かつて『彼女』を目の当たりにした者は、頑なにその名前を思い起こそうとしない。
その名前はゲヘナ学園の歴史から消され、姿も写真の一枚一枚から徹底的に消されている。
出会ったことのない者が、その名前と姿を知ることが億が一にも無いように。
だが存在そのものを抹消すれば歴史の整合性が取れなくなり、かえって深堀する者が現れると考え、苦肉の策で『雷帝』の別称だけを残すことになった。
――『我々は、嵐の如き破壊を為す力を求めずにはいられぬ存在だ』
治安悪化の負の側面が目立つキヴォトスの『銃社会』だが、銃の普及には自衛手段以外のメリットも存在する。
銃を製造する事による経済への寄与、関連技術の向上などは一人一人がそれを所持する世界であればこそ得られた恩恵だ。
決して賞賛されるべきではないが、戦争や非道な実験が技術の発展や医学の向上と比例しているというデータも存在するように。
――『銃を手放せないのも、我々がそれの為す破壊を拠り所としているからだ』
だから銃社会を根拠とする『彼女』の破壊崇拝の理屈など、己の野望に多くの人間を賛同させる為のこじつけに過ぎないと、"今なら"ヒナも迷わず切って捨てることが出来る。
しかし、現に彼女がトップに立っていた時は、これをこじつけと断じきれなかった。
彼女の声と喋り方には、少々の破綻を煙に巻いてしまうような説得力と安らぎを感じてしまうのだ。
更にそちらに賛同する人数に圧され、自分の方が間違っているんじゃないかと疑い後手に回ってしまったことを、二度と繰り返してはならない過ちとして胸に刻んでいる。
対処しあぐねた結果何が起きたかは思い出したくもない。
(だけど、雷帝はもう居ないし、徹底して戻れないようにもした。あれが居ない今、猿真似の輩が何人束になったところで、出来る事なんて知れている)
彼女一人いれば成り立つという厄介さは、居なくなれば忽ち瓦解する脆さと表裏一体であった。
つまり、今となってはどうあっても「残党狩り」の域は出ない。このことに当時のゲヘナ関係者からの異論はない。
ばら撒かれた地雷を回収し、一か所で処分しようとしているのと同じ「作業」にすぎないと。
「――あなたの滅私奉公の精神は大したものね」
肉体どころか命を想い人に捧げ、それが当然のことと認識している狂気。
イツキのその精神面での危うさを、他人事と思えなかったヒナは唐突に切り出す。
「えっ、め……滅私? そうで……そうかな?」
「悪いけど、あまり褒めているわけではないわ。あなたのそれは、警戒すべき悪癖にまで行き過ぎている」
喋りながら、どの口がそれを言うのか、とヒナは内心で自嘲する。寝食を削って風紀委員の為に現在進行形で奉仕している自分が言えた事ではないな、と。
それでも、同じ過ちが繰り返されないようにと伝えようとする。
「人に尽くすばかりで自分に無欲な輩は、悪意ある者にとって格好の操り人形になる。操られ大切なものを傷つけて、終わってから後悔しても遅いのよ」
「……!」
その言葉を聞いてイツキが思い出した光景は、ヒナが思い描いているものとは少しズレていた。
精神そのものをセトに乗っ取られ、大切な先輩達を傷つけた記憶だ。また同じことを繰り返さない保証の無かった当時は、自害も選択肢に浮かぶほどに思い詰めた。
今では動揺せず思い返せるくらいに気持ちの整理はついているが、苦々しい過去であることに変わりはない。
「勿論、誰かの為に動ける事自体は良いこと。それはそれとして、もっとしっかり流されない「自分」を持った方がいい。大きな組織に入っている時間はあなたより長いから、これはそういう意味での「先輩」からのアドバイス」
表情はいつも通り冷静ながら、ヒナは俯瞰した思考で自分自身に驚いていた。
ゲヘナ生でもない他校の一生徒にここまで言うなんて、と。
イツキの狂気が雷帝のような輩に捧げられ、その力を振りかざされていたらと、怖くなったのか
もしれない。
「――「自分」を持てているという事かは分からないけど、誇りなら持ってるよ」
対するイツキは、自分でもあまり話そうとする自覚のないままにそう口にしていた。
ヒナの隣をすれ違うようにゆっくり歩き、背中合わせのまま話を続ける。
「私がミレニアムの改造人間であることや、凄い二人の好敵手であることに。……それに、」
自信がないのはあまり変わらないが、何もかも捨てて逃げ出したあの時とは違う。
師匠との本気の試合を通して、他の誰の為でもない自分自身の欲望も自覚出来た。
指名された当時は激しく動揺したが、それはゲヘナを怒らせミレニアムに迷惑をかけるようなやらかしをしてしまったのではと青ざめたからだ。
ヒナに銃を向けられることそのものに怖気づいていたわけではない。
「ゲヘナ学園最強にどこまで迫れるか試したい。これは学園の為じゃない、私の欲望だよ」
改札から出てきた生徒が、二人を見るなり短く悲鳴をあげて彼女らのいる反対側に駆け出していく。
「何なら、今から味見するのも悪くないしね」
二人とも、一定の距離を取った背中合わせで立っているだけ。
互いに愛銃に手をかけてもいない。
「……冗談なら、その下品な殺気をしまいなさい」
軽くフウと息をついて、面倒臭そうにヒナは告げる。
しかし、その血が凍り付くような冷酷な声色を耳に入れてしまった通行人達は、自分に言われたのではないと分かりながらも青ざめて走り去っていった。
「冗談かどうか、確かめてみる?」
「人通りが多い中で『終幕:デストロイヤー』の大火力は撃てない。……まさか、そんな浅はかな考えではないでしょうね?」
西部劇の早撃ち勝負が始まる直前のような緊迫が、いつの間にか誰も近づかなくなっていた二人とその周囲の空間を満たしている。
その外側で「おい、あれヒナとイツキじゃねえか?」「やべえ殺る気っぽいぞ、こんな駅前ど真ん中で!?」とマスクで口元を覆ったスケバン達が騒ぎ出している。不良学生達も、一対一で決闘する時によくこのような立ち方をしているのだ。