遂に秘密の部屋編の開幕です。とは言っても今回は完全オリジナル回ですけど。
手紙?『あの日』?何のことか分かんない!って方は、第九話【シーカーと謎の怪物】をご覧になってから閲覧することをお勧めします。
16.試練の日
機体のドアが開いた瞬間、機内の乾燥した空気は、羽田特有のしっとりとした潮風に塗り替えられた。
ボーイング747のタラップを降りると、目の前には「東京国際空港」と古いフォントで書かれた低層の建物が、横たわる老いた動物のように構えている。この頃はまだ
いつまでも、『あの日』から逃げ続ける訳にはいかない。
飛び立つプロペラ機の風を切る音を背にそう決意した。
潮風に混じって、焦げたケロシンの匂いが鼻を突く。
プラスチックの硬い椅子が並ぶ到着ロビーには、スーツ姿の男たちの煙草の煙と、旅の終着点というどこか寂しげな雰囲気が漂っていた。
壁に掲げられた反転フラップ式の案内板が、パタパタと小気味よい音を立てて行き先を書き換えていく。
別れを急ぐ足跡や再会を喜ぶ風景を横目に私は進む。
唯一の手がかりは片手に握りしめた手紙に書かれた、『到着口の黄色い公衆電話の前』を探しながら私はこの継ぎ接ぎだらけの迷路を彷徨った。
5分ほどキャリーケースを持って彷徨った後に。
ネクタイを緩めたサラリーマンや、大きなトランクを引く家族連れの隙間に、見覚えのある銀髪に眼鏡の青年の姿があった。
彼もこちらを見つけたようだ。
「魔理沙、久しぶりだね」
彼は優しげな笑みを浮かべて近づいてきた。
「久しぶりだな…香霖」
懐かしいような、覚悟を決めなければならないような、そんな不思議な気持ちの中で私はそう答えた。
「随分背が伸びたね、昔は僕の腰くらいまでしか無かったのに」
霖之助は自分の腰に手を当ててそう言った。
「あれから8年は経ったからな…それなりに成長はするさ」
「カミラさんから聞いたよ、友達のお陰なんだって?」
「あぁ…その友達の言葉が無かったらきっと行くつもりはなかったよ」
内心でカミラに恨み言を言いながら、私はそう答えた。
アリスの言葉が無かったらきっと届かないフリをしていただろう。
「…まだ、根に持っているのかい?」
霖之助は心配そうな顔をしてそう言った。
「違う…と思う、私も今の私がどうしたいのか話してみたいだけだ」
あの日、逃げた私に変わって親父に私の考えを、決意を伝えたい。
「強くなったね、魔理沙」
香霖はしみじみとそう言ったが私はそうは思えなかった。
「強くなんかなっちゃいないさ、ただ、少し勇気をもらっただけだ」
逃げた自分と向き合う勇気を、私はアリスにもらったんだ。
「車を用意してあるから、行こうか」
香霖は私に手を差し出しながらそう言った。
空港前のロータリーには黒いクラウンが停車していた。
並走する東京モノレールのコンクリートの軌道が、都会への道標のように続いている。運河の向こうに見える大井ふ頭のガントリークレーンの群れは、これから向かう都心の喧騒を予感させていた。
イギリスとは違い、無機質なコンクリート製のビルが立ち並ぶ景色をこの陸の孤島から見ながら、私は決意を固めた。
着いたのは東京都品川区に位置する、霧雨コーポレーションの本社ビルだった。
受付から通されたのは社長室だった、行く途中に多くの目線と囁きが私に向けられていた。どうやら私の話は既に社内に広がっているらしい。
私の心臓は痛いほどに激しく脈打っていた。当たり前だ、私の発言によっては薄皮一枚で繋がっていたこの親子関係が崩壊する可能性だってあるのだ。
腕時計を見ると10時、丁度株主総会が始まる時間だ、窓の外から隣のイベントホールを見る。
黒塗りの高級車が所狭しと並び、件のイベントホールからは怒気が滲み出ていた。耳を澄ませれば、罵声の一つや二つ聞こえてくるように錯覚する程に。
そんな空気を感じながら、私はこの広い応接室で父親を待つ。
総会は20~30分程度で終了し、黒い車の群れが立ち去っていくのが見える。
あと10分もすれば親父は来るだろう。
私の心臓はいよいよ破裂すると錯覚してしまうほどに私の体内を暴れ回る。
応接室の扉が開いた。
6年。親子が再開するにしては長過ぎる月日は、彼の肩幅を少し広くし、顎のラインを鋭く変えていた。だが、困った時に頭の後ろを掻く癖、厳しい顔の奥に光る優しい瞳、その全てがあの頃のままだった。
「…霧雨魔理沙様、ですね」
低いその声はあの日、家を飛び出した日と同じ声で、そしてどこか他人行儀な響きを帯びていた。
「貴方が…霧雨蓮司様ですね…?」
私もその響きに釣られて、同じように他人行儀で返してしまった。
「あぁ…いかにも、私がこの霧雨コーポレーション初代取締役、霧雨蓮司です」
私達の会話はあまりにも冷たく、他人行儀だった。
私は…ここで覚悟を決めなければならない…しっかりしろ霧雨魔理沙。
「…あの」「実は」
示し合わせたかのように私と親父の声は空中でぶつかった。
腐っても親子ってことかよ…なんて思いながら私は口を閉ざす。
沈黙によってこの場の気まずさの濃度が上がっていく。
「魔理沙様からお先にどうぞ」
父親はそう言って静かにソファに腰掛けた。
深呼吸を一回…上手く吸えなかったが、そんな事はどうでも良かった。
私は…私の決意を話すだけだ。
「蓮司様、私は貴方の娘さんのことでお話があります」
警鐘を鳴らす自分の心臓を力尽くで押さえつけながら、私はそう切り出した。
「娘さんは…今でも母親のようになりたいと思っております」
ダメだ…こんな他人行儀じゃ、親父の心は変わらない。
「…いや、御託はいいな…親父、私は
気づくと私は自分の心に導かれるようにそう叫んでいた。
親父の顔は依然として厳しいままだった。
やっぱり私の夢を認めてくれないのか…
「魔理沙…」
親父は他人行儀を捨てていた。
「全く…この愚か者は」
低いが聞こえ、頭の上に彼の手が見える。
私は身をすくめる、やはり私は認められないのか。
「お前はもう…俺に守られるだけの娘じゃない…」
その言葉に私は胸を衝かれた。
「お前の夢はとても尊いものだ…故にこの会社がお前の足枷にならない様に、お前を追い出したというのに」
低い声には優しさがあった、
「お前が魔法使いになりたいと聞いた時、すぐに止めるだろう、泣いて帰ってくるだろう…そう考えていた」
だが、と親父はと続け。
「お前は自分の頼れる全てを使い、その夢を追い続けている、その覚悟があるならば、俺が認めようが認めまいが関係はない。お前は自分の見据えた夢に向けて歩いて行くべきだ」
その手が頭に乗せられた、その手は幼い頃に感じた温もりのままだった。
「馬鹿じゃないのか…」
感情の整理が追いつかないうちに私の口はそう紡いだ。
「そんなことなら嫌われている方がまだマシだった…あんたは父親失格だと言って切り捨てられた方がずっと楽だ。どうして…そこまで私のことを…」
そこから先の私の声は瞳から零れ落ちる暖かい液体に変わっていった。
私の感情はグチャグチャだ、憎まれていたと思っていたものが全て愛だった…その事実と感情が頭の中をぐるぐると回り続けているのだ。
行き場のない感情を押し付ける様に、私は自分の髪型が崩れるのも構わず、私は親父の身体に顔を押し付けた。上等なスーツが涙で濡れるのも構わず、泣きじゃくった。
数分が経ち、私の心が落ち着いたあと、親父は切り出した。
「お前が母親の様になりたいと言い続けていたら渡そうと思っていた物がある」
そう言って親父は金庫の奥に隠してあった一つの首にかけられる様に紐のついた金の鍵を私に手渡した。
「これはお前の母親の家の鍵だ、心の整理ができた時に行くといい」
「母さんの家の…分かった、ありがとう親父」
握りしめながら私は親父の顔を見てそう言った。
「魔理沙…達者でな」
親父は最後に私の髪を撫でてそう言った。
荒っぽい撫で方が暖かく、懐かしかった。
「あぁ、また長期休暇に来るよ」
私は穏やかな声でそう言えた。
もう、私たちの間にあった分厚い壁は消え去っていた。
エントランスに降りると、香霖が待っていた。
「どうやら成功した様だね、良かったじゃないか」
香霖は分かっていたように微笑みながらそう言った。
「まぁな…」
私の声はどこか清々しい様な、そんな感じがした。
「これからどうするんだい?」
「明日にはイギリスに帰るつもりだ」
「良いのかい?親父さんともう少し話さなくても…?」
心配した様に香霖はそう聞いてきた。
「良いんだ、親父とは話せた、次はもっと色々話すよ」
ホグワーツじゃ、一年ごとに命の危険のありそうな出来事が起きそうな予感がする、きっと話の種には困らないだろう。
「そうかい…これからどうするんだい?」
「予めホテルは取ってあるし、今日は観光して、明日の昼の便で帰るつもりだ」
「そんなにすぐに行くのかい?」
「親父とまた喧嘩になったらって考えると、そこまで長く滞在しようとは思わないだろ?」
安全策を二重にして会いに来たんだからな。
「まぁ、また夏休みには来るよ、じゃあな香霖」
「次はゆっくりして行ってくれよ、魔理沙」
そうして私は本社のビルの出て、東京の喧騒の中に飛び込んでいった。
ん?最初の作風があまりにもいつもと違いすぎない?それはそう。
時代考証が大変でした(絶命)
1992年の羽田空港
今の第1・第2旅客ターミナルである『ビッグバード』に変わる前年の旧ターミナルです、当時は無計画な増築などで狭い印象だったとか。
香霖(霖之助)について
本作ではただの人間で、魔理沙のお父さんの秘書をやっています。イギリス時代から魔理沙に懐かれていた。