本編どうぞ
サイド1、スウィートウォーター。
かつてジオンの難民を細々と受け入れ、現在は第13外郭独立艦隊『C・L』が密かに支援を行うことで、穏健なスペースノイドたちの拠点として機能しつつあるこのコロニーの秘密軍港に、ブライト・ノア率いる艦隊は静かに錨を下ろした。
しかし、艦が安全な港に辿り着いたというのに、旗艦のブリーフィングルームの空気は、宇宙空間の真空よりも重く、息苦しいものとなっていた。
事の発端は、グリーン・ノア2を出港する直前に密航者として発見された一人の少年。
ティターンズのガンダムMk-III開発責任者であるフランクリン・ビダンの息子、カミーユ・ビダンの処遇である。
地球連邦軍が明確に真っ二つ――いや、三つにも四つにも割れ、血みどろの内戦が始まろうとしているという絶望的な情報を享受したばかりのブライトたちにとって、この少年の存在は、文字通り『抱え込んでしまった特大の時限爆弾』に他ならなかった。
「……君は、お父さんを助けたいから我々の艦に乗ったと。……そういう事なのだな?」
長テーブルの奥で両手を組み、ブライト・ノア大佐は疲労の滲む声で問いかけた。
その真っ直ぐな視線の先には、両脇をC・Lの警備兵に固められながらも、怯むことなく毅然と立ち尽くすカミーユの姿があった。
「悪い事だとは分かっています。ですが、軍が情けないのが悪いじゃないですか!」
カミーユは、唇を噛み締めながら、大人たちを睨みつけるように言い放った。
「父さんがテロリストに拉致されたっていうのに、ティターンズの連中は自分たちのメンツや犯人探しばかりで、ちっとも父さんを助け出そうとしない! あんな軍隊、信用できるもんですか!」
純粋に父親を救い出したい。家族を取り戻したい。
その真っ直ぐで、あまりにも切実な少年の叫びは、ブライトの軍人としての良心を鋭く抉った。彼のその動機を決して無碍にはしたくない。
だが、この事態の根本的な問題が連邦軍の内部抗争にあるという事実が浮上してしまった以上、これは単なる「迷子の保護」で済まされるようなデリケートな問題ではなかったのだ。
「……カミーユ君。君の父親を案じる気持ちは分かる。だがな、軍艦に違法に侵入し、あまつさえ最高機密の塊である格納庫という空間の奥深くに潜伏するというのは、いかなる理由があろうとも許される行為ではない」
ブライトは、敢えて厳しい、冷徹な軍人としての顔を作って少年に現実を突きつけた。
「君は、我がC・Lの軍機をその目で見た……ということになる。従って、軍規に則るとすれば、良くて長期の禁固刑。最悪の場合は『スパイとしてその場で射殺』されても、誰も文句を言えるものではないのだ。……そういう覚悟で、この艦に来たというのか?」
死の可能性すらあるという恫喝。普通の少年であれば、泣き喚くか縮み上がるところだ。
しかし、カミーユの青味がかった瞳には、反発の炎がさらに強く燃え上がった。
「ああでもしないと、父を救ってくれようとはしないでしょ!? ティターンズは!」
カミーユは、身を乗り出すようにして声を張り上げた。
「僕は、貴方がた『C・L』がティターンズとは違って……そういう事にも柔軟に対処してくれる、まともな大人たちだろうって思ったから、この艦を選んだんです!」
「…………っ」
その言葉に、ブライトは頭の奥がガンと殴られたような衝撃を受け、同時に、胃の腑のあたりがキリキリと締め付けられるような激しい痛みを覚えた。
(……柔軟に対処、だと? この私がか)
ブライトは、大きな溜め息をつきながら、額に手を当てた。
実際に胃に穴が開いたわけではないが、彼の脳裏には、かつて一年戦争の折、ホワイトベースという艦で幾人もの『無謀な少年少女たち』を戦争の泥沼に巻き込んでしまった、あの拭い去れない苦い記憶がフラッシュバックしていた。
アムロ・レイしかり。
目の前にいるこのカミーユという少年もまた、かつてのアムロと同じような、大人たちの理不尽に噛み付く危うさと、鋭敏すぎる感覚を肌から発散させている。
ブライトが頭を抱えていると、彼から少し離れた席でパイプ椅子にふんぞり返っていた女傑が、面白そうに、そして呆れ半分に口を開いた。
「ふん。アンタの独断専行で、お母さんがどう思っているのか……考えなかったとでも言うつもりかい、坊や?」
シーマ・ガラハウ中佐であった。
彼女は、手にした扇子をパチンと鳴らし、カミーユの顔を意地悪く覗き込んだ。
「ティターンズの基地に、母親をたった一人置き去りにしてさ。しかも息子は行方不明。……今頃、アンタの母親は半狂乱になって基地の中を探し回ってるだろうよ」
「あっ……」
シーマのその容赦のない言葉に、カミーユの表情が初めて強張った。
彼の純粋さは、父親を救うという一点においてのみ極度に研ぎ澄まされていた。その反動で、「残された母ヒルダがどうなるか」という想像力が、若さゆえの視野狭窄によって完全に抜け落ちていたのである。
「男なら、それくらいの無謀さがあっても嫌いじゃないがね」
シーマは、カミーユの動揺を見てケラケラと笑いながらも、その瞳の奥には極めて冷徹な『軍人としての計算』を浮かべていた。
「だがねぇ、ブライト大佐。こいつはチトばかし、冗談じゃ済まされない『大問題』だよ。アンタも気づいてるんだろう?」
「ああ。最悪の事態だ」
ブライトは、重々しく頷いた。
直接的な戦闘こそ起きていないが、このカミーユ・ビダンという少年がC・Lの艦内にいるという事実は、ティターンズから見れば『完全な人質(誘拐)』に等しかった。
カミーユの母であるヒルダ・ビダン。彼女は単なる軍属ではない。ティターンズが絶対の自信を持つ次世代機、ガンダムMk-IIIの『装甲材開発』を中心となって担当している、極めて重要な中核技術者なのだ。
父親であるフランクリンは、すでにエゥーゴのテロリストに拉致されている。
そして今、息子であるカミーユを、C・Lが『保護』という名目で囲い込んでいる。
(もし、バスクやジャミトフがこの事実を知れば、どうなる……?)
ブライトの背筋に、冷たい汗が伝った。
ジャミトフたちは、この状況を最大限に利用するだろう。
『反逆者であるC・Lは、エゥーゴのテロリストと裏で完全に結託し、ビダン夫妻からMk-IIIの機密データを引き出すために、息子であるカミーユを人質として誘拐したのだ』と。
これほどまでに、ティターンズのプロパガンダに都合の良い筋書きはない。
自分たちC・Lがいくら「密航してきたのを保護しただけだ」と弁明したところで、政治的な文脈においては全く通用しない。ティターンズに、武力行使を正当化するための決定的な『付け入る隙』を与えてしまうことに他ならなかった。
「……大佐。これは、弁明の余地がありません」
部屋の隅で、そのやり取りを黙って聞いていた連絡将校――ティターンズから監視役として送り込まれたエマ・シーン中尉が、静かに、しかし断固とした口調で口を挟んだ。
「彼が純粋な動機で密航したことは、私も理解しました。ですが、結果としてC・Lは、我がティターンズの最重要技術者のご子息を拉致したも同然です。直ちに、カミーユ君をティターンズへと引き渡すべきです」
エマの主張は、軍人として、そしてティターンズの将校として完璧に正しかった。
カミーユを無事にグリーン・ノアへと送り返すこと。それ以外に、C・Lが『誘拐犯』の汚名を雪ぐ手段は存在しない。
だが、ブライトは胃の痛みを堪えながら、首を横に振った。
「エマ中尉。君の言う通り、彼を帰すのが筋だ。……だが、今ここで彼をティターンズに突き返せば、どうなると思う?」
「それは……ご家族の元に」
「バスク大佐が、彼を『無傷』でヒルダ夫人の元へ帰すと思うか?」
ブライトの鋭い眼光に、エマはハッとして言葉を詰まらせた。
「敵対勢力の艦に乗り込み、内部の情報を持ち帰った少年だ。バスクのことだ、彼を自軍の機密漏洩の容疑者、あるいは『C・Lに洗脳されたスパイ』として、過酷な尋問にかける可能性が高い。最悪の場合……見せしめとして、表に出せない処分を下すことも考えられる」
エマの顔から、さっと血の気が引いた。
先日の戦闘で、バスクがコロニーの市民をどれほど冷酷に切り捨てようとしたか。その狂気の一端を目の当たりにしている彼女には、ブライトの懸念が『考えすぎ』だと否定することはできなかったのだ。
「そんな……。それでは、彼は」
送り返せば、バスクの毒牙にかかる可能性が高い。
かと言ってこのまま艦に留め置けば、ティターンズに最高の開戦事由(カスペル・ベリ)を与えてしまう。
善意と大義が、最悪の形で連鎖し、身動きが取れなくなっていく。
「……勝手なことばかり言って、すみませんでした。でも、僕は……」
カミーユは、大人たちが自分の存在によってどれほどの政治的窮地に立たされているかを察し、ギリッと唇を噛んで俯いた。
「謝る必要はない、カミーユ」
ブライトは、立ち上がり、少年の肩にポンと重い手を置いた。
「君の勇気は本物だ。だが、戦争というものは、純粋な思いだけではどうにもならない泥沼なんだ。……君の身柄の処遇については、私が責任を持つ。今は、大人たちの決定を待ってくれ」
スウィートウォーターの暗い軍港。
C・Lの猟犬たちは、巨大な連邦の内乱という嵐のど真ん中で、一人の少年の命と、組織の命運を天秤にかける、極限の決断を迫られていた。
スウィートウォーターの軍港に停泊するC・L旗艦の一室。
与えられた簡素な客室のベッドに寝転がりながら、カミーユ・ビダンは深く、暗い思考の海に沈んでいた。
(……僕の判断は、間違っていたのか?)
天井の無機質な蛍光灯を見つめながら、何度も自分に問いかける。
ティターンズの基地から密航し、父親を拉致した者たちを追う。その「勢いと決断」は、確かに若気の至りであり、シーマが指摘したように、残された母親の心情を一切顧みない身勝手なものであった。ブライト大佐たちの苦悩に満ちた表情を見れば、自分がしでかした事の『政治的重大さ』も、頭の片隅では理解できている。
しかし。
そんな反省や後悔の念の奥底で、カミーユの心の中でどうしても消し去ることのできない、一つの確かな感情がドロドロと燻り続けていた。
それは、父フランクリンと母ヒルダと共に過ごした、あの『かけがえのない日常』に対する強烈な執着と、それを理不尽な暴力によって一瞬で瓦解させた世界への、行き場のない怒りであった。
両親は、不器用にも、家族としての絆を持っていたのだ。
一緒に食事をしよう。そんなささやかな約束すら、あの銃声と爆発の夜にすべて吹き飛んでしまった。
(大人の都合で……戦争なんていう馬鹿げた理由で、僕の家族を壊していいはずがない……!)
カミーユは、毛布の下で両拳をギリッと握りしめた。
彼のニュータイプとしての鋭敏すぎる感受性は、この世界に渦巻く大人たちの悪意やエゴイズムを、まるで直接肌に触れるように生々しく感じ取っていた。
一方、カミーユと同じように、激しい懊悩の中に身を置いていた女性がもう一人いた。
ティターンズからの監視役(連絡将校)である、エマ・シーン中尉である。
彼女の現状の立場は、極めて複雑かつ残酷なものであった。
スウィートウォーターに到着した直後、彼女はブライトから一つの衝撃的な情報を提供された。
『ティターンズの強襲部隊が、北米のシャイアンおよびオーガスタ基地を奇襲し、C・Lの防衛部隊によって撃退された』という事実である。
その情報を聞いた時、エマは一瞬、世界が足元から崩れ落ちるような感覚に陥った。
テロリストでもジオン残党でもない、完全に味方であるはずの連邦軍基地に対して、ジャミトフとバスクは一切の宣戦布告もなく奇襲を仕掛けたのだ。民間人の保護施設すらも攻撃目標に含めて。
それは、彼女が心の底から信じていた『地球連邦の平和と秩序を護る正義の騎士』としてのティターンズの理念とは、あまりにも決定的に乖離した、醜悪な現実であった。
(なぜ……どうしてティターンズが、味方に牙を剥くの?)
バスク・オムの非情さと、ブライト・ノアの苦悩。
エマはここに来て初めて、自分たちのような「一年戦争を直接的な戦場で経験していない世代」が見ている綺麗な世界と、アムロやブライトたちのような「血みどろの戦争を戦い抜いた世代」の視点、そして彼らが抱える底知れぬ憎悪や恐怖の違いを、まざまざと見せつけられていた。
自分が正義だと思っていたものは、実は狂気を隠すための虚飾に過ぎなかったのではないか。
偶然と言うべきか、あるいは必然と言うべきか。
エマは、カミーユと同じ部屋――正確には、二段ベッドとわずかな居住スペースがあるだけの狭い個室を、共に充てがわれていた。
C・Lの旗艦は決して大所帯の豪華客船ではない。スパイ容疑のあるカミーユと、ティターンズの監視役であるエマ。二人を同室に押し込んでおく方が、監視の目を少なくし、兵力を温存できるという、極めて合理的な(そして少し意地悪な)ブライトたちの判断であった。
「……エマ中尉も、複雑な状況なんですね」
二段ベッドの下の段から、カミーユがポツリと呟いた。
その声には、自分を叱りつけたティターンズの将校に対する反発よりも、同じように大人たちの事情に振り回されている者同士の、微かな同情のようなものが混じっていた。
上の段に横たわっていたエマは、小さく息を吐き出して答えた。
「……まぁね。私としては、自分が軍人として信じていた正義が、根底から否定されたようなものだけど……」
エマは、天井を見つめながら自嘲気味に続けた。
「かと言って、今すぐティターンズに反旗を翻すほどの事かと言われれば……悩むところなのよ」
彼女の葛藤は深かった。
もしティターンズが北米で無差別な虐殺を行っていたのであれば、彼女は迷わず離反の決意を固めていただろう。しかし、その虐殺はアムロ・レイたちC・Lの活躍によって『未然に防がれた(未遂に終わった)』のである。結果だけを見れば、民間人の犠牲は出ていない。
(……未遂、か)
エマの脳裏に、数年前に起きたある事件の記憶がフラッシュバックした。
デラーズ・フリートの蜂起と、ティターンズの結成。そしてその過程で企てられた、コロニーへの毒殺作戦。
あの恐るべき大量虐殺の陰謀は、コジマ准将やC・Lの活躍によって間一髪で阻止され、首謀者であるコリニーは失脚し、軍法会議で断罪されたはずであった。
だが。
もし、あのコリニーの事件すらも、単なる氷山の一角であったとしたら?
断罪されたはずの虐殺思想が、今なお形を変えて――いや、むしろティターンズという合法的な軍事組織として堂々と引き継がれ、味方の基地を強襲するという暴挙(事実上のコロニー落としと同質の狂気)を引き起こしたのだとすれば。
「……本物の首謀者は、誰だったの?」
エマは、無意識のうちにその言葉を口にしていた。
ジーン・コリニーは、誰かの『トカゲの尻尾』として切り捨てられただけではなかったのか。
ティターンズの設立。エゥーゴの台頭。ジオン残党の暗躍。
そのすべての背後で、数年前から周到に計画を練り上げ、地球連邦を内部から食い破ろうとしている真の黒幕。
「……ジャミトフ・ハイマン…。……すべては、あなたの計画だったというのですか」
エマの背筋に、冷たい氷の柱を差し込まれたような悪寒が走った。
もし自分の推論が正しければ、自分が所属している組織は、正義の騎士などではなく、世界を崩壊させるための悪魔の軍勢そのものである。
ベッドの下段では、カミーユがエマの呟きを聞き、沈黙の中で何かを必死に考えている気配がした。
戦争という名の巨大な嵐が、もうそこまで迫っている。
地球圏全体を巻き込む本格的な総力戦が始まる前に。エマ・シーンは、自らの魂と軍人としての誇りを懸けて、どちらの道に進むべきかという『決断』を、一人の人間として下さなければならなかった。