宇宙の星々が静かに分断と裏切りを重ねていたその時、母なる地球の重力下においても、すでに引き返すことのできない「内乱の火蓋」が切って落とされていた。
シャイアンとオーガスタへの電撃的な奇襲がアムロ・レイたちによって粉砕された後、ティターンズの息がかかった地球連邦軍『南アフリカ方面軍』が、ジャミトフの号令に応じて公然と牙を剥いたのである。
対するは、コジマ准将が束ねる、C・Lに与する『北米方面軍』
地球の北半球と南半球。
両陣営が対峙する大西洋を挟んだ最短の経度差はおよそ35度、直線距離にして約5000キロメートル。
如何にモビルスーツという革新的な機動兵器を擁する地球連邦軍といえども、この広大すぎる隔絶を埋めることは容易ではない。
水中型モビルスーツ部隊を潜航させて渡洋侵攻を試みるなど、航続距離と補給の観点から見ればおよそ非現実的な机上の空論であった。
大西洋の荒波を越えて互いの喉笛に刃を届かせるためには、超長距離の航続力と膨大な積載能力を誇る『ガルダ級超巨大輸送機』や、無数の『ミデア輸送機』を大編隊でピストン輸送するしかない。
だが、それには国家予算を傾かせるほどの莫大な燃料と資金、そして制空権の完全な掌握が必要不可欠であった。
牽制の長距離弾道ミサイルと、偵察機による領空侵犯の小競り合い。
五千キロの虚空を挟んだ睨み合いは、互いに決定的な一打を欠いたまま、しかし確実に地球全土を巻き込む巨大な泥沼の様相を呈し始めていた。
シャイアン基地の地下深くに位置する統合作戦室。
分厚い岩盤に囲まれた部屋の空気は、北米の澄んだ初夏の気候とは裏腹に、張り詰めた硝煙の匂いと通信機の電子音で満たされていた。
通信卓の前で、受話器を静かに置いたコジマ准将。
その皺の刻まれた険しい横顔に、パイロットスーツ姿のまま待機していたアムロ・レイが歩み寄った。
「准将。……ジャブロー本部は、何と?」
アムロの静かな問いかけに、コジマは自嘲気味に口角を歪め、肩をすくめてみせた。
「ジャブローは『中立』を約束したよ。……まったく、自分たちのオフィスだけは争い事に巻き込まれたくないという、いつものスタンスなのだろうな。地下深くの総司令部で、さぞかしエアコンが良く効いているのだろうて」
その言葉が落ちた瞬間、作戦室の大型モニターを囲んでいた周囲の幕僚――北米各基地から駆けつけた佐官たちから、ホッとしたような安堵の吐息が漏れた。
彼らにとって、南米ジャブローの中立宣言は、まさに首の皮一枚がつながった瞬間であった。
確かに北米大陸の基地群は、コジマの呼びかけに応じて一致団結している。だが、所詮は寄せ集めの地方軍閥に過ぎない。
もし、ジャブロー本部に温存されている『千機を超えるジムおよびジムII』という正規軍の圧倒的な主力がティターンズの意向に従って北上を開始していれば、北米方面軍など多勢に無勢、一瞬で圧殺されていたはずなのだ。
一年戦争の終結後、北米大陸はジオンの組織的なゲリラ抵抗が比較的穏やかだった地域であった。その平和ゆえに、連邦軍の軍備削減と再編の煽りを真っ先に受け、方面軍としての実戦戦力は地球全土で最も少ない部類に甘んじていたのである。
不幸中の幸いと言えるのは、かつての一年戦争で守り抜かれた広大な穀倉地帯と、五大湖周辺の旧工業地帯の生産インフラが、今なお健全に生き残っているという点だけであった。自前で資材を調達し、モビルスーツの補修部品や改修機を独自に製造・組み立てる継戦能力だけは、辛うじて担保されていたのだ。
「……それにしても」
作戦会議が一段落し、幕僚たちがそれぞれの持ち場へと戻っていった後。
コジマ准将は、デスクの上に置かれた一枚の書類――ティターンズから送りつけられた『反逆者引き渡し要求』の書面を見下ろし、深く重い息を吐き出した。
「なんにせよ、たった一人の民間人に対して、地球の軍隊がこれほどの規模で動くのだ……。やはり、『ジオンの血筋』というものは、この宇宙世紀において解けることのない呪詛のようなものなのかもしれないな」
コジマはそう独り言のように呟くと、部屋の片隅に静かに腰掛けていた一人の女性へと視線を向けた。
セイラ・マス。
かつてジオン・ズム・ダイクンの娘『アルテイシア』として生まれ、数奇な運命の果てに地球の孤児院で子供たちを育てていた女性。
彼女は今、一人の母親になろうとしていた。
ゆったりとした私服の上からでも分かるほどに、その胎内には、アムロとの愛の結晶である『エレーネ』という新たなる生命の灯火が、確かに宿り、脈打っている。
数多の泥沼の戦場を潜り抜け、第08MS小隊をはじめとする幾人もの若い部下たちを死なせてきた歴戦の老将だからこそ。コジマには、目の前にあるその「無垢な命の尊さ」が、痛いほどに理解できていた。
「ですが、コジマ准将……」
セイラが、申し訳なさに切れ長の青い瞳を伏せ、静かに口を開いた。
「私の存在が、この北米の将兵たちを危険に晒しているのなら……私一人をティターンズに差し出せば、この戦争は」
「馬鹿なことを言うな、セイラ君」
コジマは、遮るように、しかし慈父のような暖かさをもって首を横に振った。
「だからといって、そんな理由だけで君を奴らの毒牙に渡してしまうというのは、些か人として業が深すぎる。何より……地球連邦という、人類の平穏を標榜する一つの国家が、決してやって良いことではない」
コジマの決意は、鋼のように固かった。
一人の妊婦すら護れない軍隊が、一体どこの誰を護るというのか。
どれほど世界が狂気に傾こうとも、この一線を踏み越えてしまえば、自分たちもまたティターンズと同じ獣に成り下がる。それだけは、コジマの軍人としての矜持が絶対に許さなかった。
「レイ少佐」
「はい」
アムロが背筋を伸ばす。
「君の家族は、我々C・Lと北米方面軍が全霊を賭けて護る。君は余計な心配をせず、パイロットとしての自らの責務を果たしてくれ」
「……感謝します、准将」
アムロは深く頭を下げ、セイラの隣へと歩み寄り、彼女の冷たくなった手を力強く包み込んだ。
しかし、崇高な大義だけで戦争に勝てるほど、現実は甘くはなかった。
コジマは自らの将官としての古い人脈と、かつて東南アジア戦線などで培った独自の軍事パイプを総動員し、地球各地の方面軍へ向けて猛烈な連絡線を張り巡らせていた。
その結果もたらされた各地域の反応は、極めて冷酷な現実を突きつけていた。
まず、オーストラリア方面軍。先の戦争でコロニー落としの直撃を受け、いまだ傷の癒えぬ彼らは、早々に『完全中立』を表明した。ティターンズにもC・Lにも与せず、自らの復興のみに引きこもるという姿勢である。
次に、かつてコジマ自身が前線で指揮を執っていた東南アジア方面軍。彼らはコジマという男の誠実さを深く知っており、「物資および補給面での全面協力」を約束し、明確に『コジマ(C・L)側』へとついてくれた。
だが――最も肝心な、最大の工業生産力と兵力を誇る『極東方面軍』だけは、コジマからの打診に対して『返答を保留(静観)』するという、ひどく曖昧で不気味な沈黙を貫いていたのである。
「……極東が返答を控えたか」
作戦室の航路図を見つめながら、コジマは苦虫を噛み潰した。
この極東方面軍の動向こそが、北米方面軍の死活を分ける最大の急所であった。
もし、極東方面軍がティターンズの軍門に降り、北米を敵に回した場合どうなるか。
北米大陸は、太平洋という巨大な天然の堀を挟んで、完全に『陸の孤島』へと転落してしまうのだ。
五大湖の組み立て工場がいくら稼働しようとも、高度なアビオニクスや精密電子部品、希土類(レアメタル)といった一次物資の輸入ルートが、中立を気取る南米ジャブロー経由の細い空路のみに限定されてしまう。
それでは、数ヶ月と持たずに兵器のサプライチェーンは破綻し、補給切れで自滅することは明白であった。
「何としてでも、極東方面軍だけは我々の側に引き入れねばならん。彼らが中立に倒れることすら、我々にとっては致命傷になり得る」
コジマは、手元の通信機を睨みつけ、拳を握りしめた。
書面や通信による遠隔の外交工作は、もはや限界に達していた。極東の将軍たちは、ジャミトフの恐怖政治と、コジマの大義のどちらが勝つかを、安全な場所から見定めているのだ。
ならば、直接会って腹を割るしかない。
コジマ准将は、作戦室のモニターの前に立ち、幕僚たちに向けて一つの大胆不敵な計画を告げた。
「――我がC・Lに使用権のある『ガルダ級超巨大輸送機』を1機、直ちに出撃準備に入れろ」
その命令に、作戦室が騒然となった。
「じ、准将!? ガルダ級を動かすのですか!?」
「現在、太平洋の制空権は完全に安定しているとは言えません! もしティターンズの長距離哨戒機に捕捉されれば、格好の標的になります!」
幕僚たちの悲鳴のような諫言に対し、コジマは微動だにしなかった。
「分かっている。だが、電波の向こうでどれだけ言葉を並べ立てたところで、極東の狸どもは動かん。私が直々に太平洋を渡り、極東方面軍の司令部へ乗り込んで、奴らの首根っこを掴んで説得する」
それは、司令官自らが前線へ飛び出し、敵の制空権の隙間を縫って太平洋を横断するという、狂気の沙汰に近い大博打であった。
「准将、護衛はどうされるおつもりですか?」
アムロが真剣な面持ちで進み出た。
「ガルダの巨体は、空飛ぶ巨大な的(まと)だ。当然、モビルスーツによる直掩隊が必要になる。……レイ少佐、君の部隊からも精鋭を出してもらいたい」
「分かりました。私の機体と、マッケンジー少佐の部隊からドダイを伴った小隊を編成し、ガルダの直掩に就けます。太平洋の空は、絶対に誰にも通させません」
アムロのその力強い言葉に、コジマは深く頷いた。
北米の孤立を防ぎ、この歪んだ内乱の早期終結への足がかりを掴むための、太平洋横断飛行。
守るべき愛する家族と、大義を胸に秘めた男たちの新たな戦いが、空と海の彼方にある『極東』を目指し、今まさに動き出そうとしていた。
―――
北米の不穏な動きは、ティターンズの張り巡らせた軍事情報網を完全に逃れることはできなかった。
太平洋を横断し、極東方面軍との直接交渉に打って出ようとするコジマ准将の決死の計画。その情報を傍受したジャミトフ・ハイマンとバスク・オムは、即座にユーラシアおよびアフリカ大陸を実効支配しているティターンズの精鋭部隊に対し、苛烈な迎撃と威圧の命令を下した。
極東方面軍が有する莫大な生産力と地政学的な価値は、ジャミトフの描く地球完全支配のシナリオにおいて絶対に欠かすことのできない最後のピースである。そこをC・Lの猟犬どもに奪われ、北米と極東の強固な連携を許すことなど、断じて許されるはずがなかった。
アフリカのキリマンジャロ基地、そしてユーラシアの巨大軍事拠点から、大地を揺るがす轟音と共に空へ舞い上がる超巨大な影があった。
地球連邦軍が誇る戦略航空拠点、ガルダ級超巨大輸送機。
コジマ准将が手持ちのカードから一機を捻出するのがやっとであったその空の要塞を、ティターンズは惜しげもなく「二機」同時に投入したのである。
ユーラシアおよびアフリカ管区から選りすぐられたティターンズの精鋭モビルスーツ大隊と、反乱分子を鎮圧するための苛烈な重火器をその巨大な腹の底に満載し、二機のガルダは分厚い雲海を切り裂きながら東へと機首を向けた。
全長数百メートルにも及ぶ鋼鉄の巨城が、完璧な並行陣形を組んで大空を駆けるその威容は、地上から見上げるすべての者に絶対的な恐怖と強烈な圧迫感を植え付けていた。大推力の熱核ジェットエンジンが放つ、大気そのものを引き裂くような暴力的な重低音。
二つの巨体が太陽の光を遮るたびに、ユーラシアの広大な大地には巨大な十字架のような暗い影が残酷に這い進んでいく。それはもはや単なる軍隊の移動ではなく、地球の覇権を握る者の絶対的な「力の誇示」そのものであった。
ティターンズの指揮官たちは、ガルダのブリッジから眼下に流れる大陸を見下ろし、冷酷な笑みを浮かべていた。彼らの任務は極めて単純明快である。太平洋を渡ってくるC・Lの愚かな別働隊を極東の空で完全にすり潰し、同時に極東方面軍の司令部に対して、頭上を覆い尽くす圧倒的な物量をもって「完全なる屈服か、死か」の二者択一を突きつけることだ。
西からは、二機の黒き猛禽類が大陸を絶望の影で覆い尽くしながら極東へ。
東からは、一機のガルダが、孤立の危機を背負いながら太平洋の荒波を越えて極東へ。
沈黙を保つ極東方面軍の頭上で、地球連邦軍の行く末を決定づける巨大な質量と質量が、今まさに激突の限界点へと突き進んでいた。