宇宙世紀0087年、5月上旬。
ティターンズ総帥ジャミトフ・ハイマンは、地球連邦軍内部における最大の「目の上の瘤」である第13外郭独立艦隊『クレール・ルクス(C・L)』に対し、ついに決定的な牙を剥いた。
ジャミトフからC・L司令官コジマ准将へ宛てられた通信。それは形式上こそ「軍内部の査問」を装っていたものの、実態は紛れもない『最後通牒』であった。
『――C・Lは、あろうことかジオン・ダイクンの遺児であるアルテイシア・ダイクンを極秘裏に匿っている。そして彼女をジオンの御旗として掲げ、各地の旧ジオン軍残党を密かに糾合し、討伐任務の裏で【ティターンズと地球連邦に仇なすための私兵】を集めている反逆者である』
それは、半分は正しく、半分は完全な歪曲であった。
確かにセイラ・マス(アルテイシア)は、C・Lの庇護下で旧ジオン軍の一部穏健派と接触し、『スウィートウォーター』などのコロニー建設や復興支援の仕事を斡旋し、彼らが過激なテロに走らないよう導いていた。
しかし、決して「私兵を集めていた」わけではない。
だが、ジャミトフにとって、それが事実であるか嘘であるかなど、些末な問題でしかなかった。
ティターンズという組織が、C・Lという正規軍の一部を「反逆者」として物理的に攻撃するための『大義名分(離間の計)』さえ成立すれば、それで良かったのである。
ジャミトフの狙いは、C・Lの北米における中枢――『シャイアン基地』と、それに隣接するモビルスーツ開発・強化人間保護施設である『オーガスタ基地』**に対する、電撃的な強襲作戦であった。
彼はこの攻撃のタイミングを、極めて狡猾に、そして完璧に計算していた。
先のグリーン・ノア2におけるガンダムMk-III強奪事件。ジャミトフはその事後処理として、連邦上層部を通し、C・Lの宇宙艦隊に対して「周辺宙域のテロリスト探索」という名目で、彼らの主力を宇宙へと釘付けにしていたのだ。
地球の重力下、手薄になった北米の防衛網。
そして不運なことに、その日、セイラ・マスはオーガスタからシャイアン基地のアムロの元へと身を寄せていた。
宇宙世紀0087年の動乱は、ジャブローから放たれた無数の黒い猛禽類たちが、北米大陸の空を黒く染め上げることから、その真の幕を開けたのである。
暗い、暗い暗がりがある。
何も見えない。いや、よく目を凝らせば、点々と何やら光っているのが分かる。
まるで星空のように、小さな小さな光の粒が、無限の闇の中で瞬いている。だがそれが自然の星々でないことは、その光がパチパチと、機械的で一定の間隔を保って点滅を繰り返していることから明らかであった。
その暗闇の中央。
球形に縁取られた小さな空間の中に、空中に浮くようにして設置された座席(リニアシート)。そこから伸びる無機質なコンソールの計器類が、暗い空間を微かな蛍光色で照らし出している。
パイロットスーツに身を包んだ一人の青年が、目を瞑りながらその座席に深く身を沈めていた。
それは出撃前の瞑想か。はたまた、迫り来る死線を前にした微睡みか。
白を基調としたパイロットスーツ。その襟首のあたりには、彼が地球連邦軍の『少佐』であることを示す、一つの星を象った階級章が、暗がりの中で燦然と輝いていた。
青年は姿勢を安定させながら、両の手を股のあたりで軽く組んでいる。
その右ききの人差し指が、もう片方の指と触れ合い、微かに――
トントン……。
と、互いを押し合うようにリズムを刻んでいる。
コックピット内の無音の空間に、その小さな、しかし確かな音が反響する。
それは彼が、極限の集中力を高め、自らの脳神経(シナプス)をモビルスーツの駆動系と完全に同期させるための、彼にしか分からない儀式であった。
ふと。
何かを察知したのか、その指の動きがピタリと止まる。
それと同時に、青年は静かに目を開いた。
彼の瞳には、迷いも恐れもない。ただ、凍てつくように澄み切った戦士の光が宿っていた。
素早くコンソールのメインスイッチを弾く。
瞬時にして、その暗黒の空間に鮮やかな『彩り』が爆発するように加えられた。
全天周囲モニターが目覚め、機体の外部カメラが捉えたシャイアン基地の地下格納庫の光景が、360度の視界となって彼を包み込む。空中に浮かんでいるかのように錯覚させるその座席は、彼を戦場へと誘う巨大なブランコであった。
彼が機体を目覚めさせてから、わずかに遅れるようにして。
基地全体を揺るがすような、けたたましい大音響が鳴り響いた。
『ウゥゥゥーーッ! ウゥゥゥーーッ!!』
第一種戦闘配置を告げる、絶望的なサイレンの音。
その音に導かれるように、青年の座ったリニアシートごと、機体はカタパルトのレールに乗って、ゆっくりと、しかし人の全力疾走よりも遥かに速い速度で、前へ前へと押し出されていく。
眼下のデッキでは、邪魔にならないように退避しながらも、幾人もの作業服姿の整備兵たちが駆けずり回り、慌ただしく、しかし極めて規則正しく自らの任務(出撃準備)を成そうと汗を流していた。
ピーッ、ピーッ。
空間に電子音が響き渡ると、青年はコンソールを滑らかに操作し、空中に通信ウィンドウを浮かび上がらせた。
ノイズの向こう側から、焦燥に顔を強張らせた管制官の男が顔を覗かせる。
『――レイ少佐!』
「わかっている。敵の規模は?」
迫り来る危機の中にあって、アムロ・レイの口から紡がれた声は、拍子抜けするほどに優しく、そして絶対的な冷静さを保っていた。
彼のその揺るぎない声色を聞いた管制官の顔に、張り詰めていた緊張がほんの少しだけ解け、確かな安堵の表情が浮かぶ。
『はい! 敵機数、およそ18機ないし20機。内、モビルスーツの数量は大凡15と推定されます。威力偵察として、すでに基地防空隊のコア・イージー小隊が迎撃に出ていますが……多勢に無勢でしょう。このままでは防衛線を突破されます』
「わかった。ドダイの状況は良いな?」
『はい! 地下第4サイロにて射出準備完了しています。……即応部隊の展開が遅れています、どうか、お気を付けて!』
その言葉を受け取ると、アムロは小さく頷き、ヘルメットの額のあたりに片手を当てて、美しい敬礼を返した。
モニターに映し出された戦術マップに、赤く明滅する敵の編隊が記されている。方角、高度、相対速度。アムロはそれらを一瞬で脳内に叩き込むと、首を縦に僅かに振った。
その確認作業を終えようとした、まさにその時。
管制画面が切り替わり、一人の女性がウィンドウの中に現れた。
金髪碧眼。切れ長の目を優しげに細めながらも、決して折れることのない気高さを持つ、凛々しい女性。
セイラ・マスであった。
彼女は痩せ型の美しい顔立ちをしていたが、カメラの画角に映る彼女の腹部は、春の陽気と共に、確かに『新しい命』の存在を主張するように、僅かに膨らみ始めていた。
『……アムロ。気をつけていってらっしゃい。あなたには、まだ……』
セイラの声が微かに震える。
戦地に赴く愛する男を引き止めることはできない。だが、彼女のお腹に宿る命の重みが、彼女にどうしても弱音を吐かせてしまう。
アムロは、彼女が誰であるのか、何のためにここにいるのかを再確認するような野暮な真似はしなかった。ただ、画面の中の愛すべき人――自分が何に代えても護り抜くと誓った女性に向けて、この上なく優しく、力強い微笑みを向けた。
「ああ。必ず帰ってくるよ」
アムロは、操縦桿を握る手にグッと力を込めた。
「君たちを、二人きりにはしたくないからね」
その言葉を残し、通信ウィンドウがフッと消える。
アムロの瞳から、優しき父親の光が消え、代わって、一切の感情を排除した『修羅』の光が鋭く点灯した。
シャイアン基地、地上部。
かつて全面核戦争を想定して山岳地帯の岩盤をくり抜いて作られたこの旧世代の要塞施設は、今まさに、その持ち得る潜在力を敵の眼前に示そうとしていた。
轟音と共に、分厚い鉄塊のような巨大な偽装扉が左右に開き、そこから一機のモビルスーツが姿を現した。
地球連邦軍の将兵であれば、そのシルエットを見て誰もが息を呑むであろう。
一年戦争を皮切りに、地球連邦軍のモビルスーツ開発の歴史を牽引し、常に『勝利の旗印』として戦場に君臨し続けてきた伝説の姿。いわゆる、『ガンダム』と呼ばれるそれであった。
だが、厳密に言えば、アムロが駆るこの機体は『ガンダム』そのものではない。
機体のベースとなっているのは、RX-78の量産計画の延長線上に位置し、極めて高いポテンシャルを秘めていた『ジーライン(RX-81)』系統の改修機であった。
しかしこの時、この場所にいる敵味方のすべての人間にとって、それは紛れもなく『ガンダム』であった。その証拠に、この機体の頭部には、ジム系のゴーグルアイには似つかわしくない、黄金に輝く『V字アンテナ』が誇り高く屹立していたのである。
幾度にもわたるフレームの改修、そしてエゥーゴとの裏取引や連邦軍内の穏健派から横流しされた『ガンダムMk-II』の実戦データ。それらをフィードバックされ、極限までアップデートを施されたこのジーラインは、象徴としての『ガンダムの頭部』を与えられ、C・Lの切り札としてこのシャイアンの大地に立っていた。
ズウゥン……ッ!
鉄筋コンクリートの内部から出現したその機体は、一息に跳躍すると、あらかじめ空中待機していたサブフライトシステム『ドダイ』の背面上に見事に着地した。
ドダイの巨大なスラスターが火を噴き、白き機体を乗せたまま、大空へと駆け上がっていく。
眼下に広がる雲海を抜け、高高度へと達したアムロの視界に、バラバラと群れをなして接近してくる黒点――ティターンズのモビルスーツ部隊が映し出された。
「……アムロ・レイ。討たれるなよ」
コックピットの中で、アムロは独り言を呟くように、自らを強く叱咤した。
相対する敵の練度は、決して低いものではなかった。
一年戦争後、RX-78-2ガンダム――すなわち『アムロ・レイの戦闘データ』は、地球連邦製のすべてのモビルスーツのOSにフィードバックされ、標準化されている。
モビルスーツの挙動、照準の補正、パイロットに対する危機回避の補助。ありとあらゆる面で、現在のティターンズの一般兵が操る機体は、一年戦争時のジオン軍のそれとは比べ物にならないほどに優秀な『戦う機械』へと進化しているのだ。
従って、今のアムロが連邦の機体と戦うということは、『過去の自分自身の、優秀な劣化コピーと戦っている』ようなものである。
そのような化け物じみたOSが標準配備されている軍隊を相手に、たった一機で大群に飛び込む。そうともなれば、さしものアムロ・レイであっても、一瞬の油断が死に直結する。
だが。
今のアムロ・レイには、戦うための強固な『理由』があった。
虚無の中でただ生き残るために戦っていた少年時代とは違う。彼の背後には、帰るべき場所があり、護るべき愛する人がいて、まだ見ぬ我が子の命の鼓動があるのだ。
護るべきものを持った男に、敗れる要素など紙一重も存在しなかった。
「マッケンジー隊が来るまでの辛抱か……。やってみせるさ!」
敵との相対速度は、すでに音速を超えている。
ゴマ粒のように見えていた敵機のシルエット(ハイザックやジム・クゥエル)が、数秒後には巨大な鋼鉄の塊となって眼前に迫る。
『連邦の白いヤツだッ! 囲め、一斉に撃てぇッ!』
ティターンズのパイロットたちが放つ、幾筋ものビーム・ライフルの閃光。
だが、アムロの駆るジーライン(ガンダム)は、ドダイの上でまるで重力や慣性を無視したかのような曲芸的なステップを踏み、そのすべての攻撃を紙一重で逸らしてみせた。
「そこだッ!」
アムロがトリガーを引く。
放たれたビームは、敵が回避行動を取る『その先の空間』を正確に射抜き、一機のハイザックを瞬時にして火球へと変えた。
敵のOSがどのように計算し、どのように機体を動かすか。自分の過去の戦闘データをベースにしているが故に、アムロには彼らの動きが手に取るように、あたかも未来予知のように分かってしまうのだ。
一つ、また一つ。
シャイアンの空に、ティターンズの機体が爆散する閃光が花火のように咲き乱れる。
アムロの動きは、流麗にして残酷なまでに正確であった。
ただ、それは第三者から見れば一方的な蹂躙に見えるだろうが、アムロのコックピット内の空気は極限まで張り詰めていた。
ジェネレーターの出力、ビーム・ライフルの残弾、ドダイの推進剤。すべてのリソースには限界がある。彼はその限られたリソースを、ミリ単位で絞り、計算しながら、この場を『一時凌ぎ』しているに過ぎない。
それに――。
「これで敵の第一波なら……第二波が来る前にケリをつけなければ。ティターンズめ……!」
敵の総量がどれほどなのか、アムロにも正確には読めなかった。
何故ならば、この地球連邦という巨大な組織そのものが分裂し、この北米大陸の3分の1以上は、すでにティターンズに恭順した『敵も同然』の勢力圏と化しているからだ。
物量で圧倒的に勝るティターンズに対し、北米で孤立無援となったC・Lが対抗し得る手段はあまりにも少ない。このシャイアンとオーガスタは、今まさに内戦の最前線、巨大な嵐の目となっていた。
弾幕をくぐり抜け、二機目の敵をビーム・サーベルで両断したその時。
『――レイ少佐! 待たせたわね!!』
通信回線に、ノイズを切り裂くような快活で力強い女性の声が飛び込んできた。
アムロがセンサーを基地の方角へ向けると、シャイアンのハッチから飛び立つ幾つかの新たな機影が確認できた。
それは、彼の率いるC・Lの即応部隊。
そして何より、オーガスタ基地から急行してきた、彼の頼もしい友邦たちであった。
かつてアレックスを駆り、今もなお技術者兼パイロットとして部隊を牽引する恩人、クリスチーナ・マッケンジー少佐が率いるモビルスーツ大隊――『マッケンジー隊』である。
「来たか……! クリス!」
『オーガスタの防衛網は抜かれなかったわ! ここからは私たちが引き受ける。アムロ、あんたはセイラたちの所へ!!』
空を埋め尽くすティターンズの増援に対し、シャイアンの空にC・Lの猟犬たちが次々と合流していく。
孤軍奮闘していた白きガンダムの周囲に、頼もしい味方の陣形が構築されていく。
愛する家族を護るため、そして狂った世界の歯車を止めるため。
アムロ・レイとC・Lの仲間たちの、長く、過酷な防衛戦が、シャイアンの大空を舞台に今まさに本格的な火蓋を切ったのである。