰が糸を引いているの?」
≪託宣は一度きり、また見えることは叶いません。次なる解放の破壊は、未だ見えられぬ者の為≫
比較的筋道の立った会話が出来たのは、これが最後だった。
「問題の生徒の事だけど、どうやら特定の生徒から執拗ないじめを受けていたらしいわ。ここに捕まるような騒動を起こしたのも、報復が目的だったということよ」
「そいつの動機など私に伝えてどうする。まさか未然に防げなかった責任でも感じているのではあるまいな?」
先に降り切ったヒナを追うように階段を下りながら心底どうでもよさそうにマコトが投げかけるが、煽られた彼女は涼し気な無表情のまま振り返らず進む。
「必要な情報だと思ったから伝えただけよ。議長様が心を砕いてる、例の連中の手がかりとしてね」
皮肉たっぷりに肩書を呼ぶヒナに促されるまま独房内を見た途端、赤いアイシャドウに彩られた切れ長の眼が歪む。
温泉地でもない場所で、不意に硫黄の匂いを嗅ぎ取ったかのように。
「これはこれは、懲罰にはうってつけの仕上がりではないか」
鉄と石に天井と壁三方を囲まれ、残りの一方を鉄格子に閉ざされた薄暗い地下牢。
「――描くものがもう少し違ってくれれば、な」
本来は陰鬱な以外殺風景で何の味も無い筈の此処に、思わず不快な感情を抱くような歪な空間が生まれていた。
女子生徒一人の身長より高い位までの範囲の壁と天井と床に、ビッシリと描かれているものがあったのだ。卵鞘から生まれた虫の赤子が散っていく様を捉えたように、無秩序に。
それは角度も大きさもバラバラな雷マーク。
最初はペンを使って描いていたのが、途中で削って刻むやり方に変わっている。
隅に転がる折れたペンが、その理由を雄弁に物語っていた。
マコトは鉄格子の扉を潜り抜けて中から眺めながら、先に入って片隅のベッドに近づいていくヒナに問う。
「作者のいじめられっ子とやらが居ないようだが?」
「治療の為に移送済みよ。救急医学室で彼女がまた何かしでかせば人目に触れすぎるから、校外の入院病棟へ。彼女からろくな話は期待できないことくらい、この惨状を見れば分かるでしょう?」
器物破損で罪が重くなる、というまともな考え方のできる頭で、こんな真似が出来るとは到底思えない。
現場から伝わってくるのは、折れようがインクが切れようが手を止められなかったという衝動だけ。
「単に自由奔放が過ぎただけの生徒であってほしいものだ。このマークが大好きで暴走したというだけなら、ゲヘナに相応しい自由さで大変よろしいと褒めてやりたいところだな」
「残念だけど、そういう偶然の線は薄いわね。いい加減、楽観的に考えてるフリはやめてもらえるかしら。そう思ってないからこそ、呼び出しに応じたのでしょう?」
「キキキッ、手厳しいな。束の間の現実逃避すら許してもらえんとは」
マコトは軽く息をつくと、軍帽の鍔と後ろ頭に触れ、軽く整えるような仕草を取る。
直後、これまでの揚げ足取りを楽しんでいたかのような飄々とした雰囲気が霧散した。
胸の前で腕を組みピンと背を張ると、ヒールに底上げされた比較的高い身長が強調され、威圧感が増す。
「――情報はどこまで漏れている?」
「風紀委員にこの光景を見た子は居る。けれど、意味まで理解してる子は居ない筈よ。これが”感染源”になることは無いわ」
「だろうな。そいつの正体が推測通り”宣教師”の犠牲者なら、実験や予行演習のつもりなのかもしれん。そしてその動きを、我々に察知されると分からない程あちらも愚かではあるまい」
「わざと警戒させて気を惹いているのか、或いは警戒されても止められないような事を押し進めているのか、そんなところでしょうね」
意見を交わす二人の懸念は、言葉にしないながらも一致していた。
壁と床を埋め尽くす、夥しい数の雷マーク。
今回の騒動が、この中の片隅の1つが爆発したにすぎないことだったとしたら。
どれほどの規模か推し量ることは出来ないが、既に雷は部屋(せかい)中に敷き詰められていて、
――全て、同時に爆発させることが出来たとしたら。
「……後者なら、猶更先手を打たねばな。例の親善試合で、東戸イツキには何としてでも"アレ"を出してもらう。奴らはアレを神と崇めるカルト教団と変わらんからな。長い雌伏の時を過ごしていたであろう奴らには、飛びつかずにはいられんだろうさ」
「何を企んでいるのか知らないけど、その試合、私に何か注意すべきことはある? 例えば、アレが出るまで倒しきらずに加減しろとか」
「無いな、手加減など論外だ。全力で殺すつもりで追い詰めた方が、アレを出す確率も上がると私は見ている」