C・Lでの一件と同じ頃
月面の巨大都市フォン・ブラウンの地下深くに位置する、地球連邦軍フォン・ブラウン守備隊の司令部。
この基地の司令官という正規軍の仮面を被り続けてきたブレックス・フォーラ准将は、自らの執務室で重い決断の時を迎えていた。
ティターンズの聖域であるグリーン・ノア2で引き起こされた、血塗られたガンダムMk-III強奪事件。
自らの意志から外れ、暴走した作戦がもたらした民間人への被害と、ティターンズの狂信的な報復行動を前にして、ブレックスはもはや「政治的な水面下の工作」という生温い手段に逃げ込むことを自らに許さなかった。
事ここに至って、彼はついにルビコン川を渡る決断を下したのである。すなわち、反地球連邦組織『エゥーゴ』の首領として、地球連邦軍に対し正式に反旗を翻すという、後戻りのきかない宣戦布告である。
この運命の日に向けて、彼は長年にわたり緻密な政治的取引を重ねてきた。志を同じくする連邦軍の将校たちを巧みな人事工作でフォン・ブラウン基地やグラナダへと集結させ、密かに1個の『軍』として纏め上げていたのだ。
しかし、その体裁こそ大義を掲げる反地球連邦軍であれ、実態は連邦の離反者、復讐に燃える旧ジオン軍の残党、そしてアナハイムの意向で動く傭兵たちが入り混じる、危うい烏合の衆に過ぎなかった。
それでも、事態の重さに対する「けじめ」をつけるため、ブレックスは彼らを束ねる頭目として、この濁流の先頭に立つしか道は残されていなかったのである。
軍事的な規模と兵站(ロジスティクス)において、エゥーゴの台頭はティターンズにとって決して無視できるものではない。月面の二大都市であるフォン・ブラウンとグラナダ。
宇宙における巨大な製造工業の拠点を手中に収めた彼らは、事実上、ティターンズが依存していた宇宙空間での兵器生産力の半分を抑え込んだに等しかった。
対するティターンズは、かつてのジオン宇宙要塞ア・バオア・クーを改装した『ゼダンの門』に独自の巨大兵器工廠を構えていたため、完全な生産拠点を失ったわけではなかった。
しかし、次世代機の量産ラインやサプライチェーンにおいて、月面企業の支援を失った彼らの生産能力は、地球圏全域を制圧するには明らかに物足りないものへと転落しつつあった。
だが、エゥーゴという急造の組織もまた、致命的な弱点に深く喘いでいた。
圧倒的な生産力と最新鋭のモビルスーツを手にした反面、それを運用するための深刻な人員不足である。兵器は工場で造れても、それを実戦で操縦し、艦隊を動かす熟練の将兵は一朝一夕では育たない。
大義の旗を掲げた月面の司令室で、ブレックスは圧倒的な人的リソースを誇るティターンズをいかにして迎え撃つか、底知れぬ孤独と焦燥の中で戦いの口火を切ったのである。
ブレックス・フォーラがルビコン川を渡り、正式に連邦へ反旗を翻したという報せは、月面都市フォン・ブラウンの中枢に座するアナハイム・エレクトロニクス社の重役たちにとって、この上なく甘美な響きを持っていた。
彼らは極めて狡猾であった。
エゥーゴが軍の掌握権を握り、実力行使に出た以上、アナハイム側は地球連邦政府に対して「反乱軍に施設を武力占拠され、無理強いされてモビルスーツを供与させられている」という、完璧な『被害者の体裁』を取り繕うことができるからだ。高潔なるブレックス准将すらも、彼らにとっては矢面に立つ都合の良い囮に過ぎない。
アナハイムの真の思惑は、スペースノイドの自治権獲得などという崇高な理念には一ミリも重きを置いていなかった。
彼らの目的はただ一つ。地球圏に再び巨大な騒乱を巻き起こし、自らが『風が吹けば儲かる桶屋』として巨万の富を貪ることである。
宇宙世紀0087年現在、一年戦争の凄惨な傷跡に対する地球上での復興事業は、すでに一定の終わりを迎えつつあった。
それはすなわち、巨大な資本を持つアナハイムにとって「金にならない平穏」の始まりを意味していた。
莫大な予算を投じて建造されたモビルスーツ開発工場は稼働率を落として不良債権と化しつつあり、戦争という巨大な消費行動がなければ、兵器産業は細々と交換部品を出荷し続けるだけの、ひどく退屈で小さな市場へと縮小してしまう。
だが、もし地球圏が再び戦火に包まれたならどうなるか。
ティターンズとエゥーゴによる激しい総力戦によって多くの都市機能が麻痺し、軍備が損耗すれば、地球連邦政府は体制維持のために莫大な資源と国家予算を際限なく吐き出すことになる。失われた兵器の補充、破壊されたインフラの再建、そして次世代技術の泥沼の開発競争。
そのすべての発注は必然的に月面へと舞い込み、フォン・ブラウンの巨大な金庫を再び黄金で満たし尽くすのだ。
破壊と再生の果てしないマッチポンプ。
豪奢な役員室の窓から広大な月のクレーターを見下ろす彼らは、かつての一年戦争がもたらした異常なまでの『戦後景気』という名のカンフル剤に、完全に酔い痴れていた。
いや、それはもはや酔いなどという生易しいものではない。平和という名の不況を恐れ、戦火の特需がなければ巨大な組織の血流を維持できないという、死の商人の骨髄にまで深く根を張った破滅的で救いがたい『戦争依存症』に他ならなかった。
―――
シャイアン基地の空を覆い尽くさんばかりに押し寄せたティターンズの強襲部隊は、たった一機の白きモビルスーツ――アムロ・レイの圧倒的な戦闘力と、それに呼応したマッケンジー隊をはじめとするC・Lの反撃の前に、完全なる敗退を余儀なくされた。
アムロの神懸かった操縦技術は、連邦の最新鋭OSが予測する未来のさらにその先を穿ち、ティターンズのパイロットたちに『本物の英雄』との絶望的なまでの力量差を刻み込んだ。彼らはこれ以上の戦線の維持は不可能と悟り、煙を噴く機体を引き摺るようにして空域から撤退していったのである。
地上におけるこの決定的な勝利は、単なる一基地の防衛成功に留まらなかった。
ティターンズによる身内への牙の剥き出しという暴挙は、これまで静観を決め込んでいた北米管区の地球連邦軍各基地の司令官たちに、強烈な危機感と連帯の意志を芽生えさせた。
実戦経験が極めて豊富であり、C・Lの部隊司令として北米の防衛を実質的に取り仕切っていたコジマ准将の呼びかけに応じ、各基地の司令官たちは即座に団結の意を示した。彼らは、腐敗したジャブローの中枢やティターンズの指揮系統を完全に『迂回』し、独立した地球連邦軍の一派閥として、ティターンズに対する正式な抗議声明を叩きつけたのである。
どれだけ激しい砲火が交わされようとも、両者は共に地球連邦政府に属する『正規軍』である。
国家間のように、正式な手続きを踏んで「宣戦布告」を行い、戦争を始めるなどという構図は法的に成り立たない。
血で血を洗う内戦の最中にあって、表向きはあくまで「軍紀違反に対する抗議」や「管轄権の越権行為の是正」という、ひどく官僚的で滑稽な書類上の殴り合いが並行して行われていた。
それが、この宇宙世紀における派閥闘争の歪な可笑しさであり、同時に薄気味悪さでもあった。
当然、この北米からの強硬な抗議に対し、ティターンズが黙って引き下がるはずもなかった。
彼らは即座に反論の声明を叩き返す。その最大の論拠(カード)として引き合いに出されたのは、やはりあの女性の血筋であった。
「C・Lおよび北米管区は、ジオンの遺児たるアルテイシア・ダイクンを極秘裏に匿い、反体制組織と内通している。我々の武力行使は、連邦を脅かす不穏分子を排除するための正当な治安維持行動である」
ティターンズは、彼女の存在を『ジオンの御旗』として危険視し、自分たちの無法な軍事行動を正当化しようと試みた。
だが、コジマ准将を中心とする北米の将軍たちは、そのティターンズの論理を真っ向から、そして極めて強固な『建前』を用いて跳ね除けた。
「我々が保護しているのは、オーガスタで孤児院を運営し、社会福祉に貢献する善良なる一人の『民間人』、セイラ・マス氏に他ならない。一介の市民を政治的スケープゴートとして拉致すべく、軍事基地を強襲するティターンズの行いこそ、断じて許されざるテロリズムである」
かつて、広大な大地で独自の自由と正義を掲げ、一つにまとまった合衆国群のように。
北米大陸に点在する連邦軍基地は、完全に一つの巨大な意思の下に統合されていた。
一人の無力な民間人女性を不当な弾圧から護り抜く。その揺るぎないヒューマニズムと軍人としての誇りこそが、彼らがティターンズという巨大な闇に立ち向かうための、最強の『盾』であり『大義』となったのである。
アムロ・レイの武力と、コジマ准将の老練なる政治力。
そして、セイラ・マスという存在が結びつけた強固な連帯。地球の重力に縛られた北米の大地は今、ティターンズの独裁を阻む最大の防壁として、世界に向けて完全なる対立を突きつけていた。
―――
ティターンズによるシャイアン・オーガスタ基地への強襲、クレール・ルクス(C・L)の反撃、そして月面フォン・ブラウンにおけるエゥーゴの正式な武装蜂起。
宇宙世紀0087年の5月に立て続けに発生したこれらの一連の事態は、地球連邦軍内部における血みどろの派閥闘争が、ついに後戻りできない形で『表面化』したことを意味していた。
後に歴史家たちは、この三つ巴、あるいは四つ巴の激突をもって『地球連邦内乱の始まり』として正史に記録することとなる。
絶対的な力を持っていたはずの地球連邦という一枚岩が、音を立てて崩れ去った。
地球の重力下で内戦の火蓋が切られたという報せは、瞬く間に宇宙(そら)へと駆け巡り、地球を囲む巨大なコロニー群(各サイド)に対し、自らの生き残りを懸けた『旗幟の鮮明化』を強制的に突きつけることとなった。
かつての一年戦争の折、血の雨が降る宇宙空間において徹底して『中立』の立場を保ち、あるいは戦火を免れたサイド2とサイド6のコロニー群。
彼らは今回の大動乱においても、早々に、そしてあからさまに「完全中立」の声明を世界に向けて発信した。
彼らが中立を宣言した理由は極めて単純にして明快。
『地球連邦の身内の殺し合いに、自分たちのコロニーを巻き込まれたくない』という、純粋な保身の一心であった。
だが、彼らの中立は、決して無抵抗主義の羊であることを意味しない。
この時期、サイド2とサイド6は、連邦軍の庇護に依存しない『独自の自衛部隊』の設立と武力強化に密かに踏み切ろうとしている段階であった。彼らは、自前の軍隊としての体裁と戦力が整うまでの間、この激しい派閥闘争の嵐からコソコソと隠れてやり過ごそうという、極めてしたたかな算段を抱いていたのだ。
その証拠に、表向きは中立を装いながらも、彼らの自治政府は反連邦組織である『エゥーゴ』に対し、裏ルートを通じて密かに物資や資金の支援を行っていた。
自分たちの手を汚すことなく、ティターンズという強権的な軍事組織の力を削ぐ。それが、政治的駆け引きに長けた中立サイドの冷徹な生き残り戦略であった。
一方で、連邦の勢力図において極めて重要な戦略的要衝を抱えていたサイド1およびサイド4のコロニー群は、迷うことなく『C・L支持』の立場を明確にした。
この宙域には、かつてのジオン軍の宇宙要塞であり、現在は連邦正規軍の巨大拠点となっている『コンペイトウ(旧ソロモン)』が存在している。さらに、C・Lが水面下でジオン穏健派の受け皿として活動を支援していた『スウィートウォーター』などのコロニーも、この宙域に点在していた。
サイド1とサイド4の首脳陣は、コジマ准将やワイアット大将といった『連邦軍主流派(正規軍)』と極めて密接な関係にあった。
彼らはティターンズの独裁を明確に拒絶し、アムロ・レイやブライト・ノアを擁するC・Lこそが連邦の正当な軍隊であると支持したのである。
「ティターンズの横暴を、我々の宙域には一歩も入れさせるな」
コンペイトウを中核とした正規軍艦隊と、C・Lの宇宙部隊が強固な連携を結び、この宙域はティターンズの侵攻を許さない『万全の防衛体制』を築き上げていた。彼らは、狂気に傾きつつある世界の中で、連邦の良心と秩序を護るための巨大な防壁となったのである。
そして、この複雑怪奇な政治のチェスボードにおいて、最も暗く、最も致死性の高い猛毒を孕んでいたのが、かつてのジオン公国――サイド、3ジオン共和国であった。
ジオン共和国首相、ダルシア・バハロの采配は、まさしく老練な革命家のそれであった。
彼は、ティターンズの圧倒的な武力を前にして、表向きは**『ティターンズ寄りの親連邦・中立』**という、極めて従順なポーズを世界に向けてアピールしていた。ティターンズが要求する物資の提供や形式的な協力関係を結び、ジャミトフの警戒を巧みに逸らしていたのである。
だが、その実態はどうだ。
ジオン共和国の裏口からは、血気盛んな旧公国系の軍人たちや、一年戦争を生き抜いた歴戦のパイロットたちが、偽造された身分証とアナハイム製の兵器を与えられ、連日『エゥーゴ』へと派遣され続けていた。
いや、人員派遣などという生易しい規模ではない。ブレックス・フォーラが立ち上げたエゥーゴという組織の実体的な戦闘力、その本隊の背骨を形成しているのは、他でもないサイド3から送り込まれたこのジオンの亡霊たちであった。
表向きはティターンズに恭順するフリをしながら、その腹の底でティターンズの喉首を掻き切るための軍隊を育成し、送り込み続ける。
ティターンズにとって、サイド3はまさに『獅子身中の虫』であった。
国家の延命とスペースノイドの真の解放を懸けた、ダルシアの底知れぬ謀略であった。
ジャミトフはそれを知りながらも、この泥沼の内戦を嬉々として受け入れていた。
それは破滅主義か、それとも愉快犯か?
少なくとも
地球連邦という巨大な獣は、その内臓を複数の派閥の牙によって食い破られながら、宇宙世紀0087年の暗黒の星の海へと、血に塗れた崩壊の歩みを進めていく事となる。