私の名前は佐藤鈴理(さとうすずり)。周りからはスズって呼ばれてる。小さい頃の夢は、ウマ娘としてレースに出ること。でも、その夢は早々に潰えた。
だって、私は「ヒト」だったから。
それでも夢を諦めたくなかった私は……。
「よし、これで芝生の手入れは完了っと……」
午後の陽射しが降り注ぐ中、額の汗を拭う。使い慣れた小型芝刈り機を停め、ふと顔を上げれば、ターフを駆けるウマ娘たちの姿が目に飛び込んできた。彼女たちの蹄が芝を蹴るたびに、爽快な感覚が私の胸に広がる。
そう、私は今、トレセン学園の用務員だ。まさか、こうしてウマ娘の聖地で、掃除道具片手に汗を流すことになるとは、一年前の私には想像もつかなかっただろう。
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時は遡り一年前。高校三年生だった私は、まさに進路の迷子だった。周りの友人たちはとっくに自分の進むべき道を見定め、受験勉強に精を出している。誰も彼もが未来に向かって走り出している中で、私だけが取り残された気分だった。というか、実際そうだった。
「ううー……どうしよっかな」
机に伏せて、手元の進路希望調査票を眺める。ほとんどの同級生が大学進学を選ぶ中、正直、行きたい大学なんてこれっぽっちも思い浮かばない。
漠然と大学に進んだところで、この性格じゃダラダラと4年間を過ごすのが関の山だろう。いや、4年で済むかも怪しい。下手したら卒業すら危うい。
手元の用紙は、進路を書き込むべき欄が真っ白なままだ。ちらりと周りを見渡せば、ほとんどの生徒が書き終え、楽しげにお喋りしているのが見える。羨ましいというか、早くこの面倒な作業を終わらせて、私もあの輪に混ざりたい。でも、書くことがない。
結局、大学も就職先も思いつかないまま、私は就職希望先に「ウマ娘」とだけ記入した。なぜ、よりによってそれにしようと思ったのかは自分でも謎だけど、きっと無意識のうちに昔の夢がちらついたのだろう。バレないように一番上に置かず、提出済みの書類の間にそっと挟み込む。完璧な偽装工作だ。たぶん。
面倒事が片付いたとばかりに、流れるような動作で友人たちの元へ歩みを進めた。さあ、あとは誰かの課題を写させてもらって、今日は平和に終わらせるだけだ。
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「舐めてんの?」
放課後。家に帰ってゲームでもしようかと思っていた矢先、先生からの呼び出しを食らった。心当たりなんて、今月の遅刻回数が20を超えたことくらいしかないんだけど……まさか、それがバレたのか?いや、それならもっと怒られるだろう。
頭を悩ませながら職員室へ向かうと、昼に提出したばかりの進路希望調査票を突きつけられた。そこには当然のように「ウマ娘」の文字が踊っている。ああ、これか。バレたか。
「あー……いや、ウ、ウマ娘になれたらいいなーって、その……。夢、というか……」
「お前は小学生か。これは将来の夢を書く紙じゃない。お前の進路を書く紙だ。分かってるか、佐藤」
先生の低く、しかし呆れた声が職員室に響く。入口の方をチラッと見ると、友人たちが口を押えながら爆笑しているのが見えた。特に秋川沙月。こいつ、絶対後で覚えてろ。もう二度と課題写させてやんないからな……と言いたいところだけど、私の方がお世話になっているのは秘密だ。
「でも、行きたい進路とか、全然思いつかなくて。適当に書くのも、なんか先生に悪いかなって……」
「じゃあもう、適当に近くの大学でも書いとけ。別にどこでもいいから。とにかくちゃんと書いてくれさえすれば良いから」
そんなんで良いのか、高校教師。いっそ先生への当てつけで「教員」って書いてやろうか。いや、それは確実に面倒なことになるからやめとこう。そう思っていると、先生はため息混じりに腕を組んだ。
「もう今日はいいから、明日までにちゃんと書いて来いよ。分かったな」
そう言って先生は私を職員室から押し出した。まったく生徒使いの荒い教師だ。入口で私を待っていた友人たちと合流し、私たちはそのまま帰路についた。
「……もう課題見せてあげないから」
「えっ!? ご、ごめんってスズ! まさか本当にウマ娘って書くと思わなくって!」
ふふっ、これくらいで少しは気が晴れる。ま、どうせ明日には見せちゃうんだけど。
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帰り道、三叉路に差し掛かり信号を待つ。私の家は左方面なので、信号を渡らずに彼女たちを見送る形になる。
「じゃあまた明日ねー」
そう言って友人たちに手を振る。無事信号を渡り切ったのを確認して、私は前を向き直して帰路へとついた。しかし、一人になるはずの私の隣には、まだ人がいる。
「……もー、まだ怒ってるー?」
自宅が左側方面なのは、私だけじゃない。秋川沙月(あきかわさつき)。私の親友だ。長い黒髪を揺らしながら、ニコニコと私の顔を覗き込んでくる。
「別に……最初から怒ってないし」
全然嘘である。確かに就職希望先に「ウマ娘」って書いた私も悪いが、あんなに爆笑されると、なんだか幼い頃の夢を笑われたような気がして、つい感情に表れてしまった。
「ごめんねー、もう笑わないよー。だから、機嫌直して?」
そう言いながら、沙月が私に抱き着いてくる。全く、本当に反省してるのか、こいつ。身長差があるせいで、ちょうど私の肩に頭を乗せる形になる。そして、自然な動作で、私の手を取って恋人繋ぎをするのもやめてほしい。恋人繋ぎ自体に抵抗感はないし、むしろ嫌いじゃないけど、誰かに見られたらあらぬ誤解を受けかねない。特に沙月は容姿もいいから目立つんだよな……。
……まあ、何度注意しても聞く素振りすら見せないので、私の方も半ば諦めてはいるが……。むしろ、たまに私が手を離すと、拗ねたようにまた繋ぎ直してくるから、放っておくしかないのだ。
「ねぇ、行きたい大学ないなら、私と同じとこ行こうよー。一人で大学行くの、寂しいんだもん」
私を揺さぶりながら沙月が訴えかける。確かに、沙月と一緒ならどこにいても楽しいだろう。面倒事も半分くらいは押し付けられそうだし。
私の脳内では、「自分の進路はしっかり考えるべき」派の私と、「もう面倒くさいから適当に決めちゃえ」派の私が接戦を繰り広げていた。後者が優勢なのは、もはや自明の理だ。
「……大学生って、『人生の夏休み』って言われるくらいには遊べるらしいよ……? 毎日、朝までゲームできるかもよ……?」
「!」
沙月のとどめの一言に、私の脳内の戦いはあっさり決着した。
(……沙月と同じとこでいっか……。)
目の前の誘惑に、私はあっさり結論を出してしまった。まあ、無気力系の人間なんて、そんなものだ。楽な方に流れる。
「まあ、考えておく……」
一応、こんな私にもプライドはあるわけで、今の一言で決断したとは思われたくない。だから、ひとまず回答は濁しておいた。……まあ、沙月はずっとニコニコしていて、なんだか既に答えを見透かされている気がしないでもないけど……。くそ、こいつはいつもそうだ。私の考えてることがお見通しなんだろう。
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家に着いた私は、自室でパソコンとにらめっこしていた。何をしているのかというと、もちろんアルバイト探しだ。受験勉強を舐めきっていた私は、高校三年生になってからバイトを始めるという暴挙に出ていたのだ。周りからは「今から!?」とか言われたけど、まあ何とかなるだろう。
(この前働いてたパン屋は、私が入った日だけ異様にお客さんが多くて大変だったしなぁ……あれ、もしかして私が原因だったのか?それとも偶然?)
今まで色々なバイトをしてきたが、どれも長続きしなかった。居酒屋で働いていた時には、酔ったお姉さん方に絡まれまくって大変だったし、「お姉さん、可愛いねぇ」とか言われて連絡先を渡されたりした。バーでバイトをしていた頃は何故かウェイトレスの私に向けて「あちらのお客様からです」を実行されたりした。まだお酒飲めないっての。しかもそのお酒、めちゃくちゃ高いシャンパンだったし。結局、店長が代わりに飲んでたけど。
「もう一年間、仕分けだけしておこうかな……何も考えなくていいし」
過去の面倒な記憶が蘇り、私は背もたれにぐったりと倒れこんでしまった。どんなアルバイト先でも、必ずと言っていいほど人間関係で問題が生じて辞めてしまうのだ。一番怖かったのは、同じファミレスで働いていた女の子が私のストーカーになったときだった。毎日同じ時間に同じコンビニで待ち伏せされたり、SNSのアカウント特定されたり。翌日何事もなかったかのように私に接してきたのは、今思い出しても物凄い恐怖を覚える。あれはもうホラーだ。
(それにしても……)
私はまだ高校生だというのに、サイトのページには正社員用の仕事も混ざって表示されているので、調べにくいったらありゃしない。トラック運転手なんか無理だっての。運転免許すら持ってない。
面倒くさくなってきた私は、スクロールする速度を上げていく。どうせ、ろくなものはないだろう。
(介護士、ホテルスタッフ、パティシエ、用務員、保育士……)
「……ん?」
なんだか今、気になる文字が見えたような……。無気力な私の目に、何か引っかかるものがあった。マウスのホイールを上に回す。
(あった……)
3回ほどホイールを回すと現れたのは、【トレセン学園中央校 用務員募集】の文字。
「トレセン学園……用務員……」
私は考える暇もなくリンクをクリックした。指が、勝手に動いた。
「トレセン学園 用務員募集。トレセン学園の快適な環境維持のため、多岐にわたる業務をお任せします……」
「校舎内外の清掃・美化業務全般、設備管理・保守業務、イベント設営・準備の補助……」
なんだか忙しそう……だけど、なんだか楽しそう。いや、何が楽しいのかは説明できないけど。あの場所で、ウマ娘たちを間近で見られる……? レースに出る夢は叶わなかったけど、裏方として、彼女たちの活動を支えることができる?
「応募資格………学歴不問」
ふと、昔の夢が頭をよぎる。ウマ娘としてじゃなくても、用務員として、彼女たちと関わることが出来るのならば、それはとても嬉しいことなのかもしれない。面倒くさがりな私にしては珍しく、心が少しばかり高揚した。胸の奥に、忘れかけていた熱が灯るのを感じる。
「目指してみようかな……トレセン学園用務員」
鞄にしまっていた進路希望調査票をおもむろに取り出し、机の上に広げる。ひと際目立つ「ウマ娘」の文字に少しばかり笑みをこぼし、消しゴムで消す。そして新たに描くのは、「用務員」の三文字。
「……これから、忙しくなりそう……まあ、なるようになるか」
(学園内の食堂使い放題………マジか)