「――本気で言っているのですか、先輩」
数年前、ゲヘナ学園本校舎屋上。
極悪な治安が蔓延している当校においても、許可のない立ち入りは出来ず、入っても何もない為強盗が狙う理由も無い場所。
「ヒヒヒッ、冷静沈着な君を困らせる冗談を思いついたなら、是非とも衆目の集う場で叫びたいものだ。君の新たな一面を皆に見て貰えるからな」
高い存在感を伴って響き渡る『声』。
声変わりの始まった少年を思わせる程であり、気取った長ったらしい言い回しだろうと一字一句耳に焼き付く。
「彼女」の声は常に奇妙な響きを伴っていて、ただの笑い声ですら青年と少女が完璧に歌い上げるデュエットのように感じた。
その『声』を用いた選挙演説が、長いゲヘナ学園の歴史上空前絶後の得票率を勝ち取ったことは記憶に新しい。
「しかし、いくら何でも、現生徒会長の貴女を降ろして、私がその座に就くなんて……」
「まるでクーデターの誘いでも受けたような物言いだな、空崎君。無理やり引きずり下ろすならまだしも、この私が喜んで譲ると言っているのだ。何も血なまぐさい事等起こり得まいよ」
塗りたてのように黒く輝くステッキを軽く片手で回し、軍服のようなゲヘナ学園制服をきっちり着こなした女性はニヤニヤと笑う。
彼女と相対するヒナの姿は背格好こそ現在とそれ程変わらないが、当時は背中に流れる程度の普通の「白の長髪」だった。
「誰かに譲りたいなら、もっと適任がいるでしょう。先輩の同学年とか、……私の学年内でも、マコトのようにその地位を目指している生徒は何人もいます」
「君は何か勘違いをしているようだな。私はね、生徒会長となった君をその下で支えたいのだよ。不適切な他の輩なんぞに、この座を明け渡すなど御免被る」
ゆったり回していたステッキを手の中で滑らせ、先を持ってもう一端をヒナに向ける。
「理解できません。私は政(まつりごと)が得意ではないし、興味もない。そんな私を学園の頂点に立たせることに、一体何の意味が――」
「破壊だよ」
深く軍帽を被り、鍔に隠れた彼女の眼差しは、依然として伺い知ることが出来ない。
「は? はか……?」
脈絡が無いとしか思えない回答に、ヒナは思考が止まりオウム返ししてしまう。
「我々は、嵐の如き破壊を為す力を求めずにはいられぬ存在だ。口先でどれほどの平和を説こうと、己を抑圧するものや相容れぬものを消し去るそれを求め、崇め続ける。銃を手放せないのも、我々がそれの為す破壊を拠り所としているからだ。そして、風紀委員として圧倒的な火力で有象無象を殲滅する君の姿に、私はその破壊の力を"見た"のだ。……あの青白き破滅の雷の如き、いと尊き破壊の片鱗を」
ヒナにはそれが、何故自信に満ちた声色で語られるのか分からない。質問の答えになっていないとしか思えなかったからだ。
その中でかろうじて拾い上げられた言葉で、何とかその無茶なキャッチボールを続けようとする。
「……それは、崇拝の対象として、私に頂に立てということですか」
「ヒッヒ! 話が早くなって嬉しいぞ!」
つまらなそうにも聞こえる覇気のない言葉に、彼女は声を裏返らせる程高揚した。
向けられていたステッキの先が、明確にヒナの喉元へと改めて向けられる。
「あれ程の破壊を只一人で成し得る君ならば立てる筈さ。なあに、不得意だろうと心配は要らん。面倒極まる政や煩い蠅共の掃除は私に丸投げすればいい。この私が君の狗となり奴隷となり、走り回ろうではないか」
「それでは生徒会は今と何も変わりません。一体その人事に何の意味が――」
「私が毛ほども相応しくない生徒会長の座に、嫌々上り詰めた意味を、聞きたいと?」
終始機嫌の良い調子だった口調の中に、異物が混じる。
「前提として、私は破壊を私物化し、気に食わぬものを消したい等と陳腐な事は考えていない。未来の信徒が減ってしまうからな。私はただ、キヴォトスの全ての民に、あの神なる破壊の力を崇めて欲しいだけなのだ。……ゲヘナの生徒会長になった理由など、偶々今の私が目指せる中で、思いを広げ易い立場だったからに過ぎん」
この時までヒナは、やり方が斜め上でも、彼女がゲヘナ学園の統治の為に動いているのだと信じていた事に気が付いた。
そうではないことを知ってしまったが故に、気が付いてしまった。
キヴォトス最大規模の学園をも踏み台にした、ろくでもない何かをしでかそうとしているという漠然とした悪寒が気付きに取って代わる。
「活舌位しか取り柄の無い貧弱な私では駄目なのだ。しかし私はついに見つけた、この時を待っていた! 神なる破壊の代行者足り得る君が全ての上に立てば、「憤怒の救い」は必ずや全てのキヴォトスの民へと届けられる! 捕らぬ狸の皮算用で考え続けたその道筋を、遂に辿り進める時が来たのだよ!」
彼女が一学園の長に過ぎない、今のうちに。
何をしなければならないのか言葉が浮かばないまま、ヒナは巨大なマシンガン「終幕:デストロイヤー」の銃口を彼女の喉元に向けていた。
互いに得物の切っ先を急所に突き付け、膠着状態となったような有様となる。
「私を破壊するか? ――それも良かろう。破壊こそ救いであると、君が認めた揺るがぬ証となる。その礎となれるのならば光栄だ」
無慈悲な破壊を齎す銃口を眼前にして尚、彼女は揺るがなかった。
「――――ヒナ?」
「……あっ」
帰路に就く人々を筆頭に混雑する駅前で、ヒナはイツキに名を呼ばれて我に返る。
実際には数秒程度呆けていただけだったらしい。
勿論、ここに「彼女」などいない。
「えっと、何だか変な事言っちゃった? 私、あんまり話上手くなくって……困らせたのなら、ごめん」
「いいえ、気を抜いてしまっただけ。余計な心配をかけたわね」
狂信という言葉から要らないことまで思い出してしまった、と内心自身を苦々しく思いながら平然を装う。
この辺りの光景も、「あの頃」と大きく変わったところはない。
慌てて改札に駆け込む生徒、クレープを手に談笑する生徒たち、イヤホンで音楽を聴きながら信号待ちをする生徒。
――己を含む彼ら全てが、「銃」をお守りや服のように身に着けている光景も、昔と変わらぬありふれたものだった。