食は魂の安息なり…。故に、それを阻止するものは敵
コジマが私室で極東の将軍たちを籠絡するための「奇策」に思案を巡らせていると、インターコムから緊張を帯びたオペレーターの声が飛び込んできた。
『――司令、センサーに感有りです。超大型熱源二つ、本機と……いや、極東管区のウラジオストクへ向けて急速接近中。機種データ照合、ガルーダ級二機と断定。このままの速度を維持すれば、接敵は……遅くとも一時間後です』
「二機か。随分と大盤振る舞いだな」
コジマは、眉をぴくりと動かしながらも、声のトーンを微塵も崩すことなく返した。
「ブリッジ。記録上、現在地球連邦軍が保有しているガルーダ級は、全部で八機であったな?」
『はい』
オペレーターが即座にデータスレッドを読み上げる。
『我々C・L(北米方面軍)が運用する「ガルダ」が本機の一機。
ティターンズが運用する「スードリ」と「メロウド」の二機。
連邦軍本隊(中立派)が運用しているのが「アウドムラ」「ハービィ」「ガーウィッシュ」の三機。
残る二機は、連邦政府高官の移動や特殊物資の輸送に用いられている「アルバトロス」と「フリーデン」です』
「なるほど」
コジマは、顎に手を当てて深く頭を捻った。
ティターンズは、自らが地上に保有する最大の長距離機動戦力である『スードリ』と『メロウド』の両方を、この極東制圧のために全投入してきたということだ。
(敵は、地球規模の戦線維持というリスクを冒してまで、手持ちの切り札をすべて極東に投じてきた。……であるならば)
ここでその二機を完全に仕留めるか、あるいは無力化してしまえば、ティターンズの地上における長距離輸送能力と制空権は致命的な打撃を受ける。今後の内乱の推移において、それは劇的にコジマたち北米側を有利にするはずだ。
もっとも、連邦政府の貴重な財産であるガルーダ級を二機も海に沈めれば、中立派の将軍たちが激怒し、政治的な風当たりが強くなるという厄介な
「落とさずに無力化できれば、最良か……」
コジマは、静かに、しかし決然とした声で命じた。
「ブリッジ! 全員に通達せよ。直ちにブリーフィングを行う。各モビルスーツのパイロット、および本機の副機長を第一作戦室へ招集しろ」
―――
ブリーフィング・ルームには、出撃を控えたパイロットたちと幕僚が顔を揃え、重苦しい緊張感が張り詰めていた。
正面のスクリーンには、迫り来る二機のティターンズ製ガルーダと、その周囲を展開するであろうおびただしい数の護衛部隊の予測陣形が映し出されている。
コジマは、指揮棒を手に取り、静かに、しかし極めて非常識な作戦案を口にした。
「私は、本機から切り離したベースジャバーに乗り、単身でウラジオストクの極東管区司令部へと降下する。貴官らには、その間、このガルダを『巨大な囮』として操り、ティターンズの二機を死守……いや、引きつけてもらいたい」
司令官が前線で部隊を囮にし、自分だけが単身で敵地の心臓部に降下する。常軌を逸した作戦行動に、幕僚たちが息を呑む。
だが、コジマの言葉はそれだけでは終わらなかった。
「そして……アムロ君。君に、やってもらいたい事がある」
コジマの鋭い視線が、部屋の片隅で腕を組んで立っていたアムロ・レイに向けられた。
場に、先ほど以上の張り詰めた空気が走る。
しかし、アムロはコジマがその言葉を発した瞬間に、老将の意図する『狂気の戦術』を完全に理解していた。
「……そういう事ですか。俺に、敵機のブリッジをピンポイントで破壊して来いと」
「その通りだ。話が早くて助かる」
コジマは、薄く笑って頷いた。
ガルーダという巨体を沈めず、しかし完全に無力化し、無血開城させる最も確実な方法。
それは、敵の防空網のド真ん中を単機で突破し、空飛ぶ要塞の心臓部である『ブリッジ』のみを正確に破壊、あるいは制圧すること。
「冗談じゃないわ!!」
その時、沈黙を破って猛烈な非難の声を上げたのは、クリスチーナ・マッケンジー少佐であった。
彼女は、バンッとテーブルを叩き立ち上がり、コジマとアムロを睨みつけた。
「単独での敵中突破行動は、軍事行動上、厳禁とされているはずです! いくら彼が優秀だとしても、敵のガルーダ二機と、おびただしい数のモビルスーツ部隊が敷く防空網のド真ん中に単身で放り込むなど……そんなのは、ただの自殺志願者のやることよ!」
クリスの怒りは、軍規を建前としながらも、その本質は極めて私的な『愛情と人間としての道理』から来るものであった。
「アムロ! あなた、自分がどういう立場か分かってるの!? もうすぐ、セイラとの間に子供が生まれるっていうのに……こんな無茶な作戦、絶対に引き受けるべきじゃないわ!」
彼女の悲痛な叫びは、場にいるすべての者の良心を代弁していた。
だが、そのクリスの言葉に、誰よりも静かに、しかし断固として反論したのは、他ならぬアムロ・レイ本人であった。
「……マッケンジー少佐。俺の身を心配してくれるのはありがたい。だが、俺を信頼してくれないか?」
アムロは、腕を解き、真っ直ぐにクリスの瞳を見つめ返した。
「これが一番効率が良く、尚且つ、味方の損害を最小限に抑えて敵を無力化できる『最善の方法』なんだ。僕らには、これだけの戦力差を正面からひっくり返すだけの時間も弾薬もない。……それに」
アムロは、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「正直に言って……超高高度の空戦において、空気抵抗の塊であるモビルスーツの機動力は、一年戦争時の
その声に、痩せ我慢の響きは一切なかった。
それは決して己の力を過信した「慢心」ではなく、一年戦争から幾多の死線を潜り抜け、極限まで研ぎ澄まされた己の技量とニュータイプとしての感覚に対する、絶対的な「自信」であった。
「准将」
アムロは、コジマに向き直り、最終的な許可を求めた。
「本機から『ガンダムℵ』を、高高度強襲用の『ギャプラン・ユニット』を装着した状態で出撃させます。よろしいですか?」
「あぁ。君の判断は的確だ。残りの各隊は、このガルーダを囮として最大限に活用し、敵の護衛部隊をアムロから引き離す『引きつけ役』に徹してくれ。……極東の空の運命は、君たちの双肩にかかっている」
コジマの決定的な号令により、作戦は最終段階へと移行した。
幕僚たちが腹を括り、パイロットたちが出撃の準備へと駆け出していく中。
クリスチーナだけは、拳を握りしめたまま、その決定に心の底からの納得をすることができず、一人唇を噛み締めていた。
彼女には、アムロのその常人離れした自信が、時として彼を『死の淵』へと引きずり込む危うい刃のように思えてならなかった。
―――
薄暗い格納庫に、高周波の電子音と整備兵たちの喧騒が響き渡る。
出撃直前。アムロ・レイが、調整用端末を操作しながら自身の愛機『ガンダムℵ』の最終チェックを行っていると、その傍らに、赤いパイロットスーツに身を包んだクリスチーナ・マッケンジー少佐が腕を組んで立っていた。
彼女の顔は、先ほどのブリーフィングルームでの怒りをまだ引きずっているかのように、硬く険しいままである。
「……まだ、怒っているんですか? それとも、自分の創り上げたこの機体のポテンシャルに、自信が無いんですか?」
アムロは、端末から目を離さずに、諭すような、そして少しだけからかうような声色で問いかけた。
ガンダムℵ。それは、かつてのRX-78の運用データを基礎とし、クリスチーナ自身がアレックスの開発経験を活かして極限までチューンナップを施した、文字通りC・L(北米方面軍)における最高のワンオフ機である。
しかも現在は、高高度での超音速戦闘と長距離強襲を可能とする巨大な『ギャプラン・ユニット』を装着しており、そのスペックはティターンズの最新鋭機をも凌駕している。
「機体の力は信じてるわよ。私が徹夜で組んだOSとフレームだもの」
クリスは、忌々しそうに息を吐き出した。
「でも、私が信じられないのは……あなたのその『異常なまでの自信』の方よ。たった一機で、敵の防空網と二機の要塞のど真ん中に突っ込むのよ? 一歩間違えば、絶対に生きて帰れない。……どうして、あなたはそこまで平然としていられるの?」
彼女の問いは、技術者としての計算を超えた、アムロという人間の『精神の構造』に対する純粋な畏怖と懸念であった。
アムロは、端末の電源を静かに落とし、クリスの顔を真っ直ぐに見つめ返した。
その瞳の奥には、彼女が経験したことのない、底知れぬ漆黒の闇が横たわっていた。
「……一年戦争の時は、もっと酷かったですからね」
アムロは、淡々とした口調で、かつての記憶を辿り始めた。
「何も分からないまま宇宙から北米の大地に降りて……ガルマ・ザビ率いるジオンの完全な勢力下を、たった一隻の強襲揚陸艦で強行突破した。周囲はすべて敵。補給もない。味方の援軍なんて夢のまた夢。毎日が死の恐怖と、生き残るための殺し合いの連続でした。……今以上に、最悪の状況でしたよ」
アムロの口元に、微かな自嘲の笑みが浮かぶ。
「それに比べれば、今は味方もいる。最高の機体もある。そして何より、帰るべき場所がある。……そういう事です」
良くも悪くも、アムロ・レイという男は、常軌を逸した『死地』に慣れすぎてしまっていた。彼のその強靭すぎる精神力は、地獄を潜り抜けた者だけが獲得できる盾であり、同時に、人としての感覚を麻痺させてしまう恐ろしい毒でもある。
クリスは、そのあまりにも重い言葉に、返す言葉を失い、苦虫を噛み潰したような顔をするしかなかった。
「……そう言われると、反論ができないじゃない。あなたの潜ってきた修羅場に比べれば、私の心配なんて児戯みたいなものなんでしょうね」
「そんなことはありませんよ」
「でもね、分かってるわよね? アムロ」
クリスは、一歩前に進み出て、アムロのパイロットスーツの胸倉を軽く掴んだ。
「あんたは今、あの頃の『失うものがなかった少年』じゃないの。帰りを待ってる人がいるの。絶対に……死なないでよ」
「ええ。こんな、つまらない意地の張り合いで死んじゃ……面白くもないですから」
アムロは、クリスの手に自らの手を重ねて穏やかに微笑むと、ガンダムℵのコックピットへと身を翻した。
重厚なハッチが閉ざされ、機体のメインジェネレーターに火が入る。
翠緑のツインアイが暗がりに妖しく輝き、白き修羅は、極東の空で待ち受ける死の舞踏へと、その巨大な鉄の翼を広げた。
―――
西の空。
雲海を切り裂きながら極東へと進攻する、ティターンズのガルーダ級超巨大輸送機『スードリ』。
その広大なブリッジの機長席で、ベン・ウッダード大尉は、ひどく憂鬱な顔をして前方のモニターを睨みつけていた。
彼は生粋の軍人であり、部下からの信頼も厚い優秀な指揮官であったが、現在のティターンズ内部においては、極めて『微妙で居心地の悪い立ち位置』に立たされていた。
彼の敬愛する元上官であり、アッシマーのテストパイロットとして知られる猛将ブラン・ブルターク少佐。そのブランが現在、北米のオークランド基地に所属しているが故に、今回の内乱において「C・L側」に付いてしまっているという事実を、ベンは知っていたのだ。
「……まったく。やりきれん」
ベンは、軍帽のひさしを押し下げながら、低く舌打ちをした。
そもそも、ベン・ウッダードという男にとって、「スペースノイドの自治権」だの、「アースノイドの特権」だのといった政治的な主義主張は、完全に『どうでもいい事』であった。
彼は、現場で汗を流し、血を流す兵士である。
高官たちが安全な場所から振りかざす高尚なイデオロギーなど、銃弾一発の価値もない。軍務(命令)でなければ、そのような下らない主義主張に引っ張られて、同胞と殺し合いをするような作戦など、真っ平御免であった。
(恐らくは……ブラン少佐も、同じことを考えておられるだろうなぁ)
かつて背中を預け合った上官と、もし戦場で相見えたらどうするか。
そんな答えの出ない自問自答を繰り返していた矢先、スードリのメインレーダーが、前方に接近してくる巨大な熱源を捉えた。
『機長! 前方より巨大な熱源が接近中! 機影照合……C・Lのガルダです!』
オペレーターの切迫した声がブリッジに響く。
「来たか……」
ベンは、私的な感傷を胸の奥底に押し込め、軍人としての冷徹な顔を作り上げた。
「モビルスーツ隊は、直ちに発進させろ。敵を確認次第、攻撃を開始せよ」
それは、ティターンズ上層部からの絶対の命令であった。
『極東に接近するC・Lのガルーダを、いかなる手段を用いても撃墜せよ』
発進指示を下しながらも、ベンの心には、鉛のような重い疑問が沈殿していた。
(……正直、気が乗らんな)
何故、同じ地球連邦軍が、こんな不毛な形で真っ二つに割れなければならないのか。
ティターンズだ、エゥーゴだ、C・Lだ。
一体、この戦争に果たして『意味』はあるのか?
自問自答を繰り返しても、ベンの前に明確な答えが見えてくることはなかった。
あるのはただ、眼前に迫り来る敵機を撃ち落とさなければ、自分たちが撃ち落とされるという、冷酷な戦場の物理法則だけである。
スードリのハッチが開き、おびただしい数のハイザックとジムⅡが、空の彼方から迫り来る「白い悪魔」を迎え撃つべく、極東の蒼穹へと次々に身を投じていった。