食べ終えて満腹感で人心地つき、そろそろ帰ろうかと立ち上がりかけたその時、先生のスマホが鳴動する。
"――ちょっとごめん"
私達に構わず此処でどうぞ、とヒナとイツキは目線と手ぶりで示す。
"もしもし。……うん、今もそこに……、何だって!?"
先生の表情が不安げに歪むのを見て、ヒナは反射的に己の銃を見遣り、イツキは装着していた予備の弾薬の感触を確かめる。
"分かった、私もすぐに向かうよ。急ぐからまた後で"
通話を切るが早いか、先生は立ち上がり食器の入った盆を返却棚へと片付けに行く。
「何か問題が?」
同じく立ち上がり盆を取って、イツキと共にヒナがその動きへと続く。
"ここから歩いてすぐのところで「立てこもり」だ、人質も取られてる。犯人に要求を聞いているんだけど、とても応じられない内容。――残念だけど、荒事になる可能性はとても高いね"
先生は敢えて諸々の情報を切り捨てた短い言葉で説明する。
それは聞いたからどうしてほしいわけではない、という思いの表れだった。
「分かった、私も行く。早く終わらせよう」
しかし、その意図を汲み取って尚、ヒナの意思は変わらない。
"とても心強いけど、これは当番の外の話だ。それに、ヒナの火力では人質も巻き込んでしまう"
「そこをどう上手く私を使うか考えるのが、指揮を執る先生の仕事でしょう。人質の退避さえ出来れば、そんなものを盾にする程度の連中は一掃できる」
当番外に関しては言うまでもないとばかりに言及さえせず、ヒナは話の直後にイツキを見上げた。
退避させる役割は誰が担うのか、答えを示すように。
(まさか、私が建物への潜入も得意って知って……!?)
迷惑系動画配信者として活動していた頃から狭い所への潜入は得意で、C&Cの任務でも時折この能力をアテにされる事は確かだ。
だが今は見せびらかすことも無い為、それを知っているのはC&Cメンバーを始めとした一部のミレニアム生や先生位のものの筈、とイツキは自認していた。
「救出の方は私がやるよ、先生。守りながら戦うのは難しいけど、二人か三人なら一気に抱えて逃げ切る位は出来る」
名乗りを上げながら、イツキはそこまで己の能力を把握されていることに内心驚きを誤魔化せずにいた。
現場の大手チェーン系列の商店には、既に公安局の生徒達が車両を並べ、ある者は通信機器を片手に慌ただしく動き回っていた。
現着した三人は、近隣駐在地の長を名乗るヴァルキューレ警察学校の生徒から説明を受ける。
「電話ではかなり端折りましたので改めて。犯人グループは矯正局に収監中のとある人物の引き渡しを要求しています。彼女達は皆、引き渡しを希望する人物の被害者と主張しているのです」
「被害者? 仲間を解放しろって話じゃないの……?」
普通逆なのでは? とイツキは訝る。
マフィアなどの犯罪組織が自分たちのボスの解放を求めて立てこもる事件は現実にもあり、テレビの刑事ドラマでもよく見るパターンだ。
しかし、今の話が本当なら、被害者が加害者を救おうとしているような状況になる。
"自分たちの手で報復することを望んでいる、だったね。応じれば引き渡されたその子は痛めつけられる程度じゃ済まない"
確認するように述べる先生の表情は非常に険しい。怒りというよりも悲しみと焦りで余裕を無くしている、というように見える。
ヴァルキューレ生も、これに対して苦虫を嚙み潰したような顔で告げる。
「ええ。今立てこもっている連中は冷静さを欠き、正気を失っていると見るべきです。あまり大きい声では言えませんが、――殺人に至る可能性は否定できないかと」
殺人、と口にされた途端、言葉を通わせていた四人の間の空気が張りつめる。
古今東西で重罪とみなされる殺人罪だが、キヴォトスではそれらの世界と比較しても輪をかけて重いとされている。
如何なる背景があろうと、その罪を犯した者は死ぬまで光の届かぬ監獄に閉じ込められ、外部との接触も情報の発信も一切を禁じられるとされている。事実、獄中記も殺人犯のものがこの世界で出版された前例はない。
「私的制裁を求めて過激な行動に出るケースは偶にありましたが、ここ最近類似事件が突然頻発するようになっていまして……それでも、ここまでの大騒ぎは前例がありませんが」
「人質の数と位置は?」
黒い手袋を嵌めなおしながらヒナが問う。
容易く一人で殲滅できる火力を持つヒナにとって、その足枷となる人質のことは最も知りたい情報だ。
「二人です、共に建物の中心に。立てこもっている連中の配置も含め、先生のデバイスに情報を転送済みです。あと、ショートメッセージで依頼のあったダクトを含む見取り図も転送しております」
話を聞きながら先生は即座にデバイスを操作し、転送された見取り図のファイルを展開。
"閉じ込められている所の天井と外は繋がってる。これなら体が入りさえすれば潜入は可能だね"
(読むの早いよ先生……、私なんか理解すんの遅すぎていっつも先輩方のナビゲートに頼りっぱなしだってのに)
10秒程図面を眺めただけでそう結論付ける先生に、似たような潜入任務をいくつか経験済みのイツキは軽い妬みの感情を抱く。
"どうかな、イツキ。あの通気口は通れそう?"
建物の一角を指差す先生に尋ねられると、イツキはほんの数秒その先を見つめた後で口を開く。
「あの位なら大丈夫、肩を外したらそれなりに早く進めるよ」
「外す……?」
小学生並みと嘲笑されることもある体格の自分でも苦しいのでは、という隙間にあっさり侵入可能と告げるイツキが冗談を言っている雰囲気でないことに驚愕する中、「肩を外す」という意味の分からない言葉が投げ込まれヒナは更に困惑する。
「っとと、本当に取れるわけじゃないんだよ? なんていうか、こういう訳で」
困惑を感じ取ったイツキは言葉で説明するより早いからと、自らの右肩に左手を置いて軽く力を込める仕草をとる。
ゴキン、と鈍い音が鳴り、首の根元とほぼ同じ高さにあった右肩がダラリと下がった。
その後、服を着替えるように軽々と右肩を胴体側に、骨が繋がっていればあり得ない位置まで押し込んでしまう。
「…………はい?」
ゲヘナの問題児の奇行以上の何かを見せられたヒナは唖然とする。
ここまで、痛みを感じている様子は表情にも動作にも感じられない。
「いやー、ごめんね気持ち悪いもの見せてさ。大概の関節はこんな感じで外せるし元に戻せるんだよ。だから頭が入る位のところまではギリOK」
気まずさと恥じらいの入り混じった苦笑いを浮かべて説明しながら、イツキは軽く関節を嵌めなおす。
本人は銃撃戦には何の役にも立たないと考えているこの力を、誰でも出来るわけではないというだけで大したものとは考えていない。
「あの、近くにトイレか更衣室に出来る部屋とかあります?」
同じく開いた口が塞がらない様子のヴァルキューレ生は、そうイツキに声をかけられ今目覚めたような態度で慌てて対応する。
「……こ、こちらで用意できますが、一体何を?」
「念の為サラシでガッチリ締めて胸潰しておこうかなと。しなくても何とかなるとは思いますが。ついでにジャケットも預かって貰えるとありがたいです」