オベロン公国の玄関口、アシュヴァルツ領。
その首府、ユールを象徴する大門の前には朝から、正式な入国を求める人達が長蛇の列をなしていた。
この世界では国境が曖昧なため、国に入るだけなら簡単だ。
大地に境界線など引かれていないため、どこぞの領にでも勝手に入ればいい。
しかしそれでは入国したことにならない。
国の中にある街に入って初めて入国したとみなされる。
魔王の脅威によっていつ人類が滅ぶか分からない状況の中でも、人の流れは絶えることがない。
むしろ、今こそ好機とばかりに経済や娯楽が活発化していた。
アーカード達を見下ろす白い大門には、緻密な浮き彫りがびっしりと刻まれてる。
この門は、魔王の脅威が身近なものになるまでの平和な時代の名残であり、今や数少ない観光名所の一つにもなっている。
恐らく創世神話か建国物語の類だろう、とアーカードは列に交じりながらぼんやりと眺めていた。
「ね、ねぇ、さっきも言ったけど正規の手続きで入るには国民札やら身分証やらが必要なのよ?別にバレたところで「賢者」以外の人間を皆殺しにすれば良いんだけど、面倒ごとは避けたいんでしょ?本当に大丈夫なの?」
「問題ない」
「問題ないって貴方、、、」
「まァ、見ておけ。何も問題は起きない」
それだけ言うとアーカードは日光を避けるように帽子を目深に被った。
リルが「食事」によって知り得た情報は、アーカードも当然知っている。
どうやらこれ以上問い詰めても無駄だと悟ったリルは、この長い待ち列に巨大な岩を落として全員潰したら面白いだろうなぁというような事を考えながら時間をつぶすことにした。
のろのろと列が進み、太陽が真上に来る時間になってやっとアーカード達の番が来た。
頑丈な木材で作られた簡素な警備室の中に居る顔色の悪い数人の男が、アーカード達、特にどでかい棺を背負ったリルを胡散臭げな目で見る。
そのうちの一人が接客用に備え付けられた窓から手を差し出す。
出すべきものを出せという意味なのだろうが、あいにく一つも持っていない。
リルがどうするの、とアーカードに視線で問いかけると、アーカードは一歩前に出て、部屋の中の全員を見渡した。
「私だ。覚えているはずだろう?まさか忘れたんじゃあるまいな」
「は?お前誰、、、だ、、、?」
「私を忘れたのか?オイ、まさか命の恩人を忘れたのか。お前たちを助けてやっただろう?私の顔をよく見ろ。私ならば通っても問題ないはずだ」
アーカードが一人一人と目を合わせる。
「あ、、、、う、、、、」
「問題ない。この私ならば問題は無い。何も問題は無いな?」
「、、、そ、、、そうだ!旦那!旦那じゃないか!」
男の一人が思い出したように叫ぶと、残りの男たちも次々に思い出していく。
「おいおい、なんで俺たち忘れちまってたんだ?旦那も旦那だ、こっちに顔出すなら連絡の一つぐらい寄こせばいいものを」
「まったくだ!今夜は飲もうぜ旦那!」
「この前あんたに言った妻子を紹介するからよ、うちにも寄ってくれや!」
まったく訳が分からず目を白黒させるリルの横で、アーカードはにやりと笑うと親しげに言った。
「ほう、それはありがたいことだ。では、私はひとまず失礼するよ。この国の首都に用があってね」
「ああ、旦那なら何も問題ねえや。入って良いぜ」
こうして二人は悠々とユールに足を踏み入れた。
×××
門から広場へ直行する大路は、栄華を極めたかつてのフランスをアーカードに思い起こさせるほどのものだった。
ものすごい人の群があちらこちらに存在し、両側には露店が所狭しと並べられている。
客を呼び込むために張り上げる声は、たちまち周りの喧騒に流される。
人々の顔には活気が満ち溢れ、魔王への恐怖など頭に無いようだった。
あるいは、無理やり明るく振舞い、必死に恐怖を追い払っているのか。
路をまっすぐ歩いてユールを象徴する広場に着くと、人の密度はもっと上がった。
広場に面したレストランでは、ガラスのコップを掲げている人がちらほらと見られる。
世間話を肴に昼間から一杯やっているのだろう。
平民であろう人々の間にもガラス食器が普及していることが、ユールの繁栄を実によく物語っている。
「さて、まずは宿の確保だ。この貴族街にはユールで一番良いホテルがある」
貴族街の入り口の警備を例の如く
「なかなかどうして、良い所だ。浮浪者やスラムが極端に少ない。余程、領主が上手く治めているのか、それとも私のように掃除をしたのか、、、」
「それよりもさっきから一体どうなっているのよ?本当の知り合いって訳じゃないんでしょ?人を洗脳する能力でも持っているの?」
隣を歩くリルがアーカードを見上げる。
今しがたパーティー会場から抜け出してきた貴族令嬢にしか見えない格好と、背負われた黒塗りの豪華な棺桶という訳の分からない組み合わせのリルは、その芸術作品かと見間違うほどの美貌も相まって道行く人の好奇の目に晒されていた。
そのおかげか、見るからに怪しいアーカードを気にする人はほとんどいない。
「まぁ、そんなところだ。洗脳というよりは暗示の類だな。人間にしか効かないが」
そんなことを話すうちに二人は目的の場所へたどり着く。
貴族街の一等地、広大な花壇とまるで高爵位の本屋敷のような豪華さを持つ建物が二人を出迎える。
ホテル「エンリ・ユール」。
この街どころか、この国でも最上級のホテルである。
×××
二人が案内されたのは最上級スイートの一室。
恭しくお辞儀をして去っていくボーイを見ながらアーカードはこれからの行動を決めるべく考える。
ここユールからオベロン公国の首都までは、馬車で約2日ほどの距離と意外に近い。
人類の生存圏が狭まっているのだから、当たり前っちゃ当たり前だ。
アーカードがこの世界に来てからまだ一月も経っていない。
できれば異世界をじっくり観察、もとい堪能したいのだが、ここで気になるのが「元の世界」の時間だ。
ここでの一日と向こうの一日は連動しているのか否か。
少し前まではアーカードはそれに対する答えを持たなかったが、今なら断言できる。
否、だ。
アーカードと元の世界の眷属であるセラスは、今も僅かにうっすらと繋がっている。
とは言っても、相手が活動しているかどうかがわかるだけのものだったため、アーカードもあまり気にしていなかった。
しかし、この前ふと気づいた。
アーカードが異世界に来てから、
セラスの生活はその性格故か、非常に規則正しい。
夜に寝て朝に起きるという吸血鬼にあるまじき生活を繰り返している。
今回はそれが功を奏した。
セラスがまだ寝ていないということは、向こうではまだ一日も経っていないということ。
だが、活動している気配はあるから時が止まっているわけではなさそうだ。
恐らく、こちらの時間が向こうより速いのだろう。
正直、これは嬉しい誤算だ。
アーカードが頬を歪める。
思いがけず、こちらでの時間にかなりの余裕が出来た。
「棺は置いたな?よし。では、街へ繰り出すぞ。クク、、、異世界見物と洒落込もうじゃないか」
「、、、なんだかテンション高くない?私は別に人間に興味ないんだけど、、、、待ってよ、分かったわよ、行くってば!だからジャッカルを出さないで!」
「よぉ、美人の嬢ちゃん。夜遊びとは感心しねぇな。俺と一杯どうだい?なぁに、俺の奢りさ。夜の世界ってやつを教えてやるよ、、、手取り足取り、な」
「は?」
ほう、ナンパですか、、、
オイオイオイ
死ぬわアイツ