グリーン・ノア2の宙域での凄惨な戦闘から帰還したジェリド、エマ、カクリコンの三名を待っていたのは、労いの言葉でも、休息でもなかった。
息をつく間もなく、彼らはティターンズの司令部――基地司令兼ティターンズ駐留艦隊指揮官であるバスク・オム大佐の執務室へと直行を命じられたのである。
重苦しい空気の立ち込める執務室。
赤いゴーグルで両目を覆った巨漢の司令官は、デスク越しに三人の若き将校を睨みつけ、腹の底から絞り出すような怒声で檄を飛ばした。
「貴様ら、なぜ追撃を辞めた!!」
バスクの怒鳴り声が、部屋の空気をビリビリと震わせる。
「貴様らの腕であれば、あの単機を落とし、機体を奪還することなど造作もなかったはずだ!! なぜみすみすエゥーゴのテロリストどもを逃がした!!」
事実、彼らにはそれだけの技量があった。乱入してきたマラサイ部隊の攻撃があったとはいえ、機体の性能差と連携をもってすれば、ガトーのMk-IIIを仕留めるチャンスは十分に存在していたのだ。
だが、その叱責に対し、エマ・シーン中尉は一歩前に出て、毅然とした態度で反論した。
「お待ちください、大佐。敵の増援部隊は、あろうことか居住区を背にした外壁に向けてビーム・ライフルを発砲しました。
コロニーに破孔が開き、これ以上の追撃を続ければ、市民に甚大な被害が出ると判断し……我々は戦闘を回避し、救助と被害拡大の阻止を優先したのです」
軍人として、そして市民の盾となるべき連邦軍の将校として、極めて真っ当な判断である。
しかし、そのエマの言葉は、バスクの逆鱗にさらに油を注ぐ結果となった。
「コロニーの被害が何だ!!」
ドンッ!! と、バスクの太い拳がデスクを激しく叩きつけた。
「良いか、貴様ら……我々ティターンズの設立目的を忘れたか!! 地球圏の平穏を脅かすテロリストどもを血祭りに上げ、全宇宙を巻き込む戦争を未然に防ぐのが我々ティターンズだ!!」
バスクは立ち上がり、赤いゴーグルの奥に冷酷な現実主義の光を宿して三人をねめつけた。
「コロニーの一つや二つ……たかだか百万の命と、地球圏の数十億の命を天秤に賭けたことが、貴様らにはあるのか!!」
『大義は小義に勝る』
これこそが、バスク・オムという男の絶対的な信念であり、彼なりの冷徹な大局観であった。
どれほど綺麗事を並べ、どれほど美しいヒューマニズムを語ったところで、結果として数十億の人間が戦争の炎に焼かれれば、それは絵に描いた餅に過ぎない。
であるならば、少数の犠牲を切り捨ててでも、最も現実的で確実な手段で脅威を摘み取る。その手がどれほど汚い血と泥で汚れようとも、それこそがエリートたる自分たちの背負うべき『責任』であると、彼は狂信的なまでに信じていた。
その冷酷すぎる大義の前に、エマはギリッと血が滲むほど奥歯を噛み締めた。
反論の言葉が見つからないのではない。組織のトップが、あまりにも自分自身の理想とする軍人像とかけ離れていたことに対する、激しい絶望と憤りであった。
しかし。
バスクのその暴論に対し、隣に立っていた男が、怯むことなく声を上げた。
「ですが大佐! 我々はそれ以前に、地球連邦の市民を護るという『責務』があるはずです!」
ジェリド・メサであった。
普段は傲慢でプライドの高い彼だが、C・Lの猟犬たち――特にアムロ・レイのような「本当の強さ」を持つ者たちを仮想敵として鍛え上げられてきた彼は、軍人としての最低限の誇りを魂に刻み込まれていた。
「目の前で命を散らそうとしている市民を見捨て、コロニーを盾にするような卑劣なテロリストと同じ土俵に立って、大義が語れるのでしょうか!!」
ジェリドのその真っ直ぐな言葉に、カクリコンもまた「ジェリドの言う通りです!」と力強く同調する。
三人の若き将校たちの、一切引こうとしない反抗的な瞳。
バスクの顔の筋肉が怒りでピクピクと引き攣り、今にもその巨腕を振り上げて彼らを殴り飛ばさんばかりに力強く握りしめられた。ティターンズにおいて、上官への反抗は即座に『鉄拳制裁』の対象である。
だが――バスクは、限界まで握り込んだその拳を、ギリギリのところで自制し、ゆっくりと下ろした。
彼ら三人は、ティターンズの次代を担う貴重な戦力だ。これから確実に始まるであろう総力戦を前に、ここで彼らの忠誠心まで叩き折るわけにはいかないという、バスクなりの計算が働いたのだ。
「……貴様らの言い分も、分からなくはない」
バスクは低く、地を這うような声で唸った。
「だが良いか!! これより近い未来……間違いなく、地球圏を二分する大戦乱が始まるだろうことを心しておけ!! 綺麗事だけで生き残れるほど、戦場は甘くはないぞ!! ……以上だ、下がれ!」
そう吐き捨てるように言い放ち、バスクは三人を執務室から乱暴に叩き出した。
自動扉が閉まり、執務室に再び重苦しい静寂が戻る。
一人残されたバスクは、深く息を吐き出すと、すぐさま自室のコンソールに向かった。
二、三の事柄を急ぎ確認すると、彼は猛烈な勢いでキーボードを叩き、暗号化された通信記録と機体のテレメトリーデータをモニターに呼び出した。
そこにあったのは、エマたちが持ち帰ったMk-IIIの戦闘データ。
そして、彼らがコロニー外郭で遭遇した、マラサイ部隊の戦闘中に傍受された『未暗号化の音声データ』であった。
ノイズ混じりのスピーカーから、カラバ(エゥーゴ)のパイロットの焦ったような声が再生される。
『――ガトー少佐! 何をモタモタしているのです、早く離脱を!』
その音声を聞いた瞬間。
バスク・オムの巨体が、電気を浴びたようにビクリと硬直した。
「ガトー、だと……?」
バスクの脳裏に、数年前の凄惨な記憶が蘇る。
コンペイトウ(旧ソロモン)の観艦式において、核バズーカの一撃で連邦艦隊の三分の一を宇宙の塵へと変え、自分たち連邦軍人に消えることのない恐怖と屈辱を刻み込んだ、ジオンの亡霊。
絶対に生かしておいてはならない、あの『ソロモンの悪夢』。
それが今、エゥーゴのテロリストどもと結託し、自分たちの最新鋭の牙(Mk-III)を奪い去っていったというのか。
「おのれ……ジオンの亡霊め……ッ!!」
ドガンッ!!!
バスクは、先ほど抑え込んだ怒りの何倍もの激しい憎悪を込めて、思い切り机に両の拳を叩きつけた。
分厚い天板が悲鳴を上げ、モニターの光が怪しく揺らぐ。
ティターンズの設立理由そのものとも言える最大の敵の復活は、ジャミトフの右腕であるバスクに、手段を選ばぬさらなる『狂気』を呼び覚まそうとしていたのである。
―――
地球連邦軍総司令部、ジャブロー。
南米の熱帯雨林の地下深く、堅牢な岩盤に守られた巨大な軍事要塞の中枢において、ティターンズの総帥たるジャミトフ・ハイマンは、グリーン・ノア2から届けられた『Mk-III強奪』の緊急報告に目を通していた。
薄暗い執務室。デスクランプの光だけが、ジャミトフの深く刻まれた皺と、冷徹な瞳を怪しく照らし出している。
「……アナベル・ガトー。あの『ソロモンの悪夢』が、首謀者か」
ジャミトフは、報告書に記されたその名を見た瞬間、怒りよりも先に、微かに喉の奥で笑い声を漏らした。
ティターンズの象徴たる最新鋭機が奪われ、基地が襲撃されたという前代未聞の不祥事。本来ならば激怒すべき事態であるにも関わらず、彼の瞳の奥には、メラメラと燃え上がるような巨大な野心と、『極めて面白い道具を見つけた』という歓喜の光が宿っていた。
「フフ……。これは、大いなる『責任問題』だろうなぁ」
ジャミトフにとって、ガトーというジオンの亡霊がこのタイミングでエゥーゴ(カラバ)のテロリズムに加担したという事実は、彼が連邦軍の全権を掌握するための、これ以上ない完璧な大義名分であった。
彼は直ぐ様に通信回線を開き、連邦軍内部における最大派閥のトップであり、自分たちティターンズを苦々しく思っている正規軍の重鎮――ワイアット大将の元へと、この情報を意図的に『リーク』したのである。
『――監視対象であったはずのアナベル・ガトーという男が、我々ティターンズの基地を襲撃しました。ワイアット将軍……あなたの管轄下にあったはずの彼が起こしたこのテロ行為、一体どのように落とし前を着けるおつもりか?』
ジャミトフの突きつけたその通信は、ワイアットたち正規軍派閥の喉元に突きつけられた、鋭利な刃そのものであった。
ジャミトフからのリークを受けたワイアットは、直ぐ様に情報局へと連絡を取り、正規軍が監視対象としていた元ジオン軍人たちの状況報告を急がせた。
しかし、その結果もたらされたのは、背筋が凍るような絶望的な事実であった。
地球圏の各地に点在し、連邦の厳重な監視下に置かれていたはずの元ジオン軍人たち。彼らのうち、何十、何百という者たちが、ここ数日の間に『所在不明』となっていることが次々と発覚したのだ。
それはまるで、巧妙にデータが偽装され、連邦軍諜報部の監視の目を完全に欺いていたかのような鮮やかな手口であった。
「馬鹿な……諜報部は何をしていたのだ! これほどの人数が動いて、なぜ誰も気づかなかった!」
ワイアットが声を荒げたが、すぐに彼は、事の『真の恐ろしさ』に気がついた。
いや……違う。諜報部が敵の工作に欺かれたのではない。
諜報部の一部そのものが、地球連邦軍から『離反』したのだ。
地球至上主義を掲げるティターンズの台頭により、連邦軍内部でもスペースノイド出身の将兵たちは冷遇され、不満を募らせていた。情報局や諜報部に属していた彼らの多くが、コロニー在住者の思想に共鳴し、あるいはエゥーゴの理念に利用され、組織ごと反旗を翻していたという紛れもない事実。
「……してやられた」
ワイアットは、執務室の椅子に深く沈み込み、重い頭を抱えた。
彼にとって、エゥーゴという反体制組織の存在自体は、とうの昔に把握していたものであった。しかし彼は、それを意図的に『黙認』していたのだ。
ジャミトフのティターンズが権力を拡大しすぎることを牽制するため、そして宇宙の民の鬱憤を逸らすための「ガス抜き」として、エゥーゴは利用価値があると考えていたからである。
だが、よもや彼らが、正規軍の諜報網を内側から食い破り、ティターンズの最重要拠点を『直接的な武力行使』で襲撃するほどの実力と狂気を備えていたとは。
完全にワイアットの計算違いであった。しかも、監視対象であったジオンの残党たちを大量に見失ったという失態は、正規軍のトップとして、どう足掻いても取り繕うことのできない致命的な『隙』となってしまった。
『――お分かりいただけたでしょう、将軍。連邦軍の内部は、すでにエゥーゴのテロリストどもによって深く蝕まれている』
通信回線越しに、ジャミトフの冷酷な声が追い打ちをかける。
『諜報部すらこの有様です。このまま行けば……あのコジマ准将が率いる、忌まわしき第13外郭独立艦隊【C・L】の内部にも、エゥーゴやジオンに内通する離反者がいるかもしれませんねぇ?』
「……ジャミトフ。貴様、何を言いたい」
ワイアットが低く唸る。
ジャミトフの思惑は、極めて単純でありながら、恐ろしいほどに冷酷なものであった。
彼は、このMk-III強奪事件とガトーの存在を口実にして、自分の地球至上主義計画の最大の『邪魔者』であるC・Lを、内通の疑いをかけて物理的に捻り潰すつもりなのだ。
連邦軍における良心の象徴であり、アムロ・レイという生きた伝説を抱えるC・Lを排除する。
そして、その後に残された『あの女』――アルテイシア・ソム・ダイクン(セイラ・マス)を、身柄を保護するという名目で拘束し、ティターンズの傀儡(御旗)として担ぎ出せば、ジオン残党もスペースノイドも完全に屈服させることができる。
それが、ジャミトフ・ハイマンの描く、血塗られた新秩序の完成図であった。
ジャミトフのあからさまな恫喝と野心に対し、ワイアットは通信回線の前でただ黙した。
彼が言葉を発すれば、それはティターンズの論理に絡め取られることを意味していたからだ。
しかし。ワイアットは決して、己の失態に絶望し、C・Lを見捨てたわけではなかった。
老練なる正規軍のトップとして、彼はこの絶望的な盤面から、ティターンズの独裁を防ぐための『最後の一手』を打つ決断を下していた。
(……ジャミトフ。お前の思い通りにはさせんぞ)
ワイアットが選択したのは、地球連邦軍全体に「政治的判断を委ねる」という、極めて高度な権力分散の策であった。
これより始まる動乱において、連邦軍の各艦隊、各基地司令官に対して、ティターンズの指揮下に入るか、それともC・Lのような独立派を支持するかの選択を暗黙のうちに迫る。
極端な思想を持つティターンズ
C・Lのような穏健的な融和を掲げる者達、
そして過激なテロリズムに走ったエゥーゴ。
コレに対して大多数のまともな連邦軍将兵は、どれにも与しない『中立(正規軍としての静観)』を選ぶだろう。
そして、その膨大な中立派――つまり地球連邦軍の主流派のタクトを、ワイアット自身が握り続ける。
そうすれば、ジャミトフがC・Lを強引に捻り潰そうとしても、ワイアット率いる正規軍の巨大な「数」がそれを許さない抑止力となるのだ。
ティターンズの武力。エゥーゴの狂気。C・Lの孤高。
そして、連邦正規軍という巨大な沈黙の塊。
ジャブローの地下で交わされた二人の将軍の腹の探り合いは、地球圏の勢力図をさらに複雑に引き裂き、誰もが予測し得ない未曾有の総力戦へと、世界を突き落としていくのであった。