ティターンズの聖域であるグリーン・ノア2の宙域を離れ、指定されたパトロール宙域へと帰還の途についた第13外郭独立艦隊『クレール・ルクス(C・L)』。
旗艦のブリッジでは、監視役として乗艦したティターンズのエマ・シーン中尉が、艦の隅で周囲の動きを鋭く観察していた。
しかし、ブライト・ノア大佐はそのエマの視線を意に介することなく、艦隊の各艦長たちとの極秘の戦術会議を開いていた。
傍受の危険性が高い通常の電波通信ではなく、艦と艦を直接細い光の束で結ぶ『指向性レーザー通信』による、極めて秘匿性の高いホログラム会議である。
ブライトの目の前の空中に、二人の艦長の姿が青白い光の粒子となって浮かび上がった。
一人は、C・Lの主力艦を任されている生真面目な歴戦の将校、ガディ・キンゼー大佐。
そしてもう一人は、かつてジオン海兵隊を率い、今はC・Lの遊撃部隊として強襲揚陸艦『リリー・マルレーン』の艦長席にふんぞり返る女傑、シーマ・ガラハウ中佐であった。
「――以上が、我々がティターンズの基地周辺で収集した、襲撃犯の機体データと戦闘の痕跡だ」
ブライトが、三人の共有モニターに戦闘データを表示させる。
「ジェリド中尉たちからの断片的な情報と、残されたデブリの熱紋解析を総合するに……襲撃犯たちが運用していたのは、旧式のジオン機ではない。
ティターンズのハイザックを遥かに凌駕する、見たこともない新型の汎用モビルスーツが四機。それが、強奪されたガンダムMk-IIIの回収と、ティターンズの迎撃部隊の足止めを行っている」
「不可解だな」
ガディ大佐が、腕を組みながら低い声で唸った。
「ジオンの残党や、烏合の衆の反体制テロリストが、どうやってそれほどの最新鋭機を開発・運用できるというのだ?
開発施設はおろか、テスト飛行すら我々の監視網に引っかかっていない。それに、ティターンズの厳重なセキュリティを内側から食い破るほどの破壊工作……。背後に、強大なスポンサーがいるとしか思えん」
ガディの推測は、軍人として極めて真っ当なものであった。
新型機のロールアウトには、莫大な資金と、部品を製造するための巨大なプラントが必要不可欠である。テロリストが洞窟の中でトンテンカンと鉄を叩いて作れるようなものではないのだ。
そのガディの言葉を聞き、ホログラムの向こう側で、シーマ・ガラハウが退屈そうに自分の扇子をパチンと鳴らした。
「ふん。お前さんたち連邦の生真面目な軍人様は、物事を難しく考えすぎるんだよ」
シーマは、リリー・マルレーンの艦長席で足を組み、軍服の胸元をはだけさせたまま、毒を含んだ三日月のような笑みを浮かべた。
「いいかい? 金と設備が腐るほどあって、連邦の監視網をごまかせる力があって、おまけにジオンの残党を匿ってやれるほど宇宙の裏社会に精通している連中……。そんな条件を満たす『死の商人』なんて、この宇宙に一つしかありゃしないだろうが」
シーマは、かつて宇宙の裏社会で泥水を啜ってきた女である。
政治家の建前や軍人の大義などよりも、もっと生々しい『金と欲望の論理』を、彼女は誰よりも肌感覚で熟知していた。
「――『アナハイム・エレクトロニクス社』。……あのタヌキどもの仕業に決まってるじゃないか」
シーマが、適当に、半ば茶化すように吐き捨てたその企業名。
だが。
その『アナハイム』という名を聞いた瞬間。
「…………っ」
「…………むぅ」
ブライトとガディの二人は、反論するどころか、同時に重々しく、腹の底から絞り出すような低い唸り声を上げた。
ホログラム会議の場に、氷を落としたような冷たい沈黙が降り下りた。
そう……『心当たり』がありすぎたのだ。
疑うなと言う方が、どうかしているくらいに。
「確かに……言われてみれば、動機は十分すぎるほどにあるな」
ブライトが、額に手を当てて苦々しい顔で呟いた。
現在、ティターンズは自分たちの純血主義を誇示するため、ジオン系の技術者を多く抱えるアナハイム社を意図的に遠ざけ、グリーン・ノア2のような自前の開発拠点で『ガンダムMk-III』を建造していた。
これは、地球圏の兵器産業を独占してきたアナハイムにとって、決して看過できない『利益への重大な脅威(死活問題)』である。
「ティターンズの独走を許せば、アナハイムは連邦軍という最大の顧客(パトロン)を失う。……だから奴らは、裏で反連邦組織(エゥーゴ)に資金と新型機を提供し、ティターンズの象徴たるMk-IIIを『強奪』という形で潰しにかかった」
ガディが、パズルのピースを繋ぎ合わせるように言葉を紡ぐ。
「おまけに、奪ったMk-IIIのデータを自社の次期モビルスーツ開発にフィードバックできれば、一石二鳥ってわけさ。あそこの重役どもなら、そのくらいのアコギな絵図は平気で描くね」
シーマが鼻で笑い、扇子で自らの肩を叩いた。
アナハイム・エレクトロニクス社。
彼らは民間企業でありながら、その実態は国家をも凌駕する巨大な軍産複合体である。一年戦争の終結後、月面都市フォン・ブラウンを本拠地とする彼らは、連邦軍の軍備再編を請け負う一方で、極秘裏に旧ジオンの技術者たちを大量に匿い、自社の技術力に取り込んでいた。
「それに……」
ブライトが、さらに決定的な事実を口にする。
「今回の襲撃部隊の練度は異常だった。あれは間違いなく、実戦を潜り抜けた元ジオンの将兵たちだ。彼らのような危険分子を、連邦の監視網を掻い潜って飼い慣らし、部隊として編成できる力を持つ企業など、月のアナハイムを置いて他にはない」
点と点が繋がり、一つの巨大で黒々とした線になる。
証拠こそない。だが、状況証拠と動機(メリット)を考えれば、今回の事件の最大の『容疑者』は、アナハイム・エレクトロニクス社で完全に固定された。
「……連中は、戦争の火種を自らマッチで擦り、燃え上がった炎に両方の陣営から水を売る気だ」
ガディ大佐が、忌々しそうに吐き捨てた。
「軍人を馬鹿にするのも大概にしてほしいものだな」
ブライトの瞳に、静かな、しかし確かな怒りの火が灯った。
監視役として少し離れた場所でこの会議を聞いていたエマ・シーンは、目を見開いて絶句していた。
(そんな……一介の民間企業が、ティターンズの基地を襲撃したテロリストの黒幕だというの!?)
彼女にとって、それはティターンズ上層部からは決して知らされることのない、宇宙の泥沼のような現実であった。そして何より、C・Lの指揮官たちが、自分たちの直感と経験だけで、たった数十分でそこまでの真実に到達してしまったことへの畏怖。
「ブライト大佐。どうするつもりだい? このまま予定通り、能天気にパトロール宙域をぐるぐる回るのかい?」
シーマが、挑戦的な笑みを浮かべて問いかける。
「いや」
ブライトは、きっぱりと首を横に振った。
彼らC・Lは、平和を乱す者たちを狩るための独立部隊である。
ティターンズの基地が襲撃されたからといって、ジャミトフの手先として動く義理はない。だが、軍産複合体が自らの利益のために、コロニーの市民を危険に晒すようなテロリズムを裏で糸引いているというのなら、それを見過ごすことはC・Lの理念(正義)が許さなかった。
「すべての火元がそこにあるというのなら、我々自身の手で確かめる必要がある。……それに、アナハイムの裏帳簿を叩けば、連邦内の『どの派閥』が彼らと結託しているのかも炙り出せるはずだ」
ブライトは、艦長席の通信機を取り上げた。
「――全艦に通達。これより本艦隊は、パトロール宙域への帰還を一時キャンセルする。作戦目的を『テロリストの資金源および補給線の調査』へと変更」
ブライトのその力強い声は、ブリッジに響き渡り、エマの心臓を強く打ち据えた。
「針路を変更。……目標、月面都市フォン・ブラウン。これより我々は、アナハイム・エレクトロニクス社の本拠地へと向かう」
事態は、単なる基地襲撃事件の枠を大きく超えようとしていた。
ティターンズへの牽制、エゥーゴの狂気、そして裏で糸を引く死の商人。
コジマ准将から現場の指揮を預かるブライト・ノアは、その複雑に絡み合った陰謀の『心臓部』である月面へ向けて、C・Lの鋭い牙を真っ直ぐに突き立てる決断を下した。
―――
宇宙の深淵へと滑り出したC・Lの艦隊。その航跡を、一定の距離を保ちながらピタリと追従する影があった。
バスク・オム大佐が座乗するティターンズの旗艦アレキサンドリア、そして数隻のサラミス改級巡洋艦からなる混成艦隊である。
バスクは、C・Lの動きを自らの目で観察するという名目でグリーン・ノア2を出港していた。モニターに映るブライトの艦隊は、何ら怪しい素振りを見せることなく、整然とパトロール宙域へと向かっている。
だが、バスクの腹の内はとうに決まっていた。彼の指揮下にある各艦では、水面下で静かに、しかし確実に「戦闘準備」が進められていたのである。
ジャミトフ・ハイマンからの『C・L武装解除』の命令。
コロニーの直上では被害と政治的リスクを恐れて無視を決め込んだバスクだったが、ひとたびサイドの空域から十分に離れれば話は別である。いかにC・Lが百戦錬磨の精鋭部隊であろうとも、ここは身を隠す暗礁宙域すらない開けた宇宙。圧倒的な物量による
それが、この冷徹な男の弾き出した軍事的な絶対解であった。
無論、歴戦の将であるブライト・ノアがその程度の背後からの殺気に気づかないはずがない。艦隊の歩みを止めないまま、C・L側もまた、背後からの急襲を完璧に迎え撃つための陣形を密かに構築しつつあった。正面からの艦隊戦は、もはや避けられない不可避の運命として両者の間に横たわっていた。
しかし、このティターンズの武力行使に対して、バスクの足元であるアレキサンドリアの艦内では、かつてない「賛否両論」の嵐が吹き荒れていた。
ジェリド・メサをはじめとする若きパイロットたちは、この戦闘準備命令に強硬に異を唱えた。
彼らの怒りの理由は単純明快である。現在、C・Lの旗艦には、自分たちの同僚であるエマ・シーン中尉が「連絡将校」という名の人質として乗艦しているのだ。
むざむざと仲間を生け贄にし、艦隊ごと消し飛ばそうとするバスクの冷酷な作戦は、ティターンズのエリートとしての誇りと仲間意識を持つジェリドたちにとって、到底受け入れられるものではなかった。
だが、バスクからすれば、彼らの抱くヒューマニズムなど「反吐が出るほど甘い」の一言に尽きる。
相手はあのブライト・ノアだ。どれほどティターンズが卑劣な攻撃を仕掛けようとも、彼が私怨でエマという人質を処刑するような男ではないことを、バスクは正確に見抜いていた。
そして仮に彼女が砲火に巻き込まれて死んだとしても、それは「大義のための尊い犠牲」として処理すれば済むことである。
血も涙もない効率主義。これこそが、バスクとブライトという二人の指揮官を隔てる、決定的な精神の断絶であった。
それでも、ティターンズ内部にはバスクの非情な決断に同調する者たちも確かに存在した。
エゥーゴというテロリストが蜂起し、連邦が内戦の危機にある今、不確定要素であるC・Lを早期に排除しておくことが、結果的に地球圏全体の被害を最小限に抑える「最も合理的な手段」であると信じる者たちだ。
人道を取るか。それとも、効率を取るか。
どちらを選んだところで、誰にも褒められることはない。血に塗れた選択肢しか残されていない状況下で、バスク自身にもまた、ジャミトフの描く新秩序という巨大な狂気から「退く道」など残されてはいなかったのである。
焦燥と殺意が臨界点に達しようとしている、二つの連邦艦隊の睨み合い。
だが――。
その息詰まるような死地の空間を、何処からか見つめる「監視の目」が存在していた。
濃密なミノフスキー粒子と絶対的な闇。光学迷彩によって完全に宇宙の虚空へと溶け込んだ『それら』は、息を殺し、じっと獲物を待つ蜘蛛のように暗闇に潜んでいた。
彼らは、地球連邦軍という巨大な獣が、ティターンズとC・Lという二つの頭で噛み合い、互いの喉笛を食い破るその絶望的な光景を、今か今かと待ち望んでいたのである。
―――
張り詰めた糸のような一触即発の空気が艦隊全体を包み込む中、C・L旗艦の格納庫では、まったく別のベクトルを持つ局地的な「事件」が勃発していた。
出港後の最終点検に追われていたチーフメカニックのアストナージ・メドッソは、資材コンテナの陰に見慣れない作業用のプチモビルスーツが隠されているのを発見し、怪訝に眉を潜めた。そして、その傍らに身を潜めていた人影――軍の制服など着ていない、一人の民間人の少年を見つけ出したのだ。
「君! 何処から入ってきた!!」
アストナージの怒声が、油と金属の匂いが漂う格納庫に響き渡る。
当然の大事である。ここは最高機密の塊である軍艦の心臓部だ。先ほどの基地襲撃を企てたテロリストの仲間か、あるいは単なる密航者か。少なくとも、こんな少年が正規の乗船許可証を持っているはずがない。アストナージは工具を握り直し、厳しい警戒の視線を向けた。
見つかった少年――カミーユ・ビダンは、大人に怒鳴られたことで一瞬だけ罰の悪そうな顔を見せた。だが、生来の負けん気の強さと、内に秘めた切実な思いがすぐにその表情を塗り潰す。彼は怯むことなくアストナージを睨み返し、ひどく不機嫌そうな、しかし痛いほどに真っ直ぐな声で言い放った。
「父さんを救い出すんです!!」
スパイの潜入でも破壊工作でもない。ただ、理不尽に拉致された父親を取り戻したいという、あまりにも純粋で、それ故に無軌道な少年の動機であった。
その報告が内線を通じてブリッジへと届いた時、艦長席のブライト・ノアは、思わず頭を抱えて深々と、ひどく重い溜め息を吐き出した。
後方にはティターンズの艦隊が殺気を放って追従し、いつ砲火が交わされてもおかしくない死地の真っ只中。しかもこのブリッジには、ティターンズから送り込まれた監視役であるエマ・シーン中尉が目を光らせているのだ。
彼女の目の前で、よりによってティターンズの最重要開発者であるフランクリン・ビダンの息子を「密航者」として保護したとなれば、バスクに対して『C・Lがビダンの息子を人質として誘拐した』という、最悪の言いがかりを与える決定的な口実になりかねない。
「……ブリッジへ連行しろ。私が直接話を聞く」
ブライトは、ズキズキと痛み始めたこめかみを指で押さえながら、内線越しにそう命じた。
ただでさえ針の筵であるこの状況下で転がり込んできた、あまりにも純粋な政治的爆弾。指揮官の顔には、「非常によろしくない事態」に対する深い疲労の色が、色濃く滲み出していた。