結論から言うとアーカードは魔法を使えなかった。
森に入って二日目、つまり、カルロ平原での大虐殺の次の日のことだった。
太陽が頭上に上り始めた朝頃。
今日はここらで野宿をしようという話になった二人は、切り倒した丸太に座って寝る準備をしていた。
「ところでリル、俺は魔法を使えるのか?」
「え、魔法使えないの?、、、そっか、貴方は異世界から来たんだったわね」
リルは目を閉じて集中し、アーカードの中を覗き込むようにむむむと唸った後すぐに目を開けた。
「無理ね。貴方の体の中からは魔素も魔力も一切感じられないわ。それは、この世界ではありえない。多分、体のつくりが根本的に違うのよ。この世界で魔力を持たない生き物は、それこそ死体ぐらいよ?まぁ、死体はもはや生き物じゃないけど」
この世界の生き物、正確に言えば複雑なDNAを持つ多細胞生物は例外なく身体の中に魔素を魔力に変換する「魔袋」と呼ばれる器官を備えている。
魔素は原子や分子のようにミクロで、この世界の至る所に存在する。
ただ一つ原子や分子と違う点は、魔素は滅多に物質化せず、空間の内に漂うだけの存在だということ。
人間や魔物はそれらを呼吸やその他の方法で体内に取り込み、生きるために魔力に変換するのである。
「クハッ、それならば俺が使えないのも道理だ。何せ俺は人で無しで、人でなしの鬼だからな」
「あら、魔法が使える私も貴方と同じ吸血鬼よ?」
一筋の風が通り抜ける。
アーカードのこめかみが引き攣った。
リルの笑顔が引き攣った。
「な、なーんて、冗談よご主人様―」
「寝る」
「ちょ、ちょっとごめんってば!寝ないで!棺に入らないで!冗談よ!魔法が使えなくても貴方には誰も勝てないじゃないの!うわ、この棺の蓋かたっ!いいなぁ私も自分の棺が欲しいいい!!」
昼が更けていく。
狼の彼女は分厚い毛皮と皮膚に覆われ、岩の上でも枯れ枝の上でも熟睡することができたが、人型となった今は勝手が違う。
何かとチクチクするのだ。
熟睡できない。
かといって寝るために狼の姿に戻っても目立ちすぎて要らぬ面倒ごとを招くため、今日も彼女は泣く泣く枯れ葉と枝に覆われた地面の上でチクチクしながら寝るのだった。
×××
二日後、夜。
それに気付いたのは狼の嗅覚と聴覚を持ったリルだった。
遠くから微かに反響した人間の悲鳴と笑い声、そして血の匂いが漂ってきた。
ここは生い茂る森林の真っただ中、近くに道なんて無いし、ましてや村などあるはずがない。
方向は今いる場所より北西に少し上った所、距離はおよそ500といったところか。
「ねぇ、アーカード様。ここから少し上った所に洞窟があるわ。おそらく山賊の類がアジトにしているものよ。どうしましょう?」
リルは可愛らしく小首を傾げて、アーカードの判断を仰ぐ。
ぶっちゃけ特に用は無く、スルーしても問題はない。
別に人助けをしたいわけではない。
リルがアーカードに尋ねているのは、山賊やその哀れな被害者たちを食べるかどうか。
つまりは食事と情報収集。
アーカードは数瞬迷う素振りを見せたが、何かに思い当たるとちょうど良いとばかりに頷いた。
「行くぞ。ついでにお前の棺を調達してやる」
「ぎゃあああああああああ!!!」
「嫌ッ!いやよなんでたすけ」
「逃げろ!!攫ってきたやつらは放って―あぇ?」
骨が砕け、頭蓋が潰れ、腸が飛び散る地獄絵図の中を二人は悠々と歩く。
最初に食われたのはもちろんアジトの門番。
声を出す間もなくリルの一撃で頭をもぎ取られた。
アーカードは極めて優雅にアジトに一歩を踏み入れた。
「失礼。来訪の約束は取り付けなかったが、我々をもてなして貰おう」
恐らくこの洞窟は深い。
目指すのは更に下の方。
用があるのは洞窟の最奥。
こんな所にいる下っ端では大した情報を持たないだろう。
比較的入口に近い場所でたむろしていた山賊が次々に襲い掛かる。
今度はアーカードが動いた。
血が舞った。
「フォレスファング」はオベロン公国の玄関口、アシュヴァルツ領の首府ユールを囲む森の中で活動する巨大な山賊団である。
主にアンダーサイドでの裏取引、人身売買を生業としている。
男は労働奴隷、女は性奴隷、子供は愛玩用や臓器売買を目的として裏ルートで取引される。
もちろん、三国とも人身売買や奴隷所持を禁止しているが、各国の一部の上層部では暗黙の了解になりつつある。
「フォレスファング」は首府ユールの大門から少し離れた森に入った人間を無差別に襲い、その被害者は組織が拡大するにつれ年々多くなっている。
それでもアシュヴァルツ領、ひいてはオベロン公国が手を出せずにいるのは、その活動範囲と堅牢なアジトゆえである。
「フェレスファング」は決して首府ユールを含む街中に入らず、森から出ることも無いので、必然的に被害者は多いと言えど森の中へ入った一部の人間に限られる。
さらに、森を知り尽くしている彼らは、森の中でトラップなどを駆使して一騎当千の実力を発揮する。
その上「フォレスファング」のアジトは天然の洞窟を加工して作り上げたもので、おとぎ話のダンジョンの様に地下深くまで広がっている。
殲滅しようとするなら大規模な兵を動かさざるを得ないだろう。
もちろん魔王と戦争していたこの領や国にそんな余裕はない。
そのためにっちもさっちも行かず、「フォレスファング」はオベロン公国の目の上のたんこぶであり続けている。
そのアジトの中。
メンバー達が語らい、遊び、飲み交わし、そして地上で起きたことを報告しあう夜の時間。
そこに二つの足音が響いた。
階段に近いテーブルに座っていたメンバーはカード遊びに興じながらも、上の階へ続く階段に目を向ける。
そこから現れたのは赤いコートの男と紅いドレスの女。
その色は素材の色か、それとも滴る返り血か。
「なんだお前ら!ここがどこだか分かってひらうていなあ、、、、う?」
対戦相手の呂律が、唐突に乱れる。
舌の回らない男が最後に見た光景は、カードを持ちながら、驚愕の表情を浮かべる相手の姿が、ぐるりと180度、天地逆さまになっていく姿だった。
実際に逆さまになったのは、転げ落ちる男の首の方だったのだが。
「ひぃっ! なんだ! おい集まれ! こいつら――あ―が―、、、」
転がるものが、一つ増える。
アジトの地下二階ホールを、二人の鬼が無造作に歩く。
誰も反応できない内に、人の間を縫うように歩いていく。
「、、、豚どもめ」
アーカードの通った後には、ただ無数の頭が転がるのみ。
響く音もなく、ただ『ゴトリ』と頭が床を転がる音と、頭を失った体が床に、テーブルに倒れる騒音のみ。
アーカードが主に徒手空拳での戦闘で使うのは、抜き手による突き刺しである。
しかしこれは戦闘ではない。
闘争ではない。
強いて言うなら、家畜の殺処分。
アーカードが無造作に手を振るだけで、首が簡単に落ちる。
一つの首が地面に落ちる間に、五人の命が刈り取られる。
ただ歩いているだけで、死体の山が築かれていくという異常な光景。
突然同じフロアにいる人間の首が、何の前触れもなく落ちていく様は、順番が後の人間にとっては、まさしく『地獄そのもの』の光景だった。
リルが多数の生首を抱えながら噛り付く姿を横目に、アーカードは血を飲んで得た情報を整理する。
(やはりまだ下っ端か。大した情報も持っていない)
二人は更に下へ降りる。
地下三階には哀れな被害者達がまとめて転がされていた。
無数の人間が地面に鎖でつながれながら呻き声をあげる。
瀕死の人間もいれば、最近攫われて来たのであろう、比較的健康な人間もいる。
アーカードはサッとフロア全体を見渡すとリルに言った。
「男が38、女が107、子供が62だな。こいつらは公国に住んでいただろうから、良い情報が頭に詰まっているぞ。この後は全て任せる。お前はまだ動きが拙い、今のうちに身体を慣らしておけ」
「はーい」
アーカードとリルを期待の目で見つめていた人たちの顔が、絶望に染まった。
「ほう、これはこれは。当たりだ。こいつらは山賊どもより余程良い情報を持っているぞ」
「ん~!やっぱりみそは美味しいわね!柔らかくて塩味がちょうど良いわ!!」
ズタズタになった女の死体から血を飲みながらアーカードはリルを見る。
リルはドレスが汚れるのも構わず地面に這いつくばりながら本能のままに子供の頭蓋を喰らっていた。
「おい、見苦しいぞ狼。俺の様に、吸血鬼として上品に喰らい付け」
「人を食うのに上品も下品もあるもんですか。ほら、アーカード様も食べてみなさいよ。美味しいわよ?」
「いらん。俺には血で十分だ」
二人は更に下りていく。
蟻の巣、といったところか。
アーカードは脳内で地図を描きながら思う。
この巨大なアジトが終わりに近づくにつれ、横に広がるように小さな通路がいくつも用意され、最下層に移動するまでに多くの空間が構成員の待機所に掘りぬかれていた。
その全てで、リルの猛威が振るわれる。
断末魔の声も上がらずに、首が落ちる前に次の胴が袈裟に切り裂かれ、一人目の首が床に転がる頃にはもう、既にそのフロアの人間は皆、絶命していた。
冴えが、増していく。
流れるように手刀が、拳が、鉤爪が、足技が繰り出される。
実際に人間の身体を使い、人を殺すごとに、狼の「フェンリル」としての経験や力が身体に馴染んでいく。
「ほう、、、見事なものだ」
もはや、化物ですら到達することが出来ない領域まで、リルは足を踏み入れていた。
やがて――
「、、、ここか」
これでやっとこの退屈な狩りも終わる。
そんなことを思いながらアーカード達は最後の階段を下りきった。
アジトの最下層、恐らくボスの待ち受ける扉をリルが開ける。
「いいぞぉ!気に入った!オラ、もっと鳴け!」
その中では、年の頃30過ぎ、荒々しい風貌の筋骨隆々の男が、己の肉体と肉欲を女体へとぶつけている最中だった。
男は攫ってきた女を犯すのに夢中でアーカード達には気づかない。
しかし、泣きながら許しを請う女の目はリルを捉える。
故に―
「ッ!」
「誰だてめぇ!」
ここに来て、初めてリルの一撃が、全てを終わらせてきた打撃が止められる。
男の得物の篭手、それも恐らく最高の素材で作られた篭手が、確かにリルの腕を受け止めていた。
「てめぇら俺が誰だか分かってるよなぁ?力がモノを言うこのフォレスファングで頭目に上り詰めたということは、俺がここで―」
しかしそれまでだった。
瞬間、リルが受け止められた手で男の腕を掴む。
そのまま根元から引き千切った。
「ギャアアアアアアアアアアアアア!!」
「ごめんなさい。人間の違いって分からないの」
男の身体が犯されていた女ごと両断される。
未だ元気に叫び続ける上半身がベットから転がり落ちた。
「殺ず!ぶっごろじてやる!!」
「いや、無理でしょう。どう見ても」
男の首が落ちる。
「おれば!ごごのボズだぞ!でめぇのようなおんななんでどうにでもじゃじゅんんだご、、、、、」
こうしてオベロン公国を悩ませ続けた「フォレスファング」はこの日、208名の民間人と共に殲滅された。
「やはりな、あるはずだ。それにしても、この世界の棺はまったく面白くない。ただの長方形だと?このままではみっともなくて目も当てられん」
「、、、ねぇ、その二本の線を交差させた模様はなんなの?貴方の棺にもあるわよね?」
「
生首から血を飲みながら、アーカードが男の部屋から見つけた豪華な装飾の棺を改造する。
おそらく男自身のために用意されていた棺は、アーカードによって容赦なく形を変えられていく。
そして最後に、アーカードは自らの血で棺に銘文を刻んだ。
Kattens fotspor, kvinnens skjegg, fjellets røtter, bjørnens sener, fiskens ånde, fuglens spytt. De kan ikke binde meg.
出来上がった棺を見てアーカードは満足そうに鼻を鳴らすと、手に持っていた男の首を適当に放り投げる。
「さて、行くぞ。表の情報も、裏の情報も、充分すぎるほど手に入った」
アーカードは立ち上がると棺をリルに押し付ける。
「身体の中にしまっておけ。街中でも棺を背負っていたらなんて言われるか分からん。面倒ごとはごめんだ、、、、なんだ?」
リルは両手の人差し指をこねくり合わせてもじもじしている。
「えっと、、、、、、」
「、、、、、お前まさか、まだ身体を変化させることが出来ないのか?」
リルがコクリと首を縦に振る。
リルがキラキラした目でアーカードを見つめている。
「自分で背負え。安眠のためにな」
「ぶー!ケチだわこの男!」
これが後に、「葬儀屋」と恐れられ、語り継がれる化物が爆誕した瞬間である。
リルの棺に刻まれたのはノルウェー語で「猫の足音、女の顎髭、山の根、熊の神経、魚の吐息、鳥の唾液。我を縛ること能わず」という意味です。
由来については、調べてみると面白いかもしれません。
アーカードの「ヘルメスの鳥」のように、お洒落なものにしたかったのですが僕の限界がこれでした。
ヒラコー先生はすんごい。