物事には、為すべき『順序』というものがある。
北米大陸と東アジアという、地球上の二つの巨大な軍事・生産拠点を手中に収め、事実上の同盟関係を築き上げた第13外郭独立艦隊『C・L』。
だが、その二つの点と点を結ぶ線を絶対的な安全圏とし、兵站と通信のラインを恒久的に安定させるためには、その間に横たわる広大な水嶺――『太平洋』そのものを内海として完全に掌握しなければならなかった。
すなわち、マラッカ海峡から東南アジア、そしてオセアニア地域に至る南半球の広大なエリアに、強固な協力体制を築き上げることが、彼らの次なる最重要課題であった。
しかし、この地域一帯の情勢は、北米や極東とは比較にならないほど複雑な泥沼の様相を呈していた。
東南アジアからオセアニアにかけて駐留する地球連邦軍は、一年戦争終結から七年が経過した今なお、密林や荒野に潜む『ジオン公国軍の残党』を掃討するために部隊を展開し続けている。連邦軍からすれば、ジオンは明確な敵である。だが、現地の住民たちの目には、全く別の景色が映っていた。
この地域は古くから非正規定住者(不法居住者)や多様な民族が入り乱れる坩堝であり、地球連邦政府の強権的な統治や、腐敗した現地軍の搾取に対する反発が極めて強かった。
連邦軍の物資がいつの間にか横領され、闇市に流れる。昨日の味方であったはずの現地住民が、今日には平然と掌を返し、ジオン残党を匿う。地球連邦という巨大組織の末端の腐敗が、この熱帯の島嶼部には最も色濃く溜まりきっていたのである。
住民たちにとって、自分たちの生活を脅かし、食料を奪っていく腐敗した連邦軍よりも、規律を保ち、時には復興すら手伝ってくれるジオン残党の方が、よほど信頼に足る存在であった。
中でも、最も情勢の判断が難しいのが、オーストラリア大陸を中心とするオセアニア地域である。
かつての一年戦争劈頭、ジオン公国が行った『コロニー落とし』によって、シドニーは消滅し、大陸には癒えることのない巨大な爪痕が穿たれた。だが皮肉なことに、現在その傷跡の復興をモビルスーツの重機動を活かして手伝い、現地住民の生活に溶け込んでいるのは、かつての罪滅ぼしに身を捧げるジオンの帰還兵たちであった。
一概に「地球連邦が正義であり、ジオンが悪である」という単純な二元論では、この地域の心は決して掴めない。それが、オセアニアの抱える重い背景であった。
宇宙のブライトと、地上のコジマ、アムロたちを繋ぐ極秘の戦略会議において、次なる作戦の焦点はまさにそのオセアニアへと向けられていた。
「次の作戦目標は、オーストラリア方面になるだろう」
コジマ准将が、戦術マップに視線を落としながら口火を切った。
「ティターンズの動きがある程度見えてきた。連中は、極東の空でガルダ級を失い、地上における長距離空輸能力に致命的な打撃を受けた。その代わりとして、彼らは大西洋東岸の旧世代水上艦隊を総動員し、インド洋と東大西洋の制海権を力ずくで我が物にしようとしている。
我々が太平洋を完全な『内海』とし、ティターンズの東進を食い止めるためには、オセアニアの現地軍との協力体制の確立が急務だ」
コジマの言葉を引き継ぐように、極東の情勢に明るいクライド・ハリソン少尉が、詳細なブリーフィングを開始した。
「現在のオセアニア方面軍は、コロニー落としの傷跡からの復興と治安維持に忙殺されており、ティターンズとの真っ向からの戦闘を極度に忌避しています。
我々が協力を仰いだとしても、彼らが引き受けるのは『確実な安全を前提とした後方支援基地』としての役割のみでしょう。
また、オーストラリア大陸自体は起伏が少なく、敵の大規模な上陸があれば即座に察知できる地理的特性があります。
従って、我々C・Lがティターンズのインド洋からの侵攻を封じ込めるために、直接軍事力をもって確保しなければならない最大の要所は……」
ハリソンは、戦術マップのインド洋に浮かぶ、一つの島を指し示した。
「……
その地名が出た瞬間、会議室に重苦しい沈黙が降りた。周囲の幕僚たちが、その言葉の持つ戦略的意味の重さを静かに飲み込んでいく。
「……中々に厄介だな」
アムロ・レイが、腕を組みながら低く唸った。
「コロンボを手中に収めるということは、インド洋のシーレーンを封鎖するということだ。
それを維持するためにはインド半島の勢力を牽制しなければならないし、インドを抑えるなら、背後の東南アジア全域の制空権も必要になる。
……中々、骨が折れるぞ。こちらの総兵力は、極東を合わせてもそこまで多くはない」
「一時的な占領ならば、宇宙からの軌道降下部隊による強襲で落とすことは可能だろう」
宇宙のブライトが、厳しい顔つきで付け足した。
「だが、その場合はティターンズの軌道艦隊との正面衝突……すなわち、大規模な軌道上での会戦は避けられない。それは我々にとって最も避けたいシナリオだ」
全員が頭を捻った。
現在、宇宙での戦闘は完全に手詰まり状態にある。ティターンズの宇宙における最大拠点である
しかし、ここでC・Lとティターンズの主力艦隊が宇宙で小競り合いを続け、互いに戦力を消耗し合えばどうなるか。その結果は火を見るより明らかであった。漁夫の利を得て、月面から一気に地球圏の覇権を掻き攫っていくのは、第三の勢力である『エゥーゴ』である。
それだけは、何としても避けなければならなかった。
「……まるで三国志だな」
コジマは、自嘲気味にそう呟くと、真っ直ぐにアムロの瞳を見据えた。
「君には悪いと思っているが……仕方のない事だろう。私も、随分と腹黒くなったものだよ」
「でしょうね」
アムロは、コジマの目を見つめ返したまま、表情一つ変えずに応じた。
「そう来ると想いましたよ。ただ、ご自分にその自覚があると言うのなら、それだけマシですよ」
コジマが切ろうとしている『腹黒いカード』。
それは、武力による制圧ではなく、『
ジオン・ズム・ダイクンの真の血を引く娘。
その絶対的なカリスマの呼びかけに応え、地下に潜伏していた多くの者たちがすでにC・Lの元へと集いつつある。憎しみに囚われず、現地に留まって純粋に復興に従事している誇り高きジオンの帰還兵たち。
彼らの力を無血で借り受け、東南アジアの泥沼を平定するために、身重のセイラを政治的象徴として担ぎ上げる。
それは、アムロとセイラにとって途方もなく重い十字架であったが、被害を最小限に抑えるためには、もはやその劇薬を使うしか道は残されていなかった。
「だが、問題がある」
コジマが再び口を開いた。
「現在、我々の情報網で確認が取れているのは、穏健派のパイロット二十数名のみ。
その他の残党勢力の多くは、急進派である『カラバ』と接触した後、行方を眩ませているらしい。彼らがティターンズへの憎悪からカラバの過激なテロ工作に加担すれば、オセアニアの平定どころではなくなる」
「……であるならば、まずは獅子身中の虫である『カラバ』の殲滅から始めなければなりませんね」
アムロのその静かな宣言により、東アジアから東南アジアにかけて潜伏するカラバの武装勢力に対する、C・Lの非情な『殲滅作戦』の封切りが決定された。
新たな血が流れる凄惨な作戦が動き出そうとしていた、まさにその直後。
前線で出撃の準備を進めていたアムロの耳に、彼自身の世界を一変させる、一つの緊急通信が飛び込んできた。
『——アムロ大尉! セイラ様が……セイラ様がフロリダで破水されました!』
地球の覇権を懸けた血みどろの戦略と、新たなる生命の誕生。
抗うことのできない二つの巨大なうねりが、白き修羅の運命を同時に、そして激しく揺さぶろうとしていた。
―――
コンペイトウ(旧ソロモン)からほど近い、暗礁宙域。
地球連邦軍の軍事拠点と、ジオン残党が潜むデブリ帯が入り組むこの宙域を哨戒中であった、C・Lの第2部隊――強襲巡洋艦リリー・マルレーンを中心に編成されたMS隊のレーダーが、高速で接近してくる正体不明の機影を捕捉した。
「ダンケル! ラムサス! 今日の獲物はちと動きが良い。中々に歯ごたえがありそうだ!!」
C・Lの先陣を切る三機のジムII。その隊長機に乗るヤザン・ゲーブル大尉は、コックピットの中で野獣のような凶悪な笑みを浮かべながら、通信回線越しに僚機へと怒号を飛ばした。
彼らが視認した敵機。
その姿は、エゥーゴの主力として運用され始めているという真紅のモビルスーツ――『マラサイ』であった。
「ヒュー……中々に身が入ってるじゃねぇか!」
ヤザンは、自分たちと同じく三機編隊で突っ込んでくる敵機の動きを見て、舌なめずりをした。
どこから現れたのかはさておき、C・Lの防衛宙域に堂々と侵入してきた以上、彼らに容赦という言葉は存在しない。三機のジムIIが完璧な連携でビーム・ライフルを放ち、マラサイの編隊へと襲いかかった。
一方、そのマラサイの隊長機を操るパイロット。
かつて一年戦争において『ソロモンの悪夢』と恐れられたジオンの猛将、アナベル・ガトー少佐は、コックピットの中で激しく歯噛みしていた。
「……理想を騙る俗物共の手足となるなど。くぅッ!!」
ガトーの動きは、確かに一進一退の凄まじいものであった。
だが、彼の心の中は、エゥーゴやカラバといった『連邦内部の反体制組織』に与し、彼らの手足としてダラダラとゲリラ戦を続けさせられている現在の日々に対する、強烈な自己嫌悪と絶望で塗りつぶされていた。
彼は、ティターンズの暴走を止めるという大義名分のもと、エゥーゴのスポンサーであるルオ商会やアナハイムから機体を提供され、傭兵のように使い潰されている。
かつて星の屑作戦に命を懸けた彼にとって、それはあまりにも屈辱的な現実であった。
本来、この宙域へ出撃した目的は、エゥーゴからの命令による単なる『威力偵察』である。
しかし、彼らがこうしてヤザンたちC・Lの精鋭部隊と本格的な戦闘に突入したのには、極めて私的で、そして悲壮な理由があった。
ガトーは、『死に場所』を求めていたのである。
現在、彼らが匿っている難民キャンプの子供たちや、非武装のジオン残党の家族たちが、エゥーゴの息のかかった組織に半ば『人質』のような形で握られている。
もし彼が戦闘で手を抜いたり、あるいは勝手に投降して捕虜にでもなれば、残された同胞たちがどのような報復を受けるか分かったものではない。
だからこそ、彼は『全力を尽くして戦った末に、精鋭部隊に敗れて戦死した』という事実を作るために。自らの誇りを守ったまま介錯をされるために、あえてC・Lの防空網に引っかかり、ヤザンの前に姿を現したのだ。
『ガトー少佐! 敵の増援が来ます、ここは退きましょう!』
『帰還命令が――!』
後方で戦う二機の僚機から、悲痛な撤退の進言が飛ぶ。しかし、ガトーはそれに耳を貸さず、わざとらしく、しかし悲壮な決意を込めて通信を返した。
「誰かが殿を務めなければ、貴官らの後退は不可能だ!! ゆけッ!!」
ガトーはそう言い放つと、僚機を逃がすための盾となるように機体を前に出し、ヤザンの三機のジムIIへと単機で突撃を仕掛けた。
ビーム・サーベルを引き抜き、装甲を焦がすほどの至近距離での格闘戦。その一撃一撃には、ジオンの武人としての強烈な殺意と、それ以上の『死への渇望』が宿っていた。だが。
そのガトーの放つ異様なプレッシャーと剣筋の裏側にあるものを、ヤザン・ゲーブルという男の研ぎ澄まされた『野獣の嗅覚』は見逃さなかった。
(……なんだこいつ。殺気は一級品だが……まるで、自分から死にたがっているようじゃねぇか)
ヤザンは、ガトーのマラサイのビーム・サーベルを盾で弾き飛ばしながら、コックピットの中でニヤリと笑った。普通であれば、死兵となった敵機は恐ろしい。だが、ヤザンにとってそれは最高の『獲物』であった。
こんなにも血が沸き立ち、殺し合いの快感(スリル)を味わせてくれる相手は、一年戦争の生き残りでもそうそういるものではない。
だからこそ、ヤザンは……そんな極上の獲物を、ここで使い捨てのように殺してしまうことを『勿体ない』と感じたのだ。
「ダンケル、ラムサス! 奴の四肢を狙え! コックピットを抜くんじゃねぇぞ!」
「た、隊長!? なに考えてやがるんですか!」
「こんな上等なパイロット、簡単に死なせてたまるかよ。……とことんまで付き合ってもらうとするさッ!!」
死に場所を求める亡霊と、戦いの悦楽を求める野獣。コンペイトウの暗礁宙域で交差する二つの極端なエゴイズムは、互いの命を削り合う、凄絶な長期戦へと突入していった。