白き流星の羽搏き   作:丸亀導師

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食卓

 

西の太平洋上空――成層圏からの一撃によってメㇿウドを大破させ、混乱の極致に陥ったティターンズ防空網と、C・Lのモビルスーツ部隊が熾烈なドッグファイトを繰り広げているその裏で。

 

コジマ准将が単身で乗り込んだベースジャバーは、戦域の喧騒を置き去りにするように、海面スレスレの超低空飛行で西へ西へと矢のように突き進んでいた。

 

厚い雲が途切れ、眼下に黒々とした陸地の輪郭が浮かび上がる。

日本列島。地球連邦極東管区の最東端に位置し、コジマの故郷でもある列島。そして、その先の海を越えた先にある極東の軍事中枢、ウラジオストクへと至る防空識別圏(ADIZ)に、彼の機体はついに到達したのである。

 

『――警告。所属不明機。貴機は現在、地球連邦軍極東管区の防空識別圏に侵入しつつある。直ちに針路を変更せよ。従わぬ場合、敵対行動とみなし撃墜する』

 

無機質な、しかし明確な殺意を帯びた電子音声の警告が、ベースジャバーの通信コンソールに鳴り響いた。

 

「准将!」

 

操縦桿を握るパイロットが、血相を変えて振り返る。

彼らは丸腰のサブフライトシステムである。対空ミサイルを一発でも撃ち込まれれば、回避する術もなく海の藻屑となるしかない。 

 

「良い。そのまま真っ直ぐに行け。……時期に来る」

 

コジマは、背後のシートにどっしりと腰を下ろしたまま、目を閉じて静かに命じた。

 

彼の心には、確固たる『確信』があった。

 

この極東という地域、特に列島側の防衛を担う将軍たちは、政治的な立ち回りに極めて長けており、同時に「身内」に対する情が深い。

滅多なことが無い限り、極秘の外交工作のためにやって来た丸腰の使者を、問答無用で撃墜するような無風流な真似はしないはずだ。

 

何より、コジマは極東の中立派にいるかつての部下たちを通じて、自分がこの空域に強行突入することを『事前に通達』してあるのだ。

もしこれが罠でなければ、確実に向こうから『出迎え』が来る。

 

『――IFF(敵味方識別装置)に反応! 目標、三機……セイバーフィッシュです!』

 

「よろしい」

 

コジマは、薄く目を開き、ふっと口角を上げた。

来るなら来い、と彼は完全に腹を括った。少なくとも、防空識別圏に侵入した瞬間に地対空ミサイルの洗礼を受けなかったということは、彼らに『話し合う気がある』という最大の証拠であった。

 

雲海を裂いて現れたのは、三機のセイバーフィッシュ。モビルスーツ全盛の時代にあってなお、その高い整備性と局地防空能力から極東の空で現役を退いていない、流線型の迎撃戦闘機であった。

 

三機の戦闘機は、コジマのベースジャバーを威嚇するように高速でフライパスすると、まるで教科書通りの美しい編隊機動で空中でターンを決め、ベースジャバーを左右から完全に挟み込んだ。

さらに残る一機が、機体の後方上空ピタリと張り付く。

 

左右から動きを封じられ、背後からミサイルのロックオン・アラートを突きつけられるという、完全なる『拘束状態(エスコート)』。撃墜の可能性を相手に委ねたまま、彼らは極東の空を先導されていった。

 

『――所属不明機。当機の誘導に従い、指定の座標へ着陸せよ。偏差行動を取った場合、即座に撃墜する』

 

「指示に従え。極東司令部のウラジオストクではなく……どうやら、列島側で一度身柄を預かるつもりのようだな」

 

コジマの予想通り、エスコートされたベースジャバーは大陸のウラジオストクへ直行することはなく、日本列島の関東平野に位置する巨大な空軍施設――『横田基地』の滑走路へと静かに降ろされた。

 

滑走路に滑り込んだベースジャバーのエンジンが停止し、焦げたような推進剤の匂いが初夏の生温かい風に流されていく。

コジマがタラップを降りると、そこには完全武装した極東の基地警備隊が、銃口を斜め下に向けて整列していた。

 

そして、その警備隊の最前列。極東管区の防空指揮所という野戦めいた場所にはおよそ似合わない、豪奢で権威的な軍服に身を包んだ一人の男が、両手を後ろで組んで待ち構えていた。

その男の肩に輝くのは、大将の階級章。

 

「……これはこれは。西の空から、遠路遥々ようこそ。コジマ准将」

 

白髪交じりの髪を撫で付けたその男は、コジマの顔を見るなり、極めて芝居がかった、しかしどこか懐かしさを滲ませた笑みを浮かべてみせた。

 

「よもや、貴官が単身で太平洋を飛び越え、この極東の土を踏む日が来るとはな。……昔のように、また無茶をなさる」

 

コジマは、その男の顔を見て、硬く結んでいた口元を微かに緩めた。

 

「無茶をしなければ、貴官ら極東の狸どもは巣穴から出て来んだろうが。……久しいな。まさか、極東方面軍の総司令官殿が、自らこんな末端の基地まで出迎えに来てくれるとは光栄の至りだ」

 

その男こそ、極東方面軍の実質的なトップであり、コジマがかつて士官学校時代に苦楽を共にした旧友にして最大の政敵でもあった男であった。

 

「総司令官などと、仰々しい肩書きで呼ぶのはよしてくれ。今の私は、ティターンズの圧力と北米の貴官らとの間で板挟みになっている、ただのしがない中間管理職に過ぎんよ」

 

男はそう言って肩をすくめ、コジマへと右手を差し出した。 

 

「だが……よく来てくれた、我が友よ。貴官がその身一つでここまで来たということは、手ぶらというわけではあるまい?」

 

「無論だ」

 

コジマは、その男の手を力強く握り返した。

 

「極東の将兵の『胃袋』と、その誇りを守るための、極上の取引材料を持ってきた。……貴官らも、ティターンズの支給する泥のようなペースト食を啜らされるのは、御免だろう?」 

 

その「食」という単語が出た瞬間。

大将の目つきが、旧友のそれから、極東の権益を死守する強欲な軍閥のトップのそれへと、鋭く豹変した。

 

「……ほう。それは、実に興味深い議題だ」

 

背後では、血みどろの空戦が続いている。

 

しかしこの横田基地の滑走路では、地球連邦軍の内乱の行方を決定づける、極東の『食と権益』を懸けた、したたかで老練な将軍たちによる、最も奇妙で最も重要な直接交渉が、今まさに幕を開けようとしていた。

 

―――

 

「メㇿウドのメインブリッジが消滅! 操縦不能、高度低下中!!」

 

その絶望的な報告は、極めて濃密なミノフスキー粒子が散布された空域であっても、レーザー通信や編隊内の近距離通信を伝って、瞬く間にティターンズのモビルスーツ部隊全体へと伝播していった。

 

空の要塞が、たった一機の奇襲によって沈みかけている。

 

その信じがたい事実は、ティターンズのパイロットたちの心を根本から揺さぶり、陣形に致命的な『綻び』を生じさせた。

彼らは確かに、連邦軍の中でも選りすぐられたエリート部隊である。最新鋭のハイザックやジムⅡを与えられ、シミュレーターや演習で完璧な戦術機動を叩き込まれてきた。

 

だが、その強さはあくまで「圧倒的な物量」と「完璧な指揮系統」という前提の上に成り立つ、ひどく脆い強さであった。教本には載っていない異常事態――頼みの綱である母艦が燃え落ち、指揮官からの矢継ぎ早の指示が突如として途絶えるという強烈なパニック状態に、彼らの精神は耐えられなかったのである。

 

「どうする!? スードリからの指示は!?」

 

「くそっ、メㇿウドの直掩に戻るべきか、このままC・Lのガルーダを叩くべきか……!」

 

迷い。恐怖。そして、一瞬の思考の停止。

ティターンズの部隊が空中で浮足立ち、統制を失ったそのコンマ数秒の『隙』。

実戦経験の塊であるC・Lの猟犬たちが、その死の隙間を見逃すはずがなかった。

 

「敵の足並みが乱れたわ! 今よ、各機一斉に押し込みなさい!!」

 

クリスチーナ・マッケンジー少佐の鋭い号令が響く。

数では劣るC・LのジムII部隊が、防御の陣形から一転して猛烈なカウンター攻撃へと転じた。彼らは一年戦争という本物の地獄を這いずり回り、生き残ってきた歴戦の猛者たちである。「指揮系統の混乱した敵軍」がどれほど脆いかを、骨の髄まで熟知していた。

 

そして、その反撃の先陣を切り、ティターンズの混乱を決定的な『崩壊』へと叩き落としたのは、空を最も愛し、空を知り尽くした男であった。

 

「空中戦はアッシマーが!!」

 

分厚い雲海を、黄色の円盤が猛烈なスピードで切り裂く。

ブラン・ブルターク少佐が駆る、空戦特化型可変モビルアーマー『アッシマー』である。

 

アッシマーは、空気抵抗を極限まで減らしたMA形態のまま、ティターンズの編隊のド真ん中へと突進。敵が迎撃のビーム・ライフルを放つコンマ一秒前、その黄色の円盤は空中で信じられない挙動を見せた。

 

『……!? 変形した!?』

 

ティターンズのパイロットが驚愕に目を見開く。

アッシマーは、超音速飛行の運動エネルギーを殺すことなく、一瞬にして重厚なMS形態へと手足を展開。急激な空気抵抗(エアブレーキ)を利用して空中でピタリと静止すると同時に、構えた大型ビーム・ライフルから無慈悲な閃光を放った。

直撃。

先頭を飛んでいたガルバルディβの胸部装甲がドロドロに融解し、空中で巨大な火球へと変わる。

 

「後退しろ!!距離を取れ!」

 

パニックに陥った僚機が背を向けて逃げようとするが、それこそが空戦において最もやってはならない致命的なミスであった。

 

「ケッ! 背中を見せて逃げる奴は、ただの的だ!」

 

ブランはニヤリと笑うと、撃破の反動をそのまま利用して再びMA形態へと瞬時に変形。逃げる敵機の背後へと恐るべき加速で肉薄し、後方から正確にビームを撃ち込んだ。

 

変形による変幻自在の機動。

 

それは、重力下での空力特性(エアロダイナミクス)を完全に味方につけた、空の魔術師による一方的な蹂躙であった。

 

「いいかヒヨッコ共! 空中戦ってのはなぁ、数字で勝負するもんじゃねぇんだよ!」

 

ブランの駆るアッシマー、そしてそれに続く二機の僚機が、ティターンズの編隊を文字通り『掻き乱す』。

 

彼らが空に描く変幻自在の航跡は、浮足立ったティターンズのパイロットたちに的を絞らせず、次々と僚機が撃ち落とされる恐怖を植え付けていった。

 

数の上では、依然としてティターンズが有利であった。

しかし、空戦の形勢は完全に、『C・Lの圧倒的優位』へと傾きつつあった。

 

 

―――

 

 

横田基地の防空指揮所、その応接室。

 

コジマ准将が提示した「食と権益」という議題に対し、極東方面軍の大将は、口元を皮肉げに歪めながらも、極めて真剣な眼差しでコジマと向き合っていた。

 

大将は、テーブルの上に置かれたコーヒーカップを見つめながら、重々しい口調で語り始めた。

 

「現在、この地球上で大規模な軍隊と何億という市民を養うための食料を『安定的』に自給できている地域は、我々の中華地域を含む極東、貴官らの北米、そしてユーラシアのウクライナとロシア西部に限られている。……アフリカの惨状は、貴官も知っているだろう」

 

コジマは無言で頷いた。

 

地球連邦政府が推し進めた強引な宇宙移民政策。

 

その結果、アフリカ大陸の多くは『棄民』として人々を宇宙へと追い出す形で人口を激減させた。

 

大規模な機械化農業が可能な一部の農地だけが地上に取り残されたが、人間の細やかな手入れを失った大地は急速に荒廃し、ダカールなどを中心としたかつての広大な穀倉地帯は、今まさに不毛な砂漠へと戻ろうとしている。

 

「地上の人口は減り続け、宇宙の人口は反比例するように増え続けている」

 

大将は、コーヒーを一口啜り、眉間を寄せる。

 

「しかし、連邦政府は『地球環境の保全』という美しい建前を遵守するがために、人間の生活の根源たる『食文化』を極端に軽視してきた。

土を耕し、発酵させ、複雑な味を抽出する……そうした手間暇のかかる食の営みを『環境負荷の大きい非効率な悪習』として、システムから切り捨てようとしているのだ」

 

宇宙世紀において、食文化を守るということは、想像を絶する困難な事業であった。

 

多くの美食を愛する人々、特に極東や欧州の一部から宇宙へ渡った移民たちが、コロニーの限られたプラントで土を作り、海を再現し、血の滲むような努力で本物の食文化を後世に残そうと苦心している。

 

「だが、ジャブローの官僚どもや、特権階級を自称するティターンズの連中はどうだ?」

 

大将の声に、怒りの色が混じり始める。

 

「彼らは、現場で泥に塗れて戦う将兵や、宇宙で暮らす一般市民に対して、『合成タンパクのペースト』と『ビタミン錠剤』ばかりを押し付けている。栄養価さえ満たせばそれで良いという、あの吐き気のするような効率至上主義……。

あれこそが、連邦の宇宙移民に対する『意識の低さ』と『人間性の軽視』の最たるものだ」

 

コジマは、腕を組み、深く同調した。

 

「このまま連邦政府とティターンズの強権的な体制が続けば、いずれはかつての英国産業革命のように、効率化の名の下に豊かな食文化が完全に破壊されるだろう。食べる喜びを奪われた人間は、心まで機械になってしまう」

 

「その通りだ」

 

大将は、テーブルをドンと叩いた。

 

「ティターンズの連中は、自らを『選ばれたアースノイド』と信じ込み、宇宙移民者を底辺の労働力として蔑視している。

彼らがこのまま連邦軍の全権を握り、あの強権的な思想を支持する議員たちがのさばれば……間違いなく、我々の食卓には『泥』が並ぶことになる。

我々が宇宙に築き上げた農業プラントも接収され、彼らのためにだけの本物の肉と野菜が供給される、そんな暗き未来が創り出されるのだ」

 

地球連邦の棄民政策は、あまりにも歪であった。

物理的な居住地を宇宙へ移すことばかりに固執し、そこに生きる人々の「文化」や「人間としての尊厳」を完全に置き去りにしている。

 

「コジマ准将。貴官が何故、この極東に単身で乗り込んできたか、その腹の底はよく分かった」

 

極東の大将は、椅子に深く背中を預け、鋭い眼光でコジマを射抜いた。

 

「貴官らは、単にティターンズの軍事独裁を止めたいだけではない。この連邦の歪んだ『人間性の軽視』そのものを、根底から叩き直そうとしているのだな。……我々の胃袋と誇りにかけて、我々にもその戦いに付き合えと」

 

コジマは、表情を崩すことなく、ただ真っ直ぐに旧友の目を見つめ返した。

 

狸たちを動かすための最も鋭利な刃は、間違いなく彼らの喉元に突きつけられていた。

 

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