グリーン・ノア2の惨劇は、工作員による単なる要人の拉致やデータ強奪といった「テロ」という生温い次元には留まらなかった。
それは、ティターンズの心臓部に対する明確な『奇襲攻撃(強襲)』であった。
けたたましい警報音が鳴り響く中、ジェリド、エマ、カクリコンの三名は、混乱を極める通路を抜け、どうにか第一格納庫(ハンガー)へと辿り着いた。
だが、そこで彼らの目に飛び込んできたのは、無惨に破壊された防衛設備と、瓦礫や血だまりの中に倒れ伏す大勢の警備兵たちの姿であった。
「……遅かったか! くそっ!」
ジェリドが瓦礫を蹴り飛ばし、悪態をつく。
格納庫の奥、最も厳重にロックされていたはずの区画。そこに三機並んでいたはずの漆黒の『ガンダムMk-III』のうち、中央の一機がすでに奪い去られ、もぬけの殻となっていた。
しかし――事態は最悪の中にあって、奇妙な『隙』を残していた。
敵のパイロットの腕が未熟で一機しか動かせなかったのか。それとも、本来の計画では複数人のパイロットが潜入するはずが、先ほどの銃撃戦で予定が狂ったのか。
理由は定かではないが、破壊されずに済んだ残りの『Mk-III』二機が、未だ無傷の状態で駐機されていたのである。さらに、その傍らには汎用機であるハイザックの姿も健在であった。
「不幸中の幸いってか!」
ジェリドの叫びに、エマとカクリコンが即座に呼応する。
「私が1号機(Mk-III)を出します! カクリコン中尉は2号機を!」
「了解だ! ジェリド、お前は――」
「俺はハイザックで出る! 起動シークエンスに手間取っている暇はねえ、出るぞ!!」
ジェリドは最も早く起動できるハイザックのコックピットへ飛び込み、エマとカクリコンもそれぞれMk-IIIへと搭乗する。
テスト前夜の襲撃。機体は実戦用の武装(ビーム・ライフルとサーベル)をすでにマウントした状態であったことが、彼らにとって唯一の救いであった。
コロニー内の激闘と、猟犬の戦術
ハッチを蹴破り、三機がコロニーの市街地空間へと飛び出した瞬間。
彼らの視界を、強烈な閃光が真横に薙ぎ払った。
「ちぃっ!」
ジェリドがハイザックのシールドを構えるより早く、コロニーの人工空(フェイク・スカイ)を極太のビーム・ライフルの光条が切り裂き、上空を飛来していた守備隊の戦闘機をいとも容易く蒸発させた。
空を舞う、一機の漆黒のモビルスーツ。
奪われたガンダムMk-IIIである。
コロニー守備隊のジムIIが放つ実弾火器の弾幕は、すべて空を切っていた。
強奪されたMk-IIIは、この機体の『ピーキーすぎる操縦性』をすでに完全に掌握し、まるで重力を無視したかのような滑らかなスラスト偏向で、すべての弾線をミリ単位で躱しているのだ。
「……冗談じゃない。テストパイロットでも手こずるって言ってた機体だぞ!? なんだあの動きは!」
カクリコンが通信越しに驚愕の声を上げる。
だが、ジェリドの目は冷静に、そして猛禽類のように敵の軌道を見極めていた。
「アレだけの腕だ! コロニーの守備隊じゃあ犬死にするだけだ! これ以上被害を少なくするには、あの機体をコロニーの外(宇宙)に押し出すしかない!!」
ジェリドの檄が飛び、ティターンズの若きエリートたちは即座に散開した。
エマとカクリコンの駆る二機のMk-IIIが、凄まじい加速で強奪機体の左右へと回り込み、牽制のビーム・ライフルを放つ。ジェリドのハイザックが下方に潜り込み、逃げ道を塞ぐように実弾の弾幕を張る。
相手は、紛れもない超一流の『エース』である。
しかし、彼らとてただの温室育ちではない。C・L(特にアムロ・レイのような規格外のバケモノ)を仮想敵として想定し、圧倒的な戦力差を覆すための連携戦術を徹底的に叩き込まれてきた精鋭なのだ。
一対一で分が悪くとも、三対一のフォーメーションを崩さなければ、必ず隙は生まれる。
「カクリコン、右下方の射線を塞いで! ジェリド中尉、そのまま港のハッチへ追い込みます!」
「任せろ! 俺たちティターンズの機体を、そう簡単にパクれると思うなよ!」
三機の連携が、強奪されたMk-IIIの行動範囲を徐々に、しかし確実に狭めていった。
『……ほう。流石はティターンズのエリートと言うべきか。付け焼き刃の連携ではないな』
強奪されたガンダムMk-IIIのコックピット。
未知の全天周囲モニターと、最新鋭のムーバブル・フレームの挙動に瞬時に適応し、機体を文字通り手足のように操っている男。
アナベル・ガトーは、敵の連携の美しさに見事だと内心で称賛を送りながらも、ギリッと奥歯を噛み締めていた。
彼は、このような事態を――スペースノイドの魂の故郷とも言える『スペースコロニーの内部』で、ビーム兵器を乱射し、破壊活動を行うような非道を、決して起こしたくはなかった。
かつて、ジオンの理想を掲げ、大義のために星の屑作戦を完遂しようとした男である。
コロニーに住まう罪なき民間人を巻き込むようなテロ行為は、彼の武人としての誇りを泥で汚し、自らが掲げた御旗を根底から穢す行為に他ならない。
だが。
彼の脳裏に、シドニーの瓦礫の山で自分に無邪気な笑顔を向けてくれた、あの難民の子供たちの顔がフラッシュバックする。
『もし我々に従わなければ、あの孤児たちがどうなるか……』
カラバの工作員が突きつけてきた、下劣極まりない脅迫。
(……私がここでやらねば、あの子供たちは確実に消される)
自らの誇りを犠牲にしてでも、あの無垢な命を護らなければならない。
それが、死を許されず、生き恥を晒してでも贖罪を続けると誓ったガトーの、血を吐くような『覚悟』であった。
「……許せ!」
ガトーは、Mk-IIIの操縦桿を深く倒し込み、ジェリドのハイザックが放つ弾幕を紙一重で躱した。
本来であれば、ここでビーム・ライフルによるカウンターを叩き込み、ハイザックのコックピットを正確に撃ち抜くことができる。
だが、彼はトリガーから指を外した。
その射線の延長線上には、コロニーの『居住区画(シリンダー壁面)』があったからだ。
「……くっ!」
ガトーは、せめて市街地に被害が出ないようにと、自らの射角を極端に制限し、最大限の配慮を払いながら戦っていた。
どんなに追い詰められようとも、コロニーの隔壁や居住区に向けて火器を放つことだけは絶対に避ける。その『枷』が、彼の動きから本来の「ソロモンの悪夢」たる予測不能の凶暴性を奪い、ティターンズの三人に付け入る隙を与えてしまっていたのだ。
『どうした! 逃げ回ってばかりじゃねえか!』
ジェリドのハイザックが、ビーム・サーベルを抜いて肉薄してくる。
エマとカクリコンのMk-IIIが、正確な十字砲火でガトーの退路を絶つ。
(……若き狼たちよ。貴様らのその護国の気概は立派だ)
ガトーは、敵機の猛攻をシールドで弾き返し、バーニアを最大出力で吹かした。
(だが、私にも……地獄に堕ちてでも護らねばならん『命』があるのだッ!!)
ガトーの操る漆黒のMk-IIIは、居住区への被害を避けるため、自らジェリドたちの誘導に乗る形で、星の海へと続く巨大なコロニーハッチ(宇宙港)の方向へと、その機体を翻した。
誇りを捨てた英雄と、誇りを胸に抱く若きエリートたち。
相反する宿命を背負った機体たちが、炎上するグリーン・ノアの空を駆け抜けていく。
―――
グリーン・ノア2の外郭。
広大な宇宙の暗闇がどこまでも広がるその宙域には、一見すると何もないように見えた。
永遠に続くかのような漆黒と、そこに散りばめられた無数の星々の瞬き。
しかし、注意深くその空間を観察すれば、ほんの僅かな『違和感』が残されていることに気づくはずである。
本来ならば連星など存在しないはずの座標に、星の光が不自然に歪み、重なり合って連星のように見えている箇所があったのだ。
その宙域は、極めて濃密なミノフスキー粒子が散布されていた。
レーダー波を完全に無効化するその粒子の海にあって、視覚的な歪みを生み出しているその正体は、まさしく鉄壁の隠蔽――『光学迷彩』であった。
一艇の偽装スペースランチが、その不自然な星の歪みへと真っ直ぐに突き進んでいく。
ランチが一定の座標に到達した瞬間、宇宙の背景が水面のように波打ち、やがてその巨大な全容をヌラリと現した。
反地球連邦組織エゥーゴが、アナハイム・エレクトロニクスの莫大な予算と技術を注ぎ込んで創り上げた革新的な宇宙巡洋艦――『アーガマ』である。
先の大戦末期、一部の特務モビルスーツに試験搭載されていた光学迷彩技術。
エゥーゴはそれを艦艇サイズにまで拡大適用し、艦全体を覆うように展開させることで、ティターンズの監視網を完全に欺く『不可視の潜水艦』を生み出していた。
この特殊工作任務を遂行するアーガマこそが、エゥーゴの反攻作戦における最大の切り札の一つであった。
ランチがアーガマの格納庫へと静かに吸い込まれ、気密ハッチが閉じられると、光学迷彩は再び展開され、白き巡洋艦は完全に宇宙の闇へと溶け込んでいった。
アーガマの艦内、士官用の応接室。
そこには、ジオン共和国軍から退役した後にエゥーゴへと身を投じた、この艦の主の姿があった。
名を、ゼノア・ヴァンク艦長という。
無精髭を生やし、いかにも叩き上げの軍人といった風貌ながらも、その瞳にはジオンの武人らしい知性と、エゥーゴの理念に殉じる静かな熱情を宿した男であった。
シューゥゥ……。
自動扉が開き、黒服の工作員たちに前後を挟まれるようにして、一人の男が入室してくる。
つい数十分前まで、グリーン・ノア2の局長室でデータの作成を行っていた、ガンダムMk-IIIの開発責任者、フランクリン・ビダン技術大尉である。
「よくぞおいでくださいました、フランクリン・ビダン博士。我々エゥーゴは、あなたの乗艦を心より歓迎いたします」
ゼノア艦長は、軍人としての威圧感を消し、極めて丁寧な敬礼と柔和な笑みをもってフランクリンを迎え入れた。
工作員たちが一歩下がり、応接室のテーブルには温かいコーヒーさえ用意されている。まさに「手厚い歓迎」と呼ぶに相応しい待遇であった。
しかし、当のフランクリンの機嫌は、とてもではないが『良いもの』ではなかった。
「……歓迎、だと?」
フランクリンは、勧められたソファに座ろうともせず、苦々しい顔でゼノア艦長を睨みつけた。
その声には、技術者としての誇りを踏みにじられた激しい怒りと、家族の安否を人質に取られている屈辱がドロドロと入り混じっていた。
「武装したテロリストを私の執務室に押し入りさせ、銃口を突きつけて拉致しておいて……随分とふざけた口を叩くではないか、エゥーゴの艦長殿」
「ご無礼は平にご容赦いただきたい。我々としても、ティターンズの中枢からあなたのような連邦最高の頭脳をお迎えするには、少々『手荒な手段』に頼らざるを得なかったのです」
ゼノアは悪びれる様子もなく、静かに答えた。
「手荒な手段だと……! グリーン・ノアのコロニー内では、今頃武装したモビルスーツが暴れ回っているはずだ! 市街地に被害が出れば、どれだけの民間人が死ぬと思っている!」
フランクリンはテーブルに両手をつき、ゼノアへと身を乗り出して吠えた。
「私個人の命や技術など、どうでもいい。だが、あのコロニーには私の妻と……息子がいるのだぞ! 彼らの平穏を保証すると言ったな。もし彼らの身に指一本でも触れるようなことがあれば、私は決して貴様らに協力などせん!」
己の心血を注いだガンダムMk-IIIを奪われ、家族を戦火の危険に晒された男の、血を吐くような怒声。
ゼノア・ヴァンク艦長は、その怒りを真っ向から受け止めながらも、自らの信念を曲げることなく、静かにフランクリンの目を見つめ返した。
「ご家族の安全については、我々も最大限の配慮をしております。……ですが博士。あなたがその類稀なる頭脳を使って生み出した『あの機体』が、今後ティターンズの象徴としてどれだけの罪なきスペースノイドの命を奪うことになったか……それを想像したことはおありですか?」
その問いに、フランクリンはハッと息を呑んだ。
「我々は、地球を私物化し、宇宙の民を弾圧するティターンズを止めるために立ち上がった。そのためには、彼らの絶対的な優位性の象徴であるMk-IIIと、それを設計したあなたの『力』が、どうしても必要だったのです」
ゼノア艦長は深く頭を下げた。
「どうか、怒りは私に向けていただいて構わない。しかし、あなたのその技術を、狂ったエリートたちの独裁のためではなく……真の平和のために役立ててはいただけないだろうか」
フランクリンは、舌打ちをして顔を背けた。
正義を語る彼らの言葉が真実であったとしても、手段の非道さは変わらない。拉致された技術者が、そう簡単に心を許せるはずもなかった。
だが、彼がこの白き新造艦に足を踏み入れた瞬間から、彼の運命はすでに、地球圏を二分する巨大な戦乱の渦の中心へと完全に縛り付けられてしまった。