白き流星の羽搏き   作:丸亀導師

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息吹

 

宇宙世紀0086年、冬。

 

シャイアン山岳地帯に吹き下ろす風が芯から冷え切るこの季節。第13外郭独立艦隊『クレール・ルクス(C・L)』は、部隊の再編と同時に極秘裏な人員補充を行っていた。

 

アムロ・レイ少佐が前線を退き、隣接する士官学校の教官へと赴任したことは、C・Lにとって戦術的にも精神的にもあまりに巨大な「穴」であった。その空席を埋めるため、C・L司令部は連邦軍全軍、さらには外部の協力機関にまで網を張り、新たなパイロットの選抜を実施したのである。

 

彼らが求めた条件は、極めて厳言であった。

第一に、ずば抜けて高いモビルスーツの操縦技量を持つこと。

第二に、ティターンズのようにアースノイドを至上とせず、スペースノイドと分け隔てなく接することのできるフラットな思想の持ち主であること。

 

そして第三に、特殊部隊という孤立無援になりがちな過酷な環境下において、何が何でも生き残る『極めて高い生存能力』を有していること。

 

この過酷なフィルターを通過し、最終選考に残った者はごく僅かであった。だが、彼らは間違いなく、この時代における「選りすぐりの精鋭」と呼ぶに相応しい者たちであった。

その僅かな合格者の中に、一際異彩を放つ二人の男の姿があった。

 

 

一人は、野生の獣を思わせる獰猛な顔つきと、逆立った金髪が特徴的な男。

 

ヤザン・ゲーブル大尉である。

 

彼の人格面は、お世辞にも「連邦軍の模範たる将校」と褒められたものではない。根っからの戦闘狂であり、戦場におけるスリルと命のやり取りそのものを至上の悦びとしている。

 

しかし、C・Lが求めた「分け隔てない人物」という条件において、彼はある意味で完璧に合致していた。ヤザンにとって、相手が地球生まれであろうが宇宙生まれであろうが、そんな政治的な出自など心底どうでもいいのだ。彼が評価するのは『戦場で強いか、弱いか』、ただそれだけであった。

 

そしてヤザンは、ただの狂犬ではない。

彼は戦場の空気だけでなく、組織の環境や人間関係を極めて狡猾に読み取る嗅覚を持っていた。

 

「ヤザン・ゲーブル大尉だ。この腕っぷし、好きに使ってくれて構わねえ。期待以上の働きを約束するぜ」

 

着任の挨拶に訪れたC・Lの司令部において、ヤザンはダグザ中佐やコジマ准将といった上官たちの前で、完璧なまでに体面を整えた敬礼をやってのけた。誰に牙を剥き、誰に従うべきか。特殊部隊という特殊な環境で生き残るための「処世術」を、彼は本能レベルで熟知しているのである。

 

そんな着任手続きを終え、建屋の廊下を歩いていたヤザンの足が、ピタリと止まった。

彼の視線の先。隣接する士官学校から出向いてきていたのか、教官用のフライトジャケットを羽織ったアムロ・レイの姿があったのだ。

 

「おや……。こいつは驚いた」

 

ヤザンは獰猛な笑みを浮かべると、軽い足取りでアムロに近づき、ビシッと、しかしどこか飄々とした敬礼を見せた。

アムロは一瞬怪訝な顔をしたものの、その金髪と野獣のような瞳を見て、すぐに目を丸くした。

 

「ヤザン・ゲーブル……。お前、C・Lに配属されたのか」

 

「ご名答。アンタの抜けたデカい穴に放り込まれた、しがない補充要員ってわけさ。元気そうじゃねえか、英雄殿」

 

ヤザンの軽口に、アムロは呆れたように息を吐きながらも、その顔には確かな懐かしさと喜びの色が浮かんでいた。

 

「相変わらず、危険な目をしているな。……お前の腕なら、C・Lでも十分にやっていけるだろう」 

 

「へっ。アンタにそう言われると光栄だね。ヒヨッコどものお守りに飽きたら、いつでも前線に戻ってきな。アンタの背中は、俺が守ってやるからよ」

 

互いの実力を知り尽くした、トップエース同士にしか通じ合わない独特の空気。

アムロとヤザンは、立場こそ変われど、かつての演習の時のようにニヤリと笑い合った。

 

そして、もう一人。

ヤザンと同じく金髪の持ち主ではあるが、その纏う空気は対極と言っていいほどに異なる男。

 

名を、ボッシュ・ウェラー少尉と言った。

 

彼は連邦の正規軍人ではなく、『ジオン共和国からの出向』という、極めて政治的な意味合いの強い特例措置による受け入れであった。

 

ジオン共和国と地球連邦中立派、そしてC・Lとの間で構築されつつある協力体制のパイプ役。表向きの肩書きは、そのようなものである。

 

「ボッシュ・ウェラー少尉です。微力ながら、皆様の盾となれるよう全力を尽くす所存です。よろしくお願いいたします」

 

新兵のブリーフィングにおいて、ボッシュは隙のない美しい敬礼と共に挨拶をした。

その眼差しは極めて誠実そうで、言葉遣いも礼儀正しく、ヤザンのような危うさは一切感じさせない。戦術理解度も高く、シミュレーターでの操縦技量も申し分ない。誰もが「優秀で扱いやすい若手将校」という第一印象を抱くであろう青年であった。

 

――だが、彼には決して表には出さない『裏の顔』があった。

 

(……ここが、彼らが作り上げたという第13外郭独立艦隊。連邦の闇を狩る猟犬たちの巣、か)

 

ボッシュは、柔和な笑みを顔に張り付けたまま、その鋭い観察眼で基地の設備、人員の練度、そして格納庫に並ぶ機体の整備状況を、まるでスキャナーのように脳裏へ焼き付けていた。

 

彼は、ただの出向将校ではない。

 

ジオン共和国の中枢から密命を帯びて潜入した、生粋の『スパイ』である。

 

彼に課せられた任務は、連邦内で特異な立ち位置を築きつつあるC・Lという組織の実態を内部から見極めること。彼らの武力、思想、そしてエゥーゴやアナハイムとの繋がりを詳細にジオン共和国へと報告し、この部隊が「真に信頼に足る組織」であるか、それとも「排除すべき連邦の牙」であるかを推し量ること。

 

さらに深く言えば、アステロイドベルトに潜伏する『アクシズ』との内通ルートを構築し、来るべき決起の時に備えて連邦の内部情報を横流しするための、極めて危険な二重スパイとしての役割を担っていた。

 

(パイロットたちの士気は異常なほどに高い。ヤザン・ゲーブルのような一癖も二癖もある男まで飼い慣らす器の大きさ……。なるほど、噂以上の組織だ。だが、その本質がどこにあるのかは、私がこの目で確かめさせてもらう)

 

ボッシュ・ウェラーは、誰にも気付かれることのない冷徹な工作員の瞳で、冬の陽光に照らされるC・Lのエンブレムを静かに見上げていた。

 

前線を離れた英雄と、血の匂いを求める狂犬、そして静かに毒を孕んだ潜入者。

 

役者たちがそれぞれの思惑と共にシャイアンの地に集い、次なる戦乱の足音は、雪解けを待たずに確実に近づきつつあった。

 

 

―――

 

北米シャイアンの山々が深い雪に覆われ、身を切るような寒風が窓ガラスを叩く夜。しかし、アムロ・レイの居室を満たしている空気は、外の過酷な寒さとは無縁の、穏やかで柔らかな温もりに包まれていた。

 

アムロが第一線の過酷な任務から一時的に離れ、教官という比較的規則正しい生活(ルーティン)を手に入れたことは、二人の関係に静かな、しかし確実な変化をもたらしていた。

 

互いのスケジュールを合わせやすくなったことで、セイラが世界中を飛び回る合間を縫ってシャイアンの邸宅を訪れたり、あるいは二人の休日が重なる日には、誰の目も気にすることなく同じ時間を共有したりすることができるようになったのだ。

 

血の匂いと硝煙に塗れた戦場から遠く離れた、ささやかなオアシス。

 

この日、セイラはエプロンを身に着け、キッチンに立っていた。久しぶりにアムロと共にゆっくりとした夕食をとれるとあって、彼女も気合が入っていた。施設の子供たちに振る舞う大鍋の料理とは違う、二人のためだけに腕によりをかけた特別なディナーの準備である。

 

鍋から立ち上る湯気と、スパイスの香りが部屋に満ちる。

セイラは、煮込み料理の味見をするために、木べらで掬ったスープを小皿に移し、そっと口に運んだ。

 

「……あれ?」

 

その瞬間、彼女は微かな違和感を覚えた。

いつもと同じ分量、同じ手順で作ったはずなのに、妙に味が濃く……いや、どこか金属的で、鼻につくようなおかしい味がしたのだ。

 

「変ね。少し煮詰めすぎたのかしら……それとも、最近の移動続きで私が疲れているのかしら?」

 

セイラは首を傾げ、独り言を呟いた。

ここ数週間、中東から欧州にかけての資金繰りで強行軍が続いていた。その疲れが味覚に影響しているのかもしれない。そう納得しようとした、まさにその時だった。

 

――唐突に、胃の底から込み上げてくる強烈な不快感。

 

「っ……!」

 

今まで経験したことのないような、急激で抗いがたい気持ち悪さの波が、全身を粟立たせた。

セイラは咄嗟に口元を手で覆い、慌ててキッチンの流し台へと駆け寄り、胃液と先ほど口にしたばかりのスープを僅かに戻してしまった。

 

「……はぁっ……げほっ……な、何……?」

 

冷たい水で口をゆすぎながら、セイラは荒い息を吐いた。

食あたりだろうか。いや、今日は新鮮な食材しか使っていない。ならば、何か未知の風土病でも拾ってしまったのだろうか。

流しの縁を強く握り締め、鏡に映る少し青ざめた自身の顔を見つめる。

 

様々な病の可能性が頭をよぎる中、セイラという聡明な女性の脳裏に、医学的な知識として知っている『ある特別な症例』が、ふと雷のように閃いた。

 

味覚の変化。

 

理由のない極度の疲労感。

 

そして、特定の匂いや食べ物に対する、この強烈な吐き気。

 

それは、成人の適齢期を迎えた女性に特有の、極めて自然で、かつ神秘的な身体の兆候。

 

さらに言えば――心から愛し、深い絆で結ばれた男性と共に、穏やかな時間を重ねている女性にこそ訪れる、奇跡の証。

 

「……まさか」

 

セイラは、微かに震える手を、自分のお腹のあたりへそっと当てた。

まだそこには何の変化もない、平坦な身体。だが、ニュータイプとしての直感とは違う、一人の「女性」としての本能が、彼女に一つの絶対的な事実を告げていた。

 

――妊娠。

 

「私と、アムロの……」

 

その言葉を口にした瞬間。

 

先ほどまでの吐き気や不安感は嘘のように霧散し、代わりに、胸の奥底からじんわりと、言葉にできないほどの熱く優しい感情が溢れ出してきた。

 

ジオン・ダイクンの遺児という呪われた血筋に縛られ、戦火の中で銃を取り、長く孤独な道を歩んできた自分。

 

そして、一年戦争の英雄として祭り上げられ、常に死と隣り合わせの宇宙で戦い続けてきたアムロ・レイ。

 

決して普通の幸せなど望めないと思っていた二人の間に、今、新しい「命」が芽吹こうとしている。

 

それは、地球の自然を回復させるための政治闘争でも、人類の革新を促すためのニュータイプ論でもない。ただ純粋に、一人の男と女が愛し合った結果として生み出される、何よりも尊い未来への希望であった。

 

(……アムロ。あなたに、このことをどうやって伝えようかしら)

 

外では、相変わらず冷たい冬の風が吹き荒れている。

だが、流し台の前に立つセイラの表情は、これまでのどんな時よりも柔らかく、そして母性に満ちた美しい微笑みに彩られていた。

 

ガチャリ、と。

玄関の方で、アムロが教官の任を終えて帰宅したドアの音が響いた。

 

「ただいま、セイラ。……いい匂いがするね」

 

雪を払う音と共に聞こえてきた、愛する人の穏やかな声。

セイラは、お腹に当てていた手をそっと離し、目尻に浮かんだほんの僅かな涙を拭うと、振り返って彼を迎え入れるためにキッチンを歩き出した。

 

雪の冷気を纏ったコートを脱ぎながら、アムロ・レイはキッチンへと歩み寄った。

 

だが、彼が足を踏み入れた瞬間、リビングに漂う温かな空気の中に、ほんの僅かな「波立ち」があることを見逃さなかった。

ニュータイプとしての鋭敏な感覚が、意図せずともセイラの微かな動揺、体温の変化、そして彼女が必死に平静を装おうとしている心の揺らぎを捉えてしまったのだ。

 

「どうかしたのかい、セイラ? 何かあったのなら……」

 

アムロは心配そうに眉を寄せ、彼女の肩にそっと触れた。

セイラは一瞬ビクッと肩を震わせたものの、すぐに振り返り、いつものように美しく、けれどどこか照れ隠しのような、ぎこちない微笑みを浮かべた。

 

「……ううん、何でもないの。ただ、少し考え事をしていて……それに、まだ確定したことではないから」

 

「確定?」

 

「ええ。だから、今はまだ……秘密にしておいてちょうだい」

 

セイラはそう言って、悪戯っぽく人差し指を口元に当て、言葉を濁した。

 

その瞳の奥には、不安と、それを上回るような深い喜びの色が入り混じっている。アムロは、彼女が嘘をついているわけではなく、自分自身の心の中で「ある奇跡」を大切に咀嚼しようとしているのだと理解した。

 

「……わかった。セイラがそう言うなら、無理には聞かないよ」

 

アムロはそれ以上深く追及することはせず、優しく頷いて身を引いた。

それが、彼ら二人が長年培ってきた、互いの領域を尊重し合うための無言のルールでもあった。

 

アムロはリビングのソファに腰を下ろし、キッチンで再び料理に向かうセイラの背中を見つめた。

言葉で聞かされたわけではない。彼女自身もまだ確信を持てていない。

 

だが――アムロ・レイの研ぎ澄まされた直感は、すでにその『真実』の輪郭に触れてしまっていた。

 

(……命の、気配)

 

彼女の胎内に宿りつつある、極めて小さく、しかし確かな鼓動の予感。

 

それは、本来であれば手放しで喜ぶべき、愛する人との間に生まれた輝かしい未来の結晶である。

 

しかし、その真実に直感で辿り着いてしまった瞬間、アムロの心の中に広がったのは、純粋な歓喜だけではなかった。

それは、アムロとセイラの間にある『圧倒的な視点の隔絶』であった。

 

今のセイラが見つめているのは、自分の中に芽生えた新しい命の温もりであり、「母」としてその子を育み、未来へと繋いでいくための、小さくとも確かな光の世界だ。

 

対して、アムロの瞳に映っている世界はどうか。

 

どれほど教官という平穏な立場を取り繕おうとも、彼自身は本質的に、血と硝煙に塗れた「戦士」である。彼の脳裏には常に、ジャミトフの狂気、エゥーゴの足音、アクシズの影……間もなく地球圏全土を焼き尽くすであろう、巨大な戦火のうねりがこびりついている。

 

(……僕の手は、あまりにも多くの命を奪いすぎた)

 

自分が奪ってきた数え切れないほどの命。その罪の重さを背負う自分に、新しい命を愛し、平穏な父親として生きる資格があるのか。

 

そして何より、これから間違いなく戦場となるこの地球圏に、その脆く小さな命を「産み落としてしまう」ことへの本能的な恐怖。

 

新しい命の誕生という一つの事実に対し、セイラは「未来への希望」を見出しているが、戦士であるアムロは「守るべき致命的な弱点」と「失うことへの恐怖」を同時に突きつけられていた。同じ事象を見つめていながら、二人が立っている精神のステージは、残酷なまでに隔絶していたのである。

 

「……お待たせ。さあ、冷めないうちに食べましょう」

 

セイラが、湯気を立てる料理をテーブルに並べ、アムロの向かいに腰を下ろした。

その表情は、先ほどまでの動揺を隠し、満ち足りた温かな光に包まれている。

 

アムロは、テーブル越しの彼女を見つめ、そして静かに、自分自身の内にある途方もない恐怖と葛藤を、深い息と共に腹の底へと呑み込んだ。

 

「ああ、とても美味しそうだ。……ありがとう、セイラ」

 

アムロは、いつものように――いや、いつも以上に優しく、穏やかな笑顔を崩さなかった。

 

彼の中には、まだ迷いがある。

 

自分が親になることへの恐れ、再び彼女たちを戦火に巻き込んでしまうかもしれないという罪悪感。ニュータイプであるが故に感じ取ってしまう、悲劇的な未来の予兆。

 

だが、そのすべてを知り、そのすべてを抱え込んだ上で、彼は決して立ち止まらないと決めていた。

 

(……それが真実であるのなら。僕が迷い、恐れることで、君のその笑顔を曇らせるわけにはいかない)

 

圧倒的な視点の隔絶があろうとも、自分に見えている世界がどれほど血に塗れていようとも。

 

彼が守るべきものは、今、目の前で微笑む彼女と、その胎内に宿るかもしれない小さな希望なのだ。

 

「どうしたの? 私の顔に何かついているかしら」

 

セイラが不思議そうに小首を傾げる。

 

「いや……ただ、君がここにいてくれて、本当に良かったと思ってね」

 

アムロは微笑みながらフォークを手に取った。

凍てつく冬の夜。戦火の足音が迫る世界の中で、アムロ・レイは自らの内に渦巻く葛藤をひた隠しにし、愛する者を守り抜くために、ただ真っ直ぐに前を見続けることを静かに誓っていた。

 

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