月面都市フォン・ブラウン。
巨大複合企業アナハイム・エレクトロニクス社の膝元であり、反地球連邦組織『エゥーゴ』が実質的な本拠地として機能させているこの月面都市の地下深くに設けられた極秘会議室において。
エゥーゴの指導者であるブレックス・フォーラ准将は、その温厚で理知的な顔を朱に染め、激怒していた。
「……話が違うではないか!!」
ブレックスの怒号が、重厚な会議室の壁をビリビリと震わせた。
円卓を囲むエゥーゴの幹部たちや、アナハイム社から出向してきている背広組の重役たちは、准将のあまりの剣幕に押し黙り、気まずそうに視線を逸らしている。
グリーン・ノア2における特殊作戦。
ブレックスが承認していた当初の作戦目的は、あくまでティターンズの次世代機『ガンダムMk-III』の開発拠点に対する徹底した諜報活動と、その『開発データの
武力衝突を極力避け、ティターンズの技術的優位性を剥奪し、こちら(アナハイム)の次世代モビルスーツ開発へのフィードバックを得る。それが、組織のトップとして彼が下した決断だったのだ。
だが、蓋を開けてみたらどうだ。
「データ回収の隠密作戦が、なぜ『機体の強奪』へと変貌している! 挙句の果てにコロニー内部で実弾やビームを撒き散らし、あろうことか居住区の『外壁』に向けて発砲しただと!?
これではジャミトフが吹聴する『スペースノイドは野蛮なテロリストだ』というプロパガンダを、我々自らが証明してやったようなものではないか!!」
ブレックスは机を強く叩き、作戦の実行と変更を裏で指示した者たちを激しく糾弾した。
現場の工作員たちが不測の事態に陥り、焦りから暴発したという次元の話ではない。
潜入した工作員の装備、強奪を前提とした逃走経路の確保、そして何より、マラサイという最新鋭機を四機も増援として待機させていたこと。これらは明らかに、ブレックスの承認した作戦内容と、実際の『部隊陣容』が致命的に乖離していたことを示している。
最初から、彼らは強奪と破壊を行うつもりで作戦を立案していたのだ。
「……我々が護るべきは、コロニーに住まう罪なき市民のはずだ。その市民の命を盾にするような真似をして、何が大義か!」
ブレックスは、椅子に深く腰を下ろすと、深い絶望と自己嫌悪に満ちた息を吐き出した。
彼は誰よりも、この事態を招いた自分自身の『無力さ』に思い悩んでいた。
エゥーゴという組織の限界と矛盾が、ここに来て最悪の形で露呈しつつあった。
エゥーゴは、崇高な理念を掲げてはいるものの、所詮は『反地球連邦政府意識を持った一般民衆の集まり』に過ぎない。
ティターンズの横暴に苦しむコロニー市民からの支持がどれほどあろうとも、彼らの大半には地球連邦議会における『参政権』が与えられていないのだ。声を持たぬ民衆がどれだけ路上で声を枯らして叫ぼうとも、地球連邦という巨大な国家体制が、それによって大勢を転換させることなど不可能に近い。
暴力に対抗するには、武力が必要だった。
しかし、ブレックス一人と、彼に賛同する幾人かの連邦議会の文官たちだけでは、到底ティターンズという巨大な軍事組織に対抗するための『軍隊』を手に入れることなどできなかったのだ。
だからこそ、彼は悪魔と手を結んだ。
月面の巨大複合企業、『アナハイム・エレクトロニクス社』への依存である。
艦船の建造、モビルスーツの開発、そして何より、それらを運用するための『兵の数』。
ブレックスたちは、自前の軍隊を持たない弱みから、地球圏や宇宙に散らばっていた元ジオン軍の残党や、金で動く傭兵たちのリクルートを、すべてアナハイム社に**『一任』**してしまったのである。
「……結局のところ、私には彼らを統率する力がないということか」
ブレックスは、苦渋に満ちた表情で目を閉じた。
アナハイム社が掻き集めてきた元ジオンの将兵たち。彼らの多くは、純粋にスペースノイドの自治権を求める者たちではない。一年戦争の恨みを晴らしたい復讐鬼、ザビ家の再興を願う狂信者、そして戦場でしか生きられない戦闘狂たちだ。
それに加えて、軍需産業として戦争の火種を大きくし、兵器の売り上げを伸ばしたいアナハイムの死の商人としての思惑。
エゥーゴは今や、ブレックスの掲げる『正義』とは程遠い、憎悪と資本の論理で動く恐るべき怪物(キメラ)へと変貌していた。
作戦の立案も、現場の舵取りも。すべてはスポンサーであるアナハイムと、実力行使部隊の中核を担うジオン残党の過激派たちに握られ、ブレックスの思い通りには全く動かなくなってしまっていたのである。
「ブレックス准将。お怒りはごもっともですが……結果として、ティターンズの象徴たるMk-IIIは我々の手に落ちました。これで我々の戦力は飛躍的に向上します。……戦争とは、多少の血を流してでも勝たねばならないものですよ」
アナハイムの重役が、悪びれる様子もなく冷ややかに言い放つ。
その言葉に、ブレックスは何も言い返すことができなかった。
大義を掲げながら、手を血に染め、狂信者たちを制御できない自分。
シドニーでガトーが孤児を人質に取られたことも、コロニーの壁が撃ち抜かれたことも、すべてはエゥーゴという組織を立ち上げた自分自身の責任なのだと。
月面の冷たい静寂の中で、ブレックス・フォーラは組織のトップとしての途方もない孤独と、自らが引き起こしてしまった『戦争という名の巨大な歯車』の重圧に、ただ一人で押し潰されそうになっていた。
―――
ブレックス・フォーラが月面で自らの組織の暴走に苦悩し、ジャミトフがジャブローで野心の炎を燃やしていた頃。
このグリーン・ノア襲撃作戦の絵図を描き、裏で糸を引いていた「真の黒幕」とでも呼ぶべき男は、遠く離れたサイド3――ジオン共和国の中枢に座していた。
ジオン共和国首相、ダルシア・バハロである。
今回のガンダムMk-III強奪作戦において、エゥーゴの実行部隊として用いられた人員の大部分は、旧ジオン公国系の軍人たちであった。彼らの兵器や艦船といった『装備』を提供したのはアナハイム・エレクトロニクス社だが、その作戦を実行するための『人員』を裏で手配し、エゥーゴへと送り込んだのは、他でもないジオン共和国側だったのである。
そもそも、広大な宇宙空間や各サイドの暗がりに潜伏している旧公国系軍人の正確な所在と動向を把握できているのは、地球連邦軍ではなく、ジオン共和国の諜報網のみであった。
現在の地球連邦には、組織の腐敗と派閥闘争へのリソース割きにより、宇宙に散った亡霊たちの行方を一人残らず追うような気力も、体力も残されていない。
だが、ジオンにはそれを行うだけの圧倒的な『余裕』があった。
何故なら、サイド3という宙域は、一年戦争において『最も物理的な被害が少なかったサイドの一つ』だからである。
戦火に焼かれた地球や、壊滅した他のコロニー群とは異なり、無傷の生産基盤とインフラを残したまま終戦を迎えたジオン共和国は、密かにかつての軍人たちのネットワークを維持・管理し続けるだけの国力を有していたのだ。
ダルシア・バハロの思考の根底にあるものは、極めて切実な、ただ一点の『国家の存亡』に向けられていた。
現在、ジオン共和国は地球連邦政府との終戦協定と合意によって、独立した自治権を持つ国家として存続を許されている。
しかし、その協定には絶対的なタイムリミットが存在していた。
『宇宙世紀0099年をもって、ジオン共和国は自治権を完全に喪失し、地球連邦軍に吸収・併合される』という確定事項である。
残された時間は、十数年。
国家の歴史において、それはあまりにも短く、そして同時に非情な宣告であった。
ダルシアは、ただの降伏の使者ではない。かつて、偉大なるジオン・ズム・ダイクンと共にスペースノイドの独立と革新を夢見て、最初の革命に参加した生え抜きの同志である。
ザビ家という独裁者の簒奪によって歪められたとはいえ、ダイクンと共に立ち上げた国家が、何の抵抗もできずに連邦の巨大なシステムに呑み込まれ、消滅していく。
そのような屈辱的な未来を、黙って指をくわえて見ているような男では、決してなかったのである。
「連邦のシステムが完全なものであれば、抗う術はなかったかもしれん。……だが、今の奴らは自らの内側から腐り落ちようとしている」
ダルシアは、執務室の窓から広大なサイド3の景色を見下ろし、静かに目を細めた。
彼の元には、地球連邦軍の内部がティターンズ、エゥーゴ、C・L、そしてワイアットら正規軍といった複数の派閥に致命的に『分裂』しているという情報が、詳細に上がってきていた。
一枚岩ではない連邦。
故に、そこにつけ込む隙は無限にあるというのが、ダルシアの冷徹な腹づもりであった。
ダルシアがエゥーゴに旧公国系の軍人を提供したのは、純粋な反ティターンズの理念からだけではない。そこには、国家運営における極めて現実的で、冷酷な政治的計算が存在していた。
現在のジオン共和国にとって、ザビ家再興を掲げる過激派や、血気盛んな旧公国系の軍人たちは、国家の平穏を脅かしかねない『扱いに困る国内の時限爆弾』であったのだ。
彼らがサイド3の内部で不満を爆発させ、テロやクーデターを起こせば、連邦軍に武力介入の口実を与えることになってしまう。
ならば、彼らのその有り余る闘争心と憎悪を、エゥーゴという『連邦内部の反体制組織』に
「連邦の牙を、連邦の毒で折らせる。……我々は、それに少しばかりの劇薬(ジオンの残党)を振りかけてやるだけでいいのだ」
ダルシアにとって、この作戦はまさに究極のローリスク・ハイリターンであった。
もし作戦が成功し、ティターンズが大打撃を受ければ、連邦の弱体化は決定的なものとなり、宇宙世紀0099年の自治権返還協定を反故にする、あるいは再交渉するための政治的カードを得ることができる。
逆に、作戦が失敗し、送り込んだ旧公国系軍人たちが全滅したとしても、ジオン共和国にとっては『
どちらに転んでも、ジオン共和国の本体に累は及ばず、国家の延命に繋がる。
アナハイムの資金力と、エゥーゴの理念という隠れ蓑を利用して、連邦の喉元に刃を突き立てる。
ブレックスが自らの大義と現実の乖離に苦しんでいる裏側で。
革命の生き残りである老練なる政治家、ダルシア・バハロは、自国の存続というただ一つの大義のために、英雄もテロリストもすべてを盤上の駒として操る、冷徹なゲームを静かに開始していたのである。