─再びポケドルとして復帰を望まれていたのは嬉しいことだけど、限度がある。
出演依頼が増えるのはいいことだ。ただ、以前の時の感覚で仕事を依頼する側もどうかと思う。あの時はイッシュ地方で飛んでもないことが起こっていて、少しでも何とかしようと思ったからだった。だけど、その感覚で仕事の話を持ち掛け、経緯を説明したら逆上されるのはどうかと思う。マネージャーからも提案があり、他のポケドルを出したらどうだという話をすれば、ルッコじゃなければ意味がないと言いだした。おまけに、出演依頼を飲むまで返さないという人すら出て、ポケモンバトルへ発展したこともあるほどだ。
「…………」
どうやらその状況は、ポケドル仲間のテンマ君も同様で相当に参っているらしい。ここ最近は変装や仕事の受け方にもかなり気を遣っているらしく、マネージャー同士で作戦会議すら行うほどになってしまった。
「…………」
このままでは、折角復帰したのに同じことになってしまいそうだ。今の仕事だけで精一杯なのに、これ以上どうしたらいいのだろう。番組の手前強がってはいるけれど、家へ帰れても寝る為に帰る、仕事へ行く前の短い時間で弟と妹の面倒を見る。これでは、体が幾つあっても足りない気がする。
「……ん」
今日も今日とて仕事を終え、ライモンシティ行の電車へ乗る。番組の出演、ポケドルとしてステージに立ち、ある時はレポーターもする。これでも以前より仕事を減らしているのに、疲労は溜まる一方だ。体は勿論、ゆっくりすることも、安らぐことも出来ない、私の心が。
「終点、ライモンシティ、ライモンシティ……お忘れ物にご注意ください」
「あ……」
うとうとしている内に、もうライモンシティだ。重い足取りのまま電車を降りる。ライモンシティに着いたからお母さんたちに連絡しようとして、電波が繋がらないことに気付く。
「あ、そうだった……」
忙し過ぎて忘れていたけど、今日は弟と妹を連れてポケモンスクールに関して出かけていて戻るタイミングが分からないんだった。戻ったらライブキャスターを付けるという話だったから、まだ戻っていないんだろう。
「…………」
だけど、それ以上に眠い。いっそのこと、食べずに寝てしまった方がいいだろう。
「あれ、もしかして?」
──血の気が引く。どんな時だって、私がルッコとバレてしまったら何が起きるか分かったものじゃない。慌てて白いつば帽子を深く被ってその声から遠ざかろうとして……
「ルリさん?」
私を呼ぶ、声がした。
「え……キョウヘイ、君?」
まさか、こんな所で会うなんて。最近は会えていないし、話せてもいない。きっとイッシュトーナメントに出場して忙しくしていると自分に言い聞かせて、何とか堪えていた。だけど、いざ会ってしまったら、何とか抑えていた何かが崩れてしまった。
「え、ちょ……ルリさん!?」
温かい。その温度が心地よくて、私は……
目覚めた時、そこは何処かの一室だった。どうやらベッドに寝かされていたみたいだけど……
「え……ここ、何処!?」
部屋は狭い一室だ。けど、ポケモンセンターにあるような休憩室とは違う。
ベッド、冷蔵庫、シャワールーム、デスク……と、最低限の生活空間が揃っているみたい。
「…………」
全く知らない場所なのに、何故かベッドから離れたくない私がいた。全く知らない場所なのに、どうして……?
「いいえ、駄目。だってここが何処だか、全く分かっていないんだよ!?」
謎の安堵感を、現実を復唱することで思い直す。部屋の入口にスイッチをあり、それを付けると電気が付いた。
「眩し……!」
見れば時計は朝の5時30分。ライモンシティ着が21時30分だったから、かなり長い時間眠ってしまっていたらしい。そして今頃気が付いたけど衣服も無事だった。ただ、キョウヘイ君が褒めてくれた服なのに皺がついてしまった。
「あ、帽子とカバン!」
続けて、昨夜身に着けていた帽子とカバン、そして私のポケモン達もみな無事だった。
身の回りの物やポケモン達も奪われていないことにほっとする。だけど、依然として危機的な状況だ。何とかしてここを出なければ。私室と思わしき部屋のドアを静かに開けて、外を目指す。
そしてその先にあったのは……
「そんな……」
暗くて分かり辛いが、それなりの広さがある事務所らしい。だけど、窓はなくて扉にも鍵が掛かっている。
まさか、誘拐されちゃった……?
ようやく自分に起きたことを把握し、顔が真っ青になった時……別のドアから誰かが出てきた。
「ひっ……!」
知らずの内に、悲鳴が出る。全く知らない場所で、見ず知らずの人がいる。私のことを知っている人間だとすれば……何をされるか分からない。恐ろしさのあまり、腰が抜けてしまう。次の瞬間、パチンと室内の照明が照らされる。そして、そこにいたのは……
「……へ?」
「あ、起きたみたいだねルリさん」
そこには会いたくても、ライブキャスターで話したくても中々時間すら取れなかった、キョウヘイ君がいた。
ここへ連れてきた経緯を聞いたところ、どうやら私がキョウヘイ君に気付いた直後ギアステーションで倒れこんだらしく、そのままここへ連れてきてくれたらしい。
「ほんと、びっくりしたよ。いきなり倒れこんだんだから」
「ご、ごめんなさい……」
とてもホッとした、ルッコではなく、ルリとして接してくれるキョウヘイ君がその場にいたことを。
「……ほら」
「え?」
「食べてないんでしょ?」
渡されたのは……マーケットで売っているような惣菜パンとミルクティー。
「でも……」
買ってくれたんだから、お金を出さないと……
「いいの。というか、いきなり目の前で倒れるような人にそんなこと言えないよ。いいから、食・べ・て」
怒ったような、心配してくれる表情に何も言い返せなくて……
「……ありがとう」
惣菜パンを食べつつ、ミルクティーを飲む。ああ、こうしてゆっくり食事をしたのは、いつが最後だったんだろう。
その間、キョウヘイ君は何も言わず、食べ終わるのを待ってくれていた。
「ご馳走様……あ、そう言えば、ここって?」
「……………………」
今度は何故か、キョウヘイ君が押し黙った。え、何で?
「……まぁ、ここまで連れてきちゃったし、言うしかないか」
諦めたようなため息を漏らす。どうしてだろう。
「けど、まずはシャワーでも浴びた方がいいんじゃないかな。今日も仕事なんでしょ?」
「あ……けど、いいの?」
「うん。というか、そうしないとルリさんが困るでしょ?」
「ありがとう……」
もう一度、私がさっきまで寝ていた部屋に戻り、シャワールームへ入る。
仕事先で宿泊するホテルのようにはいかないけれど、最低限の機能は揃っている。これなら、体の汚れは最低限落とせるだろう。
「……あれ?」
水圧が少し弱いシャワーを浴びながら、あることに気づく。ここってつまり、キョウヘイ君の私室……なのでは?
「あ……ああああああああああ!!」
「どうしたの、ルリさん!」
声に驚いたキョウヘイ君が気にかけてくれたけど、今はそれすら恥ずかしい……!
「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと、色々と思い出しちゃって……わ、私は大丈夫だから、気にしないで!」
「そ、そう……?」
だって、言えないよ。私はさっきまで、さっきまで……
思い出せば思い出すほど、全身が赤くなるのを自覚する。これじゃあ、キョウヘイ君に顔を見せられないよ……
時計を見れば、朝の6時30分。多くの人が動き出すその時間だけど、私の目は覚め切っていた。
本当はまだキョウヘイ君のところにいたかったけど、家族への連絡とか仕事先へ連絡する必要があるよねと言われてやんわりと外へ出されてしまった。私が眠っていた場所も場所だけど、あんなことを聞かされて目が覚めない人なんていないだろう。
「まさか、話題のアベニューのオーナーがキョウヘイ君だったなんて……」
あの建物を建てたせた本当の管理人は別にいるそうだけど、管理そのものすら任されているのだから、キョウヘイ君が違うと言っても、実質キョウヘイ君がオーナーみたいなものだ。しかも、任せられた経緯が旅先でお願いされたというのだから、また驚きだ。私も家族で利用したことがあったのん、全然知らなかった……
「……あれ?」
この前キョウヘイ君と一緒に来た時、そう言えばあのレストランについて詳しかったよね。それにこの前、2年ぶりにイッシュリーグを制覇者が出たことの記念、かつイッシュ復興としてセールを行っていたけどあれももしかして……!?
……考えれば考えるほど、あらゆることに辻褄が合ってしまう。いや、知ってしまえば、それ以外に思い当たる節しか無い。
キョウヘイ君のことを考えていたら、何時の間にかライブキャスターを落としたという場所に立っていた。
ああ、ここから今の関係が始まったんだ……と温かい気持ちが胸に芽生えると共に、仄暗い、醜い自分の声が湧き出てくる。
日々の忙しさ、溜まっていく疲れ、キョウヘイ君の優しさ、温かさ……そういった想いが全て混ざり合い、ドロリとした感情が胸を包む。ポケドルとして、その感情が一番マズイことを知っている。だけど、止まらない、止められない。
それは、どんなスイーツよりも甘美だ。だけど、ほろ苦い。ハートスイーツよりもそれが欲しい。例えスカイアローブリッジから飛び降りてでも、それが欲しい。
胸の高鳴る音が私そのものになったかのようだ。イッシュ地方を代表する大人気のポケドルが、たった一人の少年に熱を向けている。その、あまりの背徳感に全身が震えている。
──キョウヘイ君と、一緒に居たい。
キョウヘイ君との何気ない会話が楽しかった。キョウヘイ君の声が、あの日繋いだ手が温かかった。
私の個人的な相談にも、嫌な顔をせず聞いてくれた。堂々とバトルをする姿がとても堂に入っていて格好いい。
ポケドルとして振舞っているルッコじゃなくて、ルリという私を見てくれている。
……私に違う世界を教えてくれる、画面の先の、別世界の貴方。
ポケモンに詳しくて、バトルもとっても強い。なのに、驕らず、真っすぐで。
目の前で倒れてしまった時も、ただただ私を心配してくれた。聞きたかっただろうに、仕事のことについても聞かないでくれた。
何時か貴方は、もっと広い世界を知る。もしかしたら、画面の先から遠く、遠い世界に行ってしまうのかも。
──私を、だけを見て欲しい、知って欲しい。
醜い自分が顔を出す。明るく煌びやかな世界の影は、何処までも暗いことを既に知っている。
それをすれば、バレてしまえば、ポケドルとしての今までを失うかもしれない。その裏では何を言われるか分かったモノじゃない。沢山のファンや同性の人から非難されるかもしれない、それも非常に困る。ステージに立つことすら出来なくなるかもしれない。いや、それはまだいい方だ。下手すれば、チャンピオンになった彼へ非難が集まるかもしれない。
嫌、それだけは嫌だ。キョウヘイ君が自分の力で為したことを、邪魔したくない。
─ルッコ、ルッコ、ルッコ、ルッコ!
意識して、ステージやファンの声援を思い出す。あの熱があって、今の自分があるのだと奮起する。だから、これからも頑張らないと、と。
──!!
その脳裏にノイズが走る。忙し過ぎたあまり、レッスンや番組でミスをしてしまった時のことを思い出す。心配されつつも、叱咤されたこともあった。そのノイズをかき消そうとして、脳裏に映ったのは……
あの日、貴方と一緒に乗った観覧車。一緒に並んだ時、ふとした拍子に触れた貴方の手、ほのおタイプのようにあったかい。
向かい合って座ることが気恥ずかしい、飴細工のような甘酸っぱいストロベリーの記憶。
昇るゴンドラ、変わる視界。ころころと変わる貴方の顔。
二人きりの世界で見たイッシュ地方はどんなステージのスポットライトよりも輝いていた。あまりに心地よくて、ステージのことを考える気持ちすら霧散した。忙しい日々の中、ホテルのベッドで彼のことを想わなかった日はない。ポケモンの毛繕いをしているんだろうか、次のポケモンバトルに向けて戦略を練っているのだろうか……そんな何気ない時間は小さな火種を作ってはまた消えていた。だけど今、私の内に生まれた炎の渦はマグマの嵐のような勢いだ。
──ずっと、話していたい。
──時間が止まればいいのに。
──他の地方で光景を、君と一緒に見たい。
──ルリとルッコ、その全てを、知って欲しい。
あぁ、この熱に溺れれば私はきっと、ハートスイーツのように溶けてしまうんだろう。
──それでも構わない。だって、私はもう……
君のいない世界なんて、もう考えられないんだから。